010-歌はストリートから流れる

鈴木裕之 2000 ストリートの歌:現代アフリカの若者文化 世界思想社

 街にくりだして人びとの営みを描くフィールドワークには,アウトローに目を向ける仕事が案外ある。たとえば,ポール・ウィリス「ハマータウンの野郎ども」,ウィリアム・ホワイト「ストリート・コーナー・ソサエティ」,佐藤郁哉「暴走族のエスノグラフィー」が頭に浮かぶ。なぜ,アウトローが対象に?研究者自身ワルガキではなかったから珍しいのか?答えはそれぞれだろうが,著者の理由は音楽であった。レゲエやラップ。これらが生まれた場所であるところの「ストリート」,そして歌い始めたひとびとであるところのアウトロー,すなわち「ストリート・ボーイ」に目が向けられたのである。

 本書の舞台はアフリカ西海岸に位置するコート・ジヴォワール共和国の首都アビジャン。この都市の道ばたにたむろする若者たちを,当人以外のひとびとは「ヌゥシ」と呼ぶ。かれらは確かにストリートを生活の拠点としているのだが,そこに寝泊まりしているのではなく,経済活動と情報交換を主にストリートで行っているという意味である。たとえば,自動車見張り番という稼業がある。路肩に停めた車の運転手が用事を済ませて帰ってくるまで,誰かにいたずらされないように見張ってその手間賃を請求するというものであるが,その運転手がかれに直接頼んだわけではない。かれが勝手にやっていることなのである。したがって運転手は見張る手間賃を払う義務はない。本質的に,浮き草のような心許ない商売なのである。

 あるとき,自動車見張り番を稼業としていたヌゥシからひとりのスターが生まれた。ロッシュ・ビー。「自動車見張り番のボス」という歌をラップにのせ,アビジャン都市部の高層ビルを背景に,Tシャツとスニーカーを身にまとってアスファルトの上で踊るかれのPVに描かれていたのは,まごうことなきヌゥシの日常であった。

 ヌゥシの考え方,ヌゥシのスラング,ヌゥシのファッションを,音楽のマーケットにもちこんだのは,アビジャンではロッシュ・ビーがはじめてではなかった。かつて,ジャマイカで生まれたレゲエがボブ・マーリィの登場によって一気に世界的マーケットに流れたのにともなって,アビジャンにもそれが入り込んできた。アビジャン・レゲエが単なる舶来の音楽で終わらなかったのは,ストリートにたむろする若者の視点から,かれらのことばを織り込んで歌う者が現れたからである。かれこそアルファ・ブロンディであり,その成功によって,レゲエはアビジャンのポップミュージックを席巻することとなる。ロッシュ・ビーのラップは,そうした土台と若者たちにあるアメリカ黒人のファッションへの憧憬とがあって,はじめて受け入れられたと言える。

 しかし,ヌゥシというストリート・ボーイのことばで歌い,かれらの日常を描いた歌とその成功は,ストリートに根ざしていない。ここに注意しなければならない。本書にはロッシュ・ビーを写した写真が三枚出てくる。最初のは,自分が見張り番をする自動車に寄りかかって腕を組み,カメラを睨め付けるようにして自信に満ちあふれた姿。次のは,大ヒットしたテープのジャケ写であり,やはり背後に見張る自動車を置いて腕組みをする姿。しかし最後の一枚は,両手をポケットに入れて壁によりかかり,憔悴しているのかぼんやりと中空を見つめる姿であった。

 述べたように,ヌゥシの生活の場はストリートであり,そこには独自の生き方がある。また,ヌゥシのなかにもさまざまなひとびとがいる(そもそもヌゥシと名付けて多様なかれらをまとめ上げるのは,非ヌゥシのひとびとなのである)。当然,ストリート以外の世界で上手く渡り合っていくことのできるヌゥシもいるだろうし,「ルバ」と呼ばれる一団のように体を武道で鍛えることで用心棒としての位置を得る者もいる。しかし,やはりストリートでの作法しか操れない者もまたいるのだ。それがロッシュ・ビーだった。かれは自分を成功に導く商品としてのラップを流通させる音楽業界にたいして,ストリートの作法を適用しようとしたがため,業界人から恐れられたのだという。音楽プロデューサーにとって,「ストリートにたむろする不良」というイメージは歌の世界だけでよく,歌う本人にはビジネスの作法を求めたのだった。それができなかったロッシュ・ビーは,結局ヒットしたデビュー曲の次にきちんとしたプロデューサーを見つけることができず,もとの自動車見張り番に戻ったばかりか,ドラッグに手を出して廃人同然となったのだという。三枚目の写真とは,プロデューサー探しに奔走する時期のものだったのだ。音楽マーケットは,ストリートという商品が欲しかったのであり,決してストリート自体と接触しようとしたわけではなかったのである。これが,「ストリートに根ざさない」ストリート音楽という意味である。

 だが,ストリートに根ざした音楽もあると思うのだ。そしてそれは,音楽データだけが流通するマーケットとは異なる形で,ネットワーク化していくと思うし,それによって(マーケットが約束する契約金や印税という報酬に限らず)望む成功を手に入れることも可能だろう。ロッシュ・ビーは何をすればよかったのか,かれはどういう成功を手に入れられたのか。既存の流通網にたいするオルタナティヴを想像することは,ストリートと音楽とを考える上で必要だろうし(少なくともロッシュ・ビーを廃人の道から救うには必要だった),それを既存のマーケットといかにして摺り合わせるかを問うべきだと思うのだ。

 その意味で,ストリートで音楽を鳴らすチンドン屋のネットワークというのはヒントになると思うのだが,わたしの思考はそこでいつも立ち止まり,チンドンの音色に聞き惚れてしまう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA