008-Under Construction

伊東豊雄建築設計事務所(編著) 2003 建築:非線型の出来事 smtからユーロへ 彰国社
畠山直哉・伊東豊雄 2001 Under construction 建築資料研究社
川俣正 2001 アートレス:マイノリティとしての現代美術 フィルムアート社

 ロンドンの安ホテルで最初に通された部屋は改装中だった。シンナーのにおい,ひっくり返されたベッド,貼りかけの壁紙。フロントに怒鳴り込もうと息巻いて歩く廊下でなんて言おうか考えながら思いついたことばが”That room is under construction.”だった。

 Under construction(ただいま工事中)ってのは完成型からのマイナス状態だと一般的には考えられるので,ロンドンの私はバカにされたような気になったのだ。ホテルだったら泊まらなければよいのでまだ許せる。しかし,税金を使って建てる公共施設がunder constructionだったら?しかも半永久的に。建築家の伊東豊雄さんは,しかし,これをデザインのひとつのありかたとして強く提起する。考え方を変えてみたら,と言っているのだ。

 建築がおもしろいなとしばらく本を漁り,目を通していたら,どうも伊東豊雄という人がすごいらしい。そこで掲題の本を入手したのだが,やはりおもしろい。タイトルにある「smt」とはせんだいメディアテークという図書館兼美術館兼映画館兼カフェである。仙台市が発注し,磯崎新らが審査員となったデザインコンペで伊東豊雄建築設計事務所のプランが採用されたのが1995年のことだった。

 折しも公共事業入札の不正が指摘されはじめた頃(今だってそうだが),とにかく計画の初期段階からオープンにしようと,利用者になるはずのひとびとが参加して要望をデザインのなかに埋め込む作業がなされた。しかし結局,市民団体の利害争いの場にしかならなかった。暴露されたのは剥き出しのエゴである。ならば,解決の道は,全員の妥協点を見つけ出し,「最適解」を作ることか?否,どのような目的にも使えるようにすみずみまで決定された箱は,結局中途半端な役立たずの箱にしかならない。ここに考え方を転換させるきっかけがある。

 キーワードは,under constructionである。一般に建築工事には竣工という瞬間があり,そこを時間的な境として計画段階と「実際の」使用とが峻別される。それはひとびとの活動自体も区分けする。ある者は設計者・製作者でしかなく,ある者は使用者でしかない。他者の役割領域を侵犯することは許されない。眼に見えない関係性を可視化するために,竣工という境界があるのだ。しかし伊東豊雄はこのような関係性の「壁」を取り払おうとする。そのためのキーワードがunder construction,ちょっと言い換えて,「住みながらつくる(伊東,2003,p.14)」ということだ。それは,どこかにある完成型をめざしつつも未だ途上にある状態ではない。未完成/完成という二項対立ではない地平でデザインを考えましょうという提案なのである。

 完成は誰かが宣言しなければならない。竣工は市長などお偉方が最後の釘を打ち込んだりテープを切ったりすることで成立する。プロセスを断ち切る作業は,そのまま,製作責任を固定する作業でもある。だから,使用者から後で文句を言われないよう,設計者はできるだけあたりさわりのない設計を作りたがる。あるいは,使用者がおこないそうな危険な行為をあらかじめ禁止する。だが,「<創る>とは,未知のものを発見する行為である。そのプロセスに立ち会うためには,流れを外側から客観的にコントロールするのでなく,流れの中に身を投じて,不可視な関係の中で決断しなくてはならない(伊東,2003,p.10)」。文句を出し合って,使い勝手がよくなるように,ちょっとずつ直していけばよい,それだけの話なのだ。このプロセスを前提とするなら,設計者/使用者という関係性は交代しうるし,ともするとまた別の関係性が生まれるかもしれない。しかしそれがなかなかできないでいるのが現状。だったら,とりあえず,みんな使用者だって考えたらどうか?

 伊東豊雄は,「住みながらつくる」ことを理論的に支えるために,見えざる対象を「使う」ことはいかにして可能かと問う。提案,設計,製作という段階において,通常言う意味での「使用」の対象たる建物は通常言う意味で「実在」しない。だから,「使う」ではないことばでそれらの作業を名指しするしかない。だったら,実在してるよ,って言い張ればいいのだ。3つの現実感覚,すなわち,リアル,アクチュアル,ヴァーチャルがここに登場する。ドゥルーズを引用しながら伊東は述べる。ヴァーチャルはリアルには対立しない。それは,観念的なものではあるが,抽象的なものではない。このヴァーチャルなものを「使用」すればよいのである。決して,現前(アクチュアル)しているものだけが,使用できるものなのではない。

 建築においてヴァーチャルなものをめぐる活動は,実にさまざまだ。免震構造計算,構造評定,モックアップ,実験,新聞の報道,広報,ワークショップ…。また,そこで用いられる道具も多様である。設計図,施工図,スタディ模型…。これらはいずれも,ヴァーチャルなものをひとびとが「使用」するプロセスを構成する。

 プロセスは,決してスムーズには進まない。行きつ戻りつ,でこぼことした経緯をたどる,「非線型」なプロセスなのである。行く道の決断は何度も,誰にとっても起こる。そうした出来事として,建築を考えようというのが伊東豊雄という人なのである。

 美術家の川俣正もまた,完成したもの,それ自体完結したものとしての美術作品という見方に異議を唱える。彼と豊田市とがコラボレイトして,コミュニティを横断するウォークウェイ,テラス,テーブルを作るワークショップが開かれたとき,それにつけた名前がWork in Progressだった。製作者/観客,設計者/使用者,行政/市民といった作品をめぐる対立関係を流動化させること,それは完成という時間の壁を設けないことによって可能になる。つまりは,「進行中の作品work in progress」である。

 なんだか,工事中だったり,進行中だったり,実にこれは心許ないし,たよりない。しかしたよりないところにこそ,つながりは作られるのだ。案外,たよりないものがつながると強くなるかもしれない。

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