2012年に向けて

もうすぐ今年も終わり,2012年が来ようとしています。

これを書いている今現在,まったく年の瀬の気分がありません。なんででしょうかね。

おそらくは,3月の震災や原発のせいで,身内に直接的な被害が出ていて,気が休まらないということもひとつあるのでしょう。日本や世界も含めて経済の展望がまったく見えず,経済が目的化してしまった社会そのものがうろうろしているというのもあるかもしれません。

それでも暦の上では新しい年が始まるわけで,年度で動く大学に身を置くものとしては4月からのルーティンワークに向けて粛々と準備することもまた必要です。

ですから,来年から何か新しいことを始めるわけでもないのですが,どんな仕事をするのか漠然と構想するのは,行動の指針という意味でも大事かな,と思ってます。

自分の仕事においては,2011年を「アウトプットの年」と位置づけて望みました。そのおかげか,学会発表は国内・国際あわせて4件,シンポなどへの登壇(指定討論含む)は6件,論文は2本(うち1本はまだ印刷中),エッセイみたいなのが2本,1~2章書いた本が2冊と,ほんとうに必要最低限ではあると思いますが,過去最高の出力量でした。

「ブレイクしたね」と言われましたが,すでにスランプなので,一発屋の雰囲気が濃厚です。

2012年は,「分析と総合の年」としたいと思います。

そんなわけで,みなさまよいお年をお迎えください。

人間ドック

昨日は午前中を使って人間ドックに行ってきました。

3月に脂肪肝と診断され,それからダイエットに励んできました。

おかげで,3月から体重を14kg(82kg→68kg),ウエストを13cm(92cm→79cm)落とすことに成功。食事制限,飲酒制限,そしてとにかく歩くことに精を出した結果です。

お医者さんによれば,腹部超音波の画像では,脂肪肝のようには見えない,とのこと。血液検査の項目についても,いずれも標準値以内。血圧の上が80台(下が60台)と,若干低いものの,問題なし。

晴れて健康体を手に入れることができました。まあ,何が健康なのかは人それぞれでしょうが,今のところ風邪を引く気配もなく,元気であります。

iPhoneは恐ろしい

iPhone 4Sを手に入れて,昨日から使っています。ずっとAUにお世話になっていたのですが,このたびAUでも扱うようになったということで,機種変更してみたということで。

初期設定をするには何につけメールを送受信できるようにしておく必要があるようですが,私はgmailもYahoo mailも使っていないので,たよりはezwebのアカウントのみ。しかしこのezwebによるメールの設定が結構面倒でした。詳しくはこちら。なんとか使えるようになり,もうついでだからと,私用と公用のアドレスからこちらのアドレスに転送されるように設定しました。これで,メールとネットを見るためだけにわざわざノートPCを持っていく必要がなくなりました。万歳!!

次は使いやすさを向上させるためのアプリの入手ですね。さいわいにしてiTunesもApple-IDも取得済みだったため,必須と言われるいくつかのアプリをぼんぼこ入れました。

そんなこんなで2日間遊び倒してしまいましたが,これは恐ろしいおもちゃですね。下手するとずっと画面を見続けてしまいます。息子は息子で,かつて甥っ子がもっていたiPadのゲームを遊ばせてもらった経験を思い出し,パズルのゲームを親にダウンロードさせて,夢中になって遊んでいます。

スマホを操作した経験は実はこれまでほとんどなかったのですが,なんでしょうね,画面が小さい分,魂が吸い込まれていく感じが強烈に強い印象です。楽しくもまた,恐ろしい物でありますなあ。

軽い脂肪肝

肝機能の数値がよろしくないという検査結果を受けて、少し大きめの病院にまわされたのが2週間前。

そこでの血液検査もやはりγ-GTの数値がよろしくないらしく、「脂肪肝の可能性もあります」とのこと。エコー検査をすることとなった、というのが1週間前。

結局、2週間酒を飲まず、大食もせずに過ごした。そのかわりによく歩いた。まあアル中ではないのだから飲まなきゃ飲まないでいられるのである。

昨日、エコー検査を受けた。ぬめっとしたのを塗られた機械(プローブっていうんだっけか)で腹の上をまさぐられて、息を吸ったり止めたりはいたり。いい加減うんざりしたころにようやく終わる。

検査結果は、「軽い脂肪肝」とのこと。

「肝臓は黒く写るんですけど、脂肪肝の場合白く写るんです」

肝臓があるあたりの超音波画像を見せられて、確かに白くもやっとしたその姿を見ると説得力がある。ただ、その日の血液検査では肝臓関係の数値はすべて正常範囲に収まってくれていた。努力の甲斐はあったということだろうか。

さらに、胆嚢にポリープが3つあることも発見された。悪さをしないタイプだというのでとりあえずほったらかしにしておくことに。

次は1年後、再び超音波の検査をすることになった。たとえ1年後でも、検査があると分かっていれば、注意して飲み食いするようになるだろうか。

いろいろあった日

なるべく歩くようにしている。風邪を引いたときにかかった医者で、血液検査を受けたところ、肝機能の数値が思わしくなかったので、運動しようと思ったのだ。

地下鉄数駅分を歩く。つい先日、大通りと札幌駅を地下でつなぐ空間が完成したので、大通りから北口のエルプラザまですたすた歩いていけるのである。

そのまま大学へ行くかと思いきや、駅地下の喫茶サンローゼに入り、モーニングコーヒーを飲みながら原稿を書く。10時までコーヒーが200円なのでお得。先月末までに出すはずだった、たった2ページの原稿をようやっと書き上げた。サンローゼは仕事がはかどってよろしい。

意気揚々と大学へ。途中、副学長を長く務められた逸見先生とばったりお会いする。その職をめでたく勤め上げられ、今月退かれる。この後は読書にいそしまれるそうだ。関わった一人一人のことを本当によく覚えておられる先生の鑑のような先生。うちの子どものこともきちんと覚えておられるのである。見習いたいが、難しく、恥ずかしい。

昼過ぎから会議。センターの整備をどうするかについて、さくさくと話し合う。まったく紛糾もなく1時間で終わってしまった。

その間もメールの応対やらなにやら。その間に郵便メールボックスをチェックすると発心研の新しいのが来ていた。K田さんには昨日届いていたというのにこの差はなんだ。ともかく、何を書いたのかすでにさっぱり忘れてしまった自分の論文が掲載されているのをチェック。一安心。

夕方から、お世話になっている小学校へ。今日は修了式と離任式があった。授業を観察させていただいた先生の中にもよその小学校へ異動される方が何人か。ご挨拶をしたかったのだが、お会いできなかったので来週またうかがうことに。

一度大学へ戻り、学院学部ウェブサイト担当の引き継ぎに備えて作業を。やろうと思えばいくらでも仕事が生まれる役回りであったが、それも来週でいったん終わり。今年度できることはすべてやっておきたいので、とりあえず年間行事予定表を23年度のものに差し替え。

帰宅し、家族とそのまま外食。とは言っても、肝機能の数値のことがあるので、たっぷりこってりしたものは避けたい。サラダと冷やし野菜うどんを食す。

そうそう、業者さんから電子辞書を受け取っていたのだった。CASIOのEX-word XD-B10000。本来であれば今頃真っ最中のはずだった学会が中止になったので、その旅費に割いていた予算が急遽浮いてしまい、使い切るために前から欲しかった電子辞書を取り寄せたのだった。ちょこちょこ遊んでいるが、とても便利。紙の辞書にもそれなりの良さがあるが、この手軽さにはちょっとかなわないな。

ちょっとやばかった

この1週間、精神的にきつかった。

被災地の惨状、危機的な原発、パニック的に買い占めに走る人々。こうした様子が目や耳にがんがん飛び込んでくる。実家のある茨城も被災地であるし、原発の目下の風下である。どうしたって心配だから常に情報をチェックする。

情報を浴び続けるうちに頭がまいってしまったようで、眠れなくなってしまった。布団に潜り込んで悶々として、ふと気がつくと何時間もたっているものの、まったく寝た気がしない。だから日中は昼過ぎるとぼうっとしてしまう。

横になると心臓がどきどきしてしまい、歩いていてもふらふらする。びっくりしたのが、思考が断片的になり、ひとつのことに集中できなくなるという「症状」。何をしていても自分自身のことが気になってしまい手が着かない。

この状況があと一歩進むとやばいことになると判断。一応理性が残っていたようだ。

とにかく情報をシャットアウトすることに。特にtwitterは「うるさい」のでしばらく見ないことにした。そのうえで、無理にでも人と会うようにする。

今はひとまず元に戻ったように思う。夜はぐっすり、飯もうまい。

気力と体力をたくわえる

金曜はたまたま、子どもが風邪を引いたので面倒を見るため自宅にいた。ゆさゆさと建物が揺さぶられたとき、子どもが見ていたDVDがぷつっと切れ、津波情報に自動的に切り替わった。

テレビを見ていると、見慣れた釜石の街が水没していった。

釜石は母の実家がある場所で、子どもの頃から何度も行った。つい2~3年前にも遊びに行った。

P1010554.jpg 釜石の海

茨城も揺れたらしいので、実家に電話をするも通じず。さまざまな手段を試してみるも、なかなかアクセスできない。ただ、ツイッター経由の情報で、美浦は停電、断水しているもののさほど大きなことにはなっていないと判断。その日は寝た。

土曜は大学の後期試験。朝から仕事に。試験時間を1時間繰り下げるとのこと。そうしてできた空き時間に実家に電話をかけると通じた。家の中のものが落ちてきたがとりあえずみな無事とのこと。

日曜。再度電話すると、釜石の親戚はほぼ無事とのこと。まだ確認できていない人もいる。

必要となったときのために、衣類を段ボールに詰める。要請があれば送れるように。

月曜、起きて夫婦二人ともへろへろになっていることに気づく。情報を受け取るだけで頭と体が「非常モード」になってしまっていたのだ。

日常を送れる人は、今は気力と体力を蓄えるべきときだ。いざというときに、動かなければならないのは私たちなのだから。今、現場で仕事をしておられる人、耐えている人といっしょに疲弊している場合ではない。

母はなくとも

先週末は家内が仕事の関係で旭川に1泊2日の出張とあいなり、子どもと一緒に2日間を過ごしました。実は母子が離れて寝るのは生まれてから初めてだったりします。

もう5歳だし、夜中に「ママー」と泣くこともなかろうと思っていましたが、少し不安なところもありました。が、ふたを開けてみれば何のことはない、いつものように飯を食べて風呂に入り、ぐうすか寝ることができました。

あとは「一人で寝る」だけですが、これは「小学校に上がったらする」と自分で宣言しているので、それまでは待とうかなと。

ぐうすか寝たのにも理由があり、土曜はなじみの「ゴーヤちゃんぷる」の宴会に息子共々参加させてもらったのでした。宴会では、近々近所に店を開くというチリから来た兄弟が本格的な南米音楽を披露してくれたのですが、息子はそれを聞いて発奮。折良く兄弟が小さなマラカスを持ってきていたので受け取ると、しゃかしゃか振りながらいっちょまえにステップを踏んで踊っていました。

その時の様子を、札幌の酒飲みで知らぬ者はない「酒匠こばやし」の社長がブログで紹介してくださいました。感謝します!

酒匠こばやし 店主のひとりごと – 第7回 かりゆしウェアーでゴーヤちゃんぷるの夕べ新年会

モモヒキをはく

外は大雪。最高気温はマイナス2度。

昨夜は夜中まで本を読んでいたら足下から凍えて布団に入ってもなかなか寝つけなかった。

こうなったらと,正月の帰省の折りに買っていたモモヒキをはいた。トップバリューのヒートファクト。

脚がぎゅっと締め付けられてなんだか変な感じだが,さすがに足下から冷えるということはなくなった。吹雪の外を歩いても平気。すばらしいね。

ただ困るのは,トイレに行ったとき。なかなか態勢に入ることができずいつもの数秒のロスがある。このロスを想定して行かねば大変なことになるな。

集団飲みの社会心理学的考察

p>今年の正月休みは、例年になくぼおっと過ごしていた。一応、仕事をもってきてはいたのだが、締め切りのある原稿を大晦日にあげてしまったこともあって、年が明けてからは適当に外出したり、酒を飲んだりと(これはいつもか)のんびりと過ごさせてもらった。

帰省してびっくりしたのは、父親が酒をやめたことだった。40年飲み続けたそうだが、昨年の夏から、ふっとやめてしまい、そのまま続いているそうだ。

今年で定年なのだが、定年後ずるずると酒を飲み続けて体をこわしてしまった人を何人も見てきたということも背中を押したようだ。

さてそうなると困るのはぼく。家族が大勢いる家の中でひとりだけ飲むことになる。他の人は、「たしなみ」「つきあい」程度で、酒を飲むこと自体が好きなわけではない。食事が済むとさっさと食器が片付けられて、テーブルにぽつんと少量のつまみとともにぼくが残される。

不思議なもので、札幌の自宅では一人で飲んでいても平気だが、家族の人数が少し増えただけで一人で飲むのがいたたまれなくなるのである。で、結局、ビール数本と焼酎少量と日本酒少量で切り上げるのである(十分飲んでるじゃないかという話もあるが)。

こうしたことをふまえて考えると、どうも同じ行為をする人が目の前にいるというだけで、その行為はえんえん持続されるということなのだろう。昨年までは帰省すると父親も飲んでいたので安心して心ゆくまで飲んでいられた。一人で居酒屋に行って安心できるのは、同じように行為している人がそばにいるという単純な事実によるものだろう。

結論。たった一人でも、同じことをしてくれる人がいっしょにいれば、その行為はなかなか止まらない。しかも、周囲にいる人数が多くなればなるほどその傾向と結束が強くなる。ほんとかね。