集団飲みの社会心理学的考察

p>今年の正月休みは、例年になくぼおっと過ごしていた。一応、仕事をもってきてはいたのだが、締め切りのある原稿を大晦日にあげてしまったこともあって、年が明けてからは適当に外出したり、酒を飲んだりと(これはいつもか)のんびりと過ごさせてもらった。

帰省してびっくりしたのは、父親が酒をやめたことだった。40年飲み続けたそうだが、昨年の夏から、ふっとやめてしまい、そのまま続いているそうだ。

今年で定年なのだが、定年後ずるずると酒を飲み続けて体をこわしてしまった人を何人も見てきたということも背中を押したようだ。

さてそうなると困るのはぼく。家族が大勢いる家の中でひとりだけ飲むことになる。他の人は、「たしなみ」「つきあい」程度で、酒を飲むこと自体が好きなわけではない。食事が済むとさっさと食器が片付けられて、テーブルにぽつんと少量のつまみとともにぼくが残される。

不思議なもので、札幌の自宅では一人で飲んでいても平気だが、家族の人数が少し増えただけで一人で飲むのがいたたまれなくなるのである。で、結局、ビール数本と焼酎少量と日本酒少量で切り上げるのである(十分飲んでるじゃないかという話もあるが)。

こうしたことをふまえて考えると、どうも同じ行為をする人が目の前にいるというだけで、その行為はえんえん持続されるということなのだろう。昨年までは帰省すると父親も飲んでいたので安心して心ゆくまで飲んでいられた。一人で居酒屋に行って安心できるのは、同じように行為している人がそばにいるという単純な事実によるものだろう。

結論。たった一人でも、同じことをしてくれる人がいっしょにいれば、その行為はなかなか止まらない。しかも、周囲にいる人数が多くなればなるほどその傾向と結束が強くなる。ほんとかね。

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