020-ミミズに学ぶ発達心理学

チャールズ・ダーウィン 渡辺弘之(訳) 1994 ミミズと土 平凡社
エドワード・リード 細田直哉(訳)・佐々木正人(監修) 2000 アフォーダンスの心理学:生態心理学への道 新曜社

 「発達心理学」について説明してほしい,という学生からの要望があった。しかも90分で。そこで,本書を紹介することにした。子どもについての記述はまったく出てこないし,発達ということばすらまったく出てこない。しかし,発達心理学的な視点と方法はよく表れていると思う。

 『ミミズと土』は,ダーウィンの遺作である。原題は”The formation of vegetable mould, through the action of worms, with observations on their habits”。1881年に書かれ,ダーウィンはその翌年に死んだ。スティーヴン・ジェイ・グールドは,ダーウィン没後100年を記念するにあたり,『種の起源』ではなく本書を引き合いに出した。実はダーウィンは,1837年に土壌に関する論文を出して以来40年間,ミミズ学者だったのである。

 進化を観察することはできない。しかし,40年間の庭の土の変化ならば正確に調べることができる。ダーウィンは,1871年にある牧草地を垂直に掘り,断面を観察した。1842年に地表に撒いた石灰岩のかけらが断面のどこにあるか調べるためである。それは,1871年の地表の18センチ下にあった。30年間で地表に18センチの土が降り積もったのだろうか?しかし地表自体の高さは30年前と変わっていない(むしろ風雨により削られている)。ということは,石灰岩のかけらの下にあった土がその上に移動したと考えられる。ちょうど,温められた水が底から水面へと対流を起こすように,土壌は下から上へと循環しているのである。誰が動かすのか?ダーウィンは,ミミズの力だと結論した。

 ミミズは土を食べる。含まれる栄養分を吸収するためでもあるし,棲息する穴を掘るためでもある。食べたものは穴の外へ糞として排出する。地面を見ると,5ミリから1センチ程度の土の塔が,そこかしこにちょこちょこ突き出ているのに気づく。これがミミズの排出した糞塊である。このようにして,ミミズは深い部分の土を地表にもたらす。

 たかだかミミズの糞,とあなどってはならない。かつて地表に倒れていたストーンヘンジの巨岩が今日土に埋もれているのは,ミミズの力によるものだ。問題は,数と時間である。ダーウィンが用いた報告によれば,イギリスのある土壌には1ヘクタールあたり13万匹のミミズが棲息していると推測される。また別の報告によれば,1エーカー(約40アール)あたり,1年間で排出される糞の量は,14.6トンとなる。先の推計を用いれば,40アールにいるミミズはおよそ5万匹である。1年間で1匹が292グラムの糞をしたことになる。1つの糞塊の重さの平均をだいたい1オンス(=28グラム)とすると,10回の排泄でこの数値にたどり着くこととなる。確実に1年間で10回は糞をするだろうから,以上は見当はずれの計算だとも言えない。14.6トンの土が,1年間で掘り返されている!岩をも覆うわけだ。

 ダーウィンが愛したのは,わずかなことが積み重なることで,巨視的には大きな結果がもたらされる,というアイディアであった。珊瑚礁の形成,ミミズによる土壌改良,そして生命の表現型の変化。いずれも,ちょっとした変化の蓄積がもたらした結果なのだ。重要なことは,われわれは「わずかな変化」ならば観察できるということである。そして,このわずかな変化の膨大な反復によって大きな変化の生起が説明可能となる。進化は,生物個体が生まれて,子を作り,そして死ぬという観察可能な単位をもとに理論化されたのだった。現在,わずかな変化の反復から大きな変化を説明する議論を,主に地質学や古生物学においては,「斉一説」と呼ぶ。斉一説についてはいろいろと批判もある(かつては天変地異説,現在ではたとえばグールドらの断続平衡論など)。発達心理学の昔からの議論で言えば,発達とは量的な変化に還元できるのか(斉一説に対応),それとも質的な飛躍があるのか(多くの発達段階論がこれ)という対立に対応する。

 エドワード・リードは,このミミズの研究を用いて発達現象とダーウィンとのつながりを力説した。この議論は,東大の佐々木正人さんらが紹介している。実のところ,僕も佐々木さん経由でリードやダーウィンを知ったクチなのだ。さて,リードによれば,この研究から心理学者が学ぶべき点が3つある(pp.47-9)。

 第一に,単純なものごとほど,複雑であることを教えてくれる。ミミズは,土を食べながらトンネルを掘るが,その乾燥を防ぐためか,地表に開いた穴を落ち葉などでふさごうとする(ダーウィンが観察したミミズは,葉を口でくわえて穴に引き込もうとするらしいが,訳者の渡辺弘之さんによれば,日本の在来種にはこのような行動を示すものはいないそうだ。道理で見たことがないと思った)。これだけならば,いかにも遺伝的にプリセットされた行動を,きわめて安定した環境への単純な反応として示しているだけのように見える。しかし,単純な行動をすべて「本能」に帰すのは,ヒトについてある行為の原因を「スキーマ」や「内発的動機」や「意図」に帰してこと足れりとする心理学者の態度と同じである。説明すべき現象に新しい名前をくっつけて,分かった気になっただけで,説明になっていないのだ。ダーウィンは,「本能」に由来するものとされそうなミミズの行動のなかに,それでは説明しきれない残余を見いだした。落ち葉を穴に引き込む際に見られる,その形状による行為の再体制化がそれだ。これをかれは,「知能」と呼んだ。このように,単純だと思われる行動を丹念に腑分けする態度を,われわれは学ぶべきだと,リードは言う。

 第二は,データによる実証という態度である。葉を穴に引き込むミミズの行動について,ダーウィンはいやというほど実験を行なっている。ミミズは落ち葉のとがった側をくわえて穴に引き込みやすいことは,自然観察によるデータから明らかであった。葉の先がとがっていればそこを,柄の方がとがっていればそちらも,ミミズはくわえていたのである。そこでダーウィンは,底辺が他の二辺より短い二等辺三角形状に紙を切り,ミミズのいる土の上にばらまいた。(おそらく)自然界にはあり得ない(したがって遺伝的にはプリセットされていない)紙片にたいしてミミズが見せた行動は,落ち葉のそれとまったく同じであった。物体のどこをくわえるかが偶然に左右されていたならば,ミミズはとがった頂点側よりも三角形の底辺側の方を多くくわえるはずである(面積は底辺側の方が広いうえ,頂点の数も1つ多い)。しかし結果は,選択的にとがった頂点を穴に引き入れていたのだ。

 またダーウィンは,Vの字状をした松葉を利用するミミズを観察している。二股の先端を同時にはくわえることができないため,一方を穴に引き入れるともう一方は地表で引っかかる。穴を効率よくふさぐには,松葉の根本(つまり,V字の下部)をくわえた方がよいのである。実際,自然観察では根本から穴に引き入れられるケースがほとんどであった。そこでダーウィンは意地悪をして,二股の先端同士をのりでくっつけたり,糸でぐるぐる巻いたりした松葉をミミズの前に用意した。格好としてはV字からI字になったため,先端と根本のどちらをくわえてもよいはずである。ところが結果は,やはり根元から引き入れられた松葉の方が多かったのである。この結果からダーウィンは,松葉の根本にはミミズが好む何かがあるのだろうと予測した(それが何であるかまでは特定していない)。こうした実験に見られる一つ一つの工夫をこそ,心理学者は味わうべきである。先端をのり付けした場合,ミミズはその匂いや化学物質を嫌っているのかもしれず,続く実験で糸を用いるあたりなど,別の解釈可能性を慎重に一つずつつぶしていく実証科学の醍醐味だろう。

 最後の第三点としてリードが挙げたのは,環境とは何かということだ。ミミズは穴をふさぐという生活の必然性から落ち葉のある形を選択的に利用していた。少し言い換えると,物体の持つある性質は,生物の行動に利用可能である限りにおいて,かれらにとって意味があるものだ,ということである。生物と外界とのこのような関係性を,リードはギブソンに依拠してアフォーダンスとして概念化した。アフォーダンスという概念は,行動という大問題を解くのに有用であるがために,生き物の外界から「もの」として選択される情報を指す。ここで否定されるのは,あらかじめ「もの」が寄り集まって環境が形成され,生き物はその中をうごめくという図式である。むしろ,生き物がうごめいてはじめて何が環境であるかも決定されるのだ。このあたりのことを前田英樹にならえば,「問いの所与=環境となりうる何か」,「問題形成装置=生物」と言い換えられよう。アフォーダンスとはさしあたり「問い」である。ただし,「問い」とそれへの「解答」は一挙に形成されると前田は言う。外界から問いとしてのアフォーダンスが現われたとき,解答としての行動もまた現われる。両者は一挙に形成される,つまり同時に出現しなければならないのだ。ということは,何かを見る,あるいは何かを知る,というのは,外界にすでにある何かを受容すると言う表現ではおかしいことになる。むしろ,見るべき対象,知るべき対象が作り出されると言った方がより精確である。こうした知覚の能動性をどんな下等な生物にも-ミミズにすら-認めたのが,ギブソンであり,ダーウィンであったのだ。生物は決して刺激を受け止めるだけの機械ではないという主張がここにある。

 以上,少し長くなったが,発達心理学の説明を終える。僕が何を言いたいのか分からなければ,もっと発達心理学に深入りするべきである。きっと自分なりに分かることがあるはずだ。

019-動くものをつかまえるには

養老孟司・茂木健一郎 2003 スルメを見てイカがわかるか! 角川書店

 本屋に行って会計を済まそうとレジに並ぶと,カウンターに『バカの壁』が平積みに。それといっしょになって平積みにされていた一冊を抜き取り,「これもお願い」と店員に渡したのが,本書だった。ちなみに『壁』の方は,みなが読んでいるという理由でそもそも読むつもりがない。

 養老孟司と茂木健一郎が対談する。対談,と言うより,茂木氏は終始聞き手に徹していたような印象をもった。そのせいか,ううんとうなって線を引いた箇所はどれも養老氏の言であった。たとえば43-4頁。「『リンゴ』と言った時に,人間は外的なリンゴとイデアとしてのリンゴの両方があるのを知っているから,すでに単語そのものが二面性を持ってしまっている。ところが「内」とか「外」とか,「いる」とか「いない」とかという話は,その単語そのものがどうも二面性を持たないような気がするんですよね」。また,たとえば95頁。「僕はよく言うんですけど,受け継がれていくのは,ある形,形式なんです。考えてみれば,言語はまさにそうなんですよね」。そして108頁。「田舎に暮らしている限り,目の前の自然から逃げられないんですよ。原理主義になっている閑がない。ところが都市に入っちゃうと,全部が人間の意識になってしまう。そうすると,そのなかで一番強いのが原理主義なんですよ」。しかし,聞き手がよくなければ,語り手はのりきれない。同業者から「あいつはとうとう…」と後ろ指さされるような仕事をされてきたかれら二人,通じるところは十二分にあるようだ。(この,「あいつはとうとう…」という表現は,たとえば茂木氏による養老氏評「覚悟の科学者」の言い換えである。)

 さて,先の一つ目の引用は指示と対象の問題であり,二つ目は形式と共有の問題である。どちらも言語を問いの対象としたときにどうしようもなく浮かび上がる難問。一方で,最後の引用は別のテーマに引っかかっている。聞き手と語り手はこのようにも言い換えている。「茂木 生きているものは,止められないということですね。 養老 止められないですよ。常に動いてしまうんだから,解剖のように,そのかたちをはっきりと見極めようとするアプローチとは相性が悪いんです。生きている物を扱ってるのと,死体を扱っているのでは,なにかが根本的に違うんですよ。要するに死体はスルメだというわけです(p.130)」。

 言語化は,生きて動く自然を記述する固定化の方向であるが,これは原理主義へ続く道。固定化から常にはみ出し続ける生命という現象を相手に,みずからの生活形式を整える田舎の人間は,とうてい原理主義にはなりようがない。つまりは,言語と生命およびそれらの立ち上がり方が,本書の底を流れる問いなのである。

018-唄い継がれる

木村聖哉 1987 添田唖蝉坊・知道:演歌二代風狂伝 リブロポート

 1995年1月,震災直後の街にソウル・フラワー・モノノケ・サミットが姿を見せ,あちこちの避難所を訪れては唄った。拡声器を通して神戸に『復興節』が流れた。『復興節』はかれらのオリジナルではない。1923年9月の東京にも唄う者がいた。関東大震災に焼け残った日暮里の横丁でバイオリンとともに唄う『復興節』に,疲れ,そして不安に沈む街のひとびとは,じっと聞き入っていた。当の唄い手は後日こう回想する。「人は,どんな悲境の底にいても,歌は欲している,ということを,思い知らされたのである」(p.135)。震災に遭った二つの街に時を隔てて流れたこの唄の作者は添田さつき,実の名を知道という。

 1902年,添田平吉とタケの間に知道は生まれた。父親のことは添田唖蝉坊と呼んだ方が通りよいかもしれない。演歌師をしていた。

 演歌とは政談にメロディをつけたもの,つまりは「演説歌」の略である。明治初期に街辻でがなられた壮士演歌にはじまり,それを生業とする者の裾野も広がって書生演歌が起こった後,ラジオや新聞の普及とともに消滅した俗謡の一形式である。川上音二郎『オッペケペ節』も演歌のひとつだった。

 歌詞には政局にたいする批判とともに,民衆の暮らしやかれらの不平不満がユーモラスに唄い込まれた。唖蝉坊はこれを作るのが上手かった。「トコトットット」で囃す『ラッパ節』は替歌が作られるほどだった。これは現在,唖蝉坊自身が堺利彦の依頼で書き下ろした『社会党ラッパ節』の歌詞のほうが元唄よりも知られる。

 こうした父親の陰にあって,知道の名もやはり「演歌の生き字引」として引き合いに出される。しかし彼自身は,作家をみずからの生業としていた。作家としての知道について,本書は後半を用いて勢いよく描いていく。日本歌謡史というコンテクストで語られる姿はあくまでも演歌師の息子,あるいは自身『復興節』『東京節』の唄い手であった。しかし,病床にあってなお小説『教育者』と苦闘していたというエピソードは,演歌と小説という違いを越え,社会に対して表現し続けた人という統一的な像を示してくれる。

 1955年11月,浅草寺境内に唖蝉坊顕彰の碑が建てられた。その除幕式には尾崎士郎が立った。碑は今もなおひっそりとある。1980年,息子知道が逝った。その筆塚は父の碑の隣にある。

 ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの話に戻ると,現在,この名義で『アジール・チンドン』『レヴェラーズ・チンドン』という二枚のCDを聴くことができる。民謡とはいったいなんだったのか,1923年の日暮里で演歌師の配る歌詞をわれもと求めた市井の欲望とはいったいなんだったのか。考える手がかりである。

017-4月1日のために

ハラルト・シュテンプケ 日高敏隆・羽田節子(訳) 1987/99 鼻行類:新しく発見された哺乳類の構造と生活 平凡社

 発見はいつも島から。ガラパゴスはダーウィンにとって,決定的ではないにせよ,よいヒントになった。そして生物学者シュテンプケは,太平洋上のハイアイアイ諸島のみに住む「鼻行類」の系統発生過程に関する仮説を1冊のモノグラフにまとめた。

 鼻行類についてざっと説明しよう。哺乳類中の一目(鼻行目Rhinogradentia)であり,原書出版当時確認されていただけで14科189種が含まれる。いずれも鼻器(Nasarium),すなわち鼻が特殊な機能を担う点で特徴があり,系統分類も鼻器の形態と機能に基づいてなされる。鼻器の数により単鼻類と多鼻類に分けられるが,系統発生的には単鼻類の方が古いようだ。始祖はムカシハナアルキだと考えられている。現存するヘッケル(!)ムカシハナアルキは,通常四肢を用いて歩行するが,昆虫を補食する際など,その大きな鼻器だけを用いて身体を支える。ちょうど,鼻で逆立ちをしたような姿になる。ここから,鼻器をそれこそ手足のように用いるかれらの生活スタイルが始まったと考えられている,いや,いた。

 生息する環境で見ると,陸棲はもとより,水棲のもの(ラッパハナアルキなど)もいれば,土中に穴を掘って暮らすもの(モグラハナアルキ)もいるし,果ては空中を飛翔するもの(ダンボハナアルキ)までいる。すなわち,ハイアイアイ諸島において考え得るすべての生態的ニッチは鼻行類によって占められていたのである。(他に目立つ哺乳類としては,トガリネズミの一種と,ヒトがいるくらいだった。)

 1957年に「あとがきを書いた」ゲロルフ・シュタイナーによれば,これらユニークな生態をもつ鼻行類は,研究資料とともに忽然と陸上から消えてしまったという。洋上の核実験が起こした地殻変動により,島もろとも海中に没したのである。むろん,現地で調査にあたっていたシュテンプケ自身も(生前シュテンプケがシュタイナーに手渡していた本書の原稿が鼻行類について残された記述の唯一のものらしい)。したがって,鼻行類が絶滅に追い込まれたのは,まったくの偶然だったわけである。決して,鼻を使うことが生存闘争の上で不利だったから,などという分かったような分からないような理由によってではない。少なくとも,「デザインが適応的ではなかったから」という理由は,鼻行類においては該当するとは言えない。

 ここまでの話を信じるかどうかはともかく(少なくとも「鼻行類などいなかった」とは言えない),哺乳類の1種族が,ここまでの生態的多様性を呈するにいたるまでの分化過程の説明は,おおよそ納得がいく。シュテンプケは,生命進化のフォーマットには忠実であった。生命進化のフォーマットが,鼻で体を支えるというムカシハナアルキの生き方を出発点としたとき,果たしてどのような形態が生まれるのか。この問いへの答えが,本書である。もう一度言う。われわれヒトという生物種を産んだのとまったく同じ生物進化のアルゴリズムに,鼻を使うことという初期項をぶち込んだときにはじき出された正確この上ない解答が,鼻行類という生命の現象なのである。この意味で,本書はまったく正しい。

016-一回性をめぐる科学

スティーヴン・ジェイ・グールド 渡辺政隆(訳) 1989/2000 ワンダフル・ライフ:バージェス頁岩と生物進化の物語 早川書房
八杉龍一(編訳) 1994 ダーウィニズム論集 岩波書店

 生命の進化を観察することはできない。ただ状況証拠のみ取りそろえ,それらをつなぐ糸を頭の中で考えることしか,われわれにはできない。その糸をつなぐ思考回路を,進化論という。

 また,進化を実験することはできない。ヘッケルはこのように言う。「進化論のために精密な,あるいは完全に実験的な,証明を要求するのは,まったく不当なことなのです」(1877年の講演「綜合科学との関係における現代進化論について」より。八杉(編訳) p.128)。実験は事象が再現することをもって仮説の証明とする。一方で進化論は,歴史の一回性を前提とする。グールドが強調するのはこの点で,かれはそれを「偶発性」と呼ぶ。生命がたとえばヒトのような形態をとるにいたったのは偶然の積み重ねであり,ちょっとしたタイミング次第ではありえなかったかもしれないのだ。このタイミング自体は必然的である(たとえば地球と隕石との衝突は十分に予測できる)。したがって現在われわれが見る生物の世界とは,言うならば必然と必然の間にある偶然が紡いだ糸の末端なのである。

 古生物学では,生物のいた痕跡が見つかるのは,とある地質年代よりも新しい地層からだというのが常識なのだそうだ。境界に当たるのがカンブリア紀で,わずか(!)500万年から1000万年の間に現在の生物門のほぼすべてが出揃った。生物の分類はおよそそのデザインにもとづいてなされる。ゆえに生命はこの時期考え得る限り体のつくりを試したと言える。その中には,どうやら現在ではお目にかかることのできないデザインもあったらしい。カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州を貫くロッキー山脈の尾根で1909年に発見されたバージェス頁岩(けつがん)が,すでに消滅したこれらのデザインをスケッチしていてくれたことから分かった。

 グールドの文庫本の表紙に,そのデザインの例が描かれている。5つ目とゾウのように長くのびた口吻,そして体側に並んだ鰓のような足のようなもの。オパビニアだ。そしてもう一体,ナメクジのような体の下から伸びた左右10対の足と,背側から突き出た7対の角のようなもの。ハルキゲニア。物珍しさから,バージェス頁岩の生物のうちでも人気の高いかれらは,どうやら形態的な子孫を残さなかったらしい。

 その理由は分からない。だが少なくとも,デザインが適応的でなかったからという理由は,誤りでないにせよ不適切である。われわれは生き残った生物種について「適応」ということばを使うのであって,それは生き残ることと同義である。それにしても,と思うのだが,ウニは今もいるのに,同じく棘のようなものがあるハルキゲニアはもういないのだ(いないかどうかは分からない。発見されていない,というだけかもしれない)。

 そう,そのハルキゲニアだが,表紙の絵と,本文中に挿入されているマリアン・コリンズの絵をよく見比べてほしい。上下が反対だと気付くはずだ。訳をした渡辺政隆さんのあとがきを読むと分かるように,ハルキゲニアについて最初のモノグラフを書いたコンウェイ・モリス以後,足だと思われていた棘が,実はそうではなかったと報告されたらしい。表紙の絵は,おそらくそうした学説の変更に基づくのだろう。

 いろいろな書評が出ているが,いずれもコンウェイ・モリスの「カンブリア紀の怪物たち」(講談社現代新書から訳が出ている)を併読するよう薦めている。しかし,ぼくが薦めるなら,次に紹介する本にしたい。

015-ある幇間の語り

悠玄亭玉介 小田豊二(聞き書き) 1995 幇間の遺言 集英社

 幇間,と書いて,たいこもち,と読むこともあるね。だけどそもそも幇間ていうのは「間(ま)を幇(たす)ける」ことだ。宴席の間をもたせることだけど,これが実に難しい。我を出し過ぎちゃいけない,しかし引きすぎてもいけない。この妙が,幇間の芸の髄なんだ。

 芸者をあげての遊びなんかしたことがなけりゃ,いや,そもそも郭に大人の遊びが残ってた時代から外れてしまってるのが今だから,幇間の芸を見る機会はないだろうね(世の中が,磊落な大人を許さなくなってる,ってこともある)。そんなやつからしたら,幇間はたいこもちで,落語「愛宕山」に出てくる,「旦那,いよン,こんちまたまた,立派なお召し物を…」てな具合でいやにまとわりついてくる,ああいう人をイメージするだろうね。そうそう,漱石の「坊ちゃん」に名が出るので有名な「野だいこ」は,見番(けんばん,芸者や幇間の取り次ぎをするところ)に所属しないで,道を歩いてつかまえた旦那衆に取り入るやつのことをいうんだ。いや,芸を見る機会のないのも当然かもしれないよ。なにしろ,明治大正の頃は400はいたという幇間も,いまでは十指に足りないほどだっていう。

 郭がなくなったり,当の幇間が死んだりやめたりってこともあるけど,このせいばかりじゃないよ。芸を味わう客もいなくなった。芸人と客の関係がなれあいになった。これじゃあ,若い芸人が育つはざない。芸は血じゃあない(のだよ,花緑さん),育ててもらうもんなんだ。今はまず,客を育てなきゃあならない。なれあっちゃいけないからって,じゃあ勝負なのかといえば,そうでもあるし,そうでもないね。どうしてか。

 芸人は最後には必ず負けなければならないって,あらかじめそう決まっているからだ。始まる前から勝負はついてる。この,どうやって負けるかってのが芸なんだ。反対に,勝つってことは実はみじめなことなんだ。美しくない。いい客ってのは,美しく勝つことに腐心するやつのことなんだ(たとえば歌舞伎でも観に行ってみな,「おたァやッ」て大向うからいいタイミングで声でもかかれば,役者ものるってもんだよ)。だから,負けるまでが見事なら,これは芸人の勝ちなんだ。

 ん?言ってること,分かりにくい?そう,分かっちゃいけない。分けられないことも,世の中多いからね。

014-言葉、言葉、言葉

柳瀬尚紀 2003 言の葉三昧 朝日新聞社
柳瀬尚紀 2002 猫舌三昧 朝日新聞社
McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Baltimore : John Hopkins University Press.

 私は将棋も競馬も知らない。美味い物と猫とシェイクスピアは少々。ジョイスとキャロルは下手の横好き。この横好きが高じて柳瀬さんの本に目を通す。辞書はどれも「一長一長」と言い切るのは,「自分があまりにも無知だから」。無知にかけてはひけをとらぬ当方,度が過ぎるので無知や朽ちやと念願するばかり。

 このエッセイ,朝日新聞夕刊ですでに連載100回を越えたとあり,単行本も2冊出た。買ってきたらすぐに頁を開き一気に読みおおす。読みやすいのは著者がいつも音楽を背景にリズムよくキーボードをたたいているからだろう。リズムある文体なのである。ご本人も井上ひさしを引いて言う,「文体がないと書けない」。うむ,まさにその通り。

 さて近刊の帯にはDemoncracyなる単語が見える。Democracyも魔が差せばDemoncracyか,Finnegans Wakeに一度だけ出てくる,とあるな。どれどれ…あ,あった。167頁。 My phemous themis race is run, so let Demoncracy take the highmost! 柳瀬訳では「わが演題なるテミスの掟の命のつきたれば,悪魔クラシーの至高の座におさまらん!」 McHugh(1980/91)の注釈によれば,phemisはギリシャ語で演説,Themisは神罰を象徴するギリシャの女神で,これがラテン語になると法律の意。let Demoncracy take the highmostには,英語のことわざThe devil take the hindmost.(遅れた者は知ったことじゃない,転じて早い者勝ち)が隠れている。正義が失われるとき,民主主義万歳と言うその裏で弱き者は去れ,と演説する悪魔が現れるのだな。

013-たまにはSFも

ケン・グリムウッド 杉山高之(訳) 1990 リプレイ 新潮社

 何の気なしに古本屋に入り,暇つぶしできそうな文庫本を探していると目に飛び込んできたのがこれ。確か吾妻さんが「不自由帳」で絶賛してたなあと思い出して買ってみた。土曜の昼からぱらぱらとめくり始めたらもう止まらない。ソファに身を沈め,外の暗くなるのも忘れ,ふと気がついて部屋の明かりを点けた。読み終えた今もまだすこし頭の後ろに痺れが残っている。それくらい面白かったのだ。

 主人公ジェフリー・ウィンストンが冷え切った仲の妻と電話口で口論の途中,心臓発作で「死ぬ」ところから話は始まる。気がついてみると,18歳の自分が通っていた大学の学生寮に寝ていた。その後25年間の記憶をもったまま。こういうとき人間は何をするかというと,やっぱり賭け,である。ご多分に漏れずジェフも,ケンタッキー・ダービーの勝ち馬や,ワールド・シリーズの優勝チームを(もちろん知っているのだから)ずばずば当て,大金持ちになってしまう。金持ちのお嬢様と結婚し,娘も生まれ,その成長を楽しみにしていた1988年,再びジェフは死ぬ。気がつくとまた18歳。

 なぜジェフは過去に何度もさかのぼってしまうのか?はっきりとした答えのないまま,かれは一人の女性と出会う。映画プロデューサーのパメラ・フィリップス。物語後半は,このふたりを中心に話が進んでいく。ふたりが約束をし,そして邂逅する場面(詳しくは述べないが)はただもう嬉しくなる。

 ジェフは何度目かのリプレイで,追放と孤独をテーマとしたノンフィクションを書くこととなる。記憶を共有できない他者と同時代を生きねばならない孤独。同じ孤独を共有できる者と出会うことの恐怖と安らぎは想像するにあまりある。

 13年前と少し古い本だし,評は出尽くしているようだ。自分も少し若い頃に戻って文庫本を読み漁ろう。

012-モンティ・パイソンを観る前から後からなんてイヤったらしいんだから、このド助平が

須田泰成 1999 モンティ・パイソン大全 洋泉社
デヴィッド・モーガン 須田泰成(訳) 2003 モンティ・パイソン・スピークス! イースト・プレス

 広川太一郎のモノマネをする人は必ず「ちょんちょん,このォ!」って言う。このセリフの主はエリック・アイドル。パブでビールを飲むテリー・ジョーンズを肘でこづくスケッチ(日本で言うところのコントのこと)で,エリックが”Nudge nudge!”って言うのを「ちょんちょん」と吹き替えた広川さんはエライ(どうもアドリブではないらしいのだけど)。ついでに言うと,テリー・ジョーンズは飯塚昭三,ジョン・クリーズは納谷悟郎,グレアム・チャップマンは山田康雄,マイケル・ペイリンは青野武,テリー・ギリアムは古川登志夫,エリックをアテた広川太一郎を入れて,これがパイソンズを吹き替えたオリジナルメンバー。

 1969年からBBCで放送されたコメディ番組「モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス(第1~3シリーズまでこのタイトルで,第4シリーズは単に「モンティ・パイソン」だった。以下,モンティ・パイソン)」が最初に日本で放送されたのは1976年のこと。以来,ビデオやLD,DVDという媒体を通じて,われわれはパイソンたちのスケッチを楽しむことができるなんて,なんて素晴らしい時代か!

 モンティ・パイソンって何?そう言う貴女,こんな本なんか読まずに,まずはかれらが生きて動いて叫んで走る映像をご覧になっていただきたい。この二冊を手に取るのはそれからです。ブラックユーモアが嫌いでクレームばかりの貴女も,ぜひともご覧になっていただきたい。なにがユーモアで,なにがユーモアでないかは,合理的思考からするといつまでたっても謎なのですよ。筒井さんのてんかんも,岡林さんの放送禁止歌も,便器になった王監督も,なにがユーモアであり,なにがそうでないか,よっく感じ取ってほしいのだなあ(考えて,ではない。たぶん考えても答えは出ない)。

 DVDを観て,ユーモアの粋を楽しんで,さてもうちょっと,という人のために,この二冊があるのです。須田さん,あなたは広川さんの次にエライ!

011-普遍を生み出す根源

甲野善紀・前田英樹 2001 剣の思想 青土社
前田英樹(編・訳・著) 1989 沈黙するソシュール 書肆山田

 潜在して普遍なるもの,すなわちすべての多様性がそこから派生する根元的体系の実在を確信する,前田英樹の文からはそのような印象を受ける。これはぼくには不可能な発想だった。構造主義の祖ソシュールと新陰流の祖上泉伊勢守信綱が前田の手によってやすやすと結びつけられる。この編集感覚。ソシュールの根元が言語,伊勢守の根元が身体運動だっただけのことである。

 四足歩行から二足歩行へ至る自然の造形の結果としてわれわれ人間の身体運動はある。しかし剣士前田英樹と剣士甲野善紀が信じて目指すのは,自然の造形を脱した運動のなにかしら普遍的な体系であった。二人の往復書簡の体裁を取る甲野・前田(2001)は,足捌きから話が始められ,鞘を作る職人のわざに触れて筆が擱かれる。ここでは前田の手紙にしぼって身体運動の普遍性とは何かを自分なりのことばにしておきたい。

 さて,戦国の世を生きた上泉伊勢守信綱が愛洲移香斎の陰流を引き継ぎ発展させて新陰流に開眼したのは一五四〇年頃のことだったという。新陰流の極意は,自己の刀=身体と相手の刀=身体の融合したシステムの創造と実践にあった。自分と相手双方の身体の軸が空間を切り結んで必然的に現れる「太刀筋」はただひとつしかない。この,ただひとつしかない太刀筋を伊勢守は燕飛六箇之太刀と呼んだ。「燕飛,猿廻,山陰,月影,浦波,浮舟」の六点すべてを通る一本の軌跡は,身体の軸を一つに定めることによって必然的に生まれる始発から収束までの運動の円環である。

 重要なことは,刀と身体とのシステム的な統一関係である。身体は中心の軸と両肩から両膝にかけて通る軸の3本の移動によって表現される。この「移動軸のわずかな前進に要する時間と,太刀の斜め下への斬り下げに要する時間とは,完全に一致していなくてはなりません。そうすることによって,移動軸の前進に太刀の斬りが厳密に接合される。つまり,斬りは単なる斬りではなくなり,吊り腰の姿勢によって特殊に存在させられる身体軸の移動そのものと融合した何かになる(p.138)」。こうした「<刀=身>の独特の融合体(p.140)」は,新陰流においてすべての技の基礎である。そしてこのことは相手にとっても同じであるため,闘う前からすべての結果は一度に与えられている。勝つか,負けるかではないのだ。すべての結果を生み出しうる根元的な身体のシステムを完成させることが求められるのである。これを前田は型(太刀)の持つ「<制度>としての根元性(p.165)」と呼ぶ。

 新陰流の記された柳生宗矩「兵法家伝書」と剣の極意書として双璧をなすのが宮本武蔵「五輪書」だろう。前田も武蔵に触れている。普遍なるものは宮本武蔵も追い求めたものであった。諸芸諸能の底流を貫き,なお兵法(剣術はかつてこうも呼ばれた)がその典型となる普遍である。しかし武蔵において普遍なるものは,師を持たずに諸芸諸能を鍛錬して自ら開眼する「実の道」,すなわち「至極」であった。一方,伊勢守において普遍なるものとは,刀と身体とがひとつに融合して生まれる太刀(かた)の唯一の体系であって,これは実際に動作する前からの実在である。そう,ふたりの発想の差は,多様からの帰納と唯一からの演繹の違いだったのだ。実際伊勢守は,両手太刀も片手太刀も,ときには無刀(素手)の場合も,すべての動きには共通の基礎があると考えていた。猿廻に始まり浮舟に終わる円環である。

 この,すでにあるただ一つのものの希求,そして実際にそれを発見し得た人物の言動は,何を論ずるにせよ,前田を貫く関心である。ソシュールの場合それはラングであったし,伊勢守の場合には太刀筋の円環的世界であったのだ。