030-ロシア・フォルマリズム概観

ミシェル・オクチュリエ 桑野隆・赤塚若樹(訳) 1996 ロシア・フォルマリズム 白水社

 簡単な書評、というか本を読んで起こった雑感を書きつけ始めてようやく30回目となった。松岡正剛のように千回とは言わないまでも、もう少し続けていくつもりである。

 これまでは雑感をあっさりと片づけることが多かったが、せっかくの区切り(まだ30回だけど)なのだし、今回はもう少しねっとりといく。と言っても知らないことについてはねっとりと書けない。なので、今の自分が強く関心をもっていることについて書いてみたい。

 こんにちの心理学界にも多大な影響を与えつづけている発達心理学者、レフ・ヴィゴツキーに関心があって彼の身辺をずっと調べてきた。

 彼の心理学者としてのキャリアのはじまりは意外に遅く、28歳のときであった。しかし、歴史家アレクサンドル・エトキントは、それ以前のキャリアや社会的交流について詳細に検討し、その期間にあった出来事が彼の思想形成に与えた影響について述べている(エトキント、1997)。また、van der VeerとValsiner(1991)は、ヴィゴツキーの思想形成のプロセスを検討する上で、24年以前から準備されていた著作『ハムレット』と『芸術心理学』が重要だとしている。

 これらの研究からかいま見えるのは、文芸や演劇に対するヴィゴツキーの妥協を許さないまなざしである。その矛先は、当時の芸術や批評の潮流にも向けられていた。やり玉に挙げられたのはポテブニャらの象徴主義、そしてシクロフスキイらの形式主義、つまりはフォルマリズムである。したがって、フォルマリズムという運動を見ておくことは、ヴィゴツキーがいったい彼らの何に反対して、何に同意していたのか、そして自己の思想をどのように発展させたのかを知る上で必要なことなのだ。

 しかしわたしはロシア文学史の専門家でもないし、ロシア語すら読めない。いくつかの単語を知っているのみである。いきおい、入門書からはじめることとなる。そこで、本書だ。

 訳者たちの解説によれば、著者のミシェル・オクチュリエ(Michel Aucouturier)は、パリ第一大学の教授で、20世紀ロシア文学を主に研究している。論文には、パステルナークやゴーリキイを取り上げたものがある。
 
 フォルマリズムとは何か?1910年代に興り、詩の評価の仕方を根底から変え、スターリン体制下で粛清を受けた文芸運動。のちの構造主義や情報理論を準備した文芸運動。この運動を一望のもとに置くことはきわめて難しい作業だが、オクチュリエの筆によるこの一冊はそれを成し遂げている。

 目次を見てみよう。「『詩的言語』」(第1章)にはじまり、「『手法』と散文の理論」(第2章)で初期フォルマリズムの基本的な概念をおさえたのち、「詩と『構成』という概念」(第3章)、「『異化』と文学史」(第4章)では、エイヘンバウムやトゥイニャーノフといった、後期フォルマリズムの展開を担った論者の概念がまとめられている。続く、「フォルマリズム批判」(第5章)、「詩学と社会学」(第6章)では、フォルマリストを取り巻いていた社会的状況と、それに対するフォルマリズム内部からの応答が描かれ、「フォルマリズムの死と再生」(第7章)ではフォルマリズムの嫡子たるプラーグ派言語学とタルトゥ学派に触れられている。

 このように本書はきわめてバランス良くまとめられている。以下、オクチュリエの文章に基づき、邦訳のある文献をひきながら、わたしなりにこの文芸運動を追ってみたい。なお、以下引用は断りのない限りオクチュリエの本書からのものである。

1. 誕生、死、再生

 1913年12月のことである。サンクトペテルブルグにあった「野良犬」という酒場でひとりの青年が観衆に向かって講演を行った。のちに『言葉の復活』というタイトルの小冊子となったこの講演の語り手はヴィクトル・シクロフスキイ、当時サンクトペテルブルグ大学に在籍していた青年であった。

 彼がこの講演で言いたかったことはただひとつ、「言語芸術が採るべき方向性は、慣習から脱し、原初のみずみずしい感覚を再生することだ」ということである。

 再生とは?新しい言語表現が生まれたとき、読み手や聞き手には鮮烈な感覚が起こったはずだ。ところがその表現が何度も繰り返され、紋切り型の言い方となった後では、もはや読み手や聞き手を感動させることはできない。言葉は単なる記号となり、その理解は単なる再認となる。しかし、芸術家の役割が、感動を引き起こすことであるとするなら、詩人は新しい表現と出会ったときの新鮮な感覚を常に作り出し続けなければならない。これがシクロフスキイの主張である。

 この方向性は、畢竟、芸術家を「言葉それ自体」へと向かわせる。シクロフスキイがこの方向性に踏み込んだ人びととして賞賛したのは「未来派(フトゥリズム)」の詩人、クルチョーヌイフやフレーブニコフといった人びとであった。彼らはすでに、誰も聞いたことのない、したがって誰にも言葉の意味が理解できない、「ザーウミ」と呼ばれる言語で書かれた詩を書いていた。それは言葉の音の響きそれ自体から何らかの感覚を引き起こすことが目指されていた。「言葉それ自体」とは未来派詩人の掲げた標語でもある。

「野良犬」での講演の3年後、サンクトペテルブルグのナジェージジンスカヤ通り33番地にある印刷所に「詩的言語研究会」というサークルが生まれた。メンバーにはシクロフスキイのほか、レフ・ヤクビンスキイ、ヴィクトル・ジルムンスキイ、ボリス・エイヘンバウム、エヴゲーニイ・ポリヴァノフがいた(『オポヤズについて』、p.319)。このサークル、略称を「オポヤズ」といった。Obshvhestvo izuchenia POeticheskogo IAZykaの略である。

 おもしろいことに、歴史の共振性はこのときも遺憾なく発揮されたらしく、モスクワではこの頃、ローマン・ヤコブソンを中心とした言語学者によってモスクワ言語学サークルが結成された。正確には1915年のことである。

 詩の言語を研究の対象とした彼らは、メンバーのオシップ・ブリークの奇妙な仲介があって、次第にサンクトペテルブルグのオポヤズと交流を重ねるようになった。その後、1920年代に入って、これら2つのグループは手を携えながら挑発的な主張を世に発し続けていくこととなる。

 あまりにもラディカルであったために、彼らには当初から批判の矢が向けられた。論点のすれ違いはあったにせよ、しごく穏健で、建設的な議論も、もちろんなされた。たとえばあのトロツキイやルチャルスキイといった人びとによるものである。しかしそれは十月革命直後の頃だけであり、全体主義的な政治体制が完成するにしたがい、議論する機会すら失われ、「意見」ではなく「主張者」そのものが迫害を受けるようになった。しだいに「フォルマリズム」とは反体制的な文芸理論すべてに貼られるレッテルとなった。のち、シクロフスキイ自身『科学的誤謬の記念碑』(1930)と題する自己批判を書くこととなる。そこに記された「上部構造云々」という表現は、本筋の議論の添え物として付け足された感があるとはいえ、なにか痛々しい。

 しかし、スターリン政権下のソヴィエト国内ではこのようにして抑圧されたフォルマリズムであったが、1926年に創設されたプラハ言語学サークル(特に、ヤコブソンやヤン・ムカジョフスキー)によって保存され、発展する。さらに、1953年のスターリンの死去にともなって再評価の気運が高まり、タルトゥ大学のユーリ・ロトマンによって形を変えながらも受け継がれていった。

 以上が、ロシア文化史における、フォルマリズムと呼ばれる芸術運動のごくおおざっぱなスケッチである。次にこの運動をその内側から見ていこう。まず、彼らの芸術に対する態度を明らかにするために、2つの詩の潮流に対する評価を比較しよう。それは、象徴主義と未来派の詩である。その後で、フォルマリストによる理論を具体的に見ていくことにする。

2. 象徴主義批判

 フォルマリズムは既存の芸術理論に真っ向から反対するところから議論を始めた。当時の主要な潮流とは象徴主義である。一般に、19世紀末から20世紀初めにかけて興った「象徴主義」とは、エドガー・アラン・ポーに感化されたフランスのシャルル・ボードレールに始まり、ヴェルレーヌ、ランボー、そしてステファヌ・マラルメへと続き、その後全ヨーロッパに広まった文学運動を指す。ロシアにおいてこの運動に反応したのが、アレクサンドル・ブロークだった。ブロークの詩を評価したワレリー・ブリューソフは雑誌「天秤座」の主幹を務め、ロシア国内においても象徴主義を主流とする役割を果たした。

 こうした状況にあって、何か新しいことをしでかそうとする者、あるいは自分の芸術観を屹立させようとする者にとっては、「天秤座」の詩人たちは絶好の試金石だったのである。たとえば詩人オシップ・マンデリシタームはベールイを評し、「自分の直感的な目的のために言葉を仮借なく搾取してしまう」という罪を犯したと言う(マンデリシターム、1999、p.75)。本来言葉とは、声を出して話したり、手を動かして書いたりして、肉体をもつ人びとが歴史のなかで伝えてきたものである。このように言葉には具体的な来歴があるはずであるのに、象徴主義者をそれをまったく無視し、言葉を単に別のある語をほのめかすだけの道具としてしか捉えない。たとえば「薔薇」という言葉は、「娘の美しさ」を暗示するだけの道具でしかない。

 このような考え方が蔓延したのは、意識が第一義的なものであり、表象はそれに何らかの形を与える外的な付随物として捉えられていたからだとマンデリシタームは言う。しかし「表象は、意識の客観的な所与性としてだけではなく、肝臓や心臓とまったく同じ、人間の器官とみなすこともできる」(マンデリシターム、1999、p.90)。人間の肉体的な叫びに言葉の起源を見るこのアプローチは、アクメイズムと呼ばれる。

 マンデリシタームらのアクメイズムが強調するのは、「言葉そのものの実在性(リアリティ)」(マンデリシターム、1999、p.74)である。「最も適切で正確なのは、言葉を形象、つまり言語表象としてみることだ。音声が形式で、残りのすべては内容だというなら、この方法によって、形式と内容の問題は克服される。言葉の意義性とその響く本性のどちらが一次的なのかという問題もまた克服される。言語表象とは、諸現象の複雑な複合体、結びつき、『システム』なのだ」(p.89)。すると、「薔薇」という語を聞いて感じる美しさは、そこから喚起されるイメージ(薔薇そのもの、そこから連想される娘)の美しさであると同時に、言葉そのものの美しさでもある、ということになる。

 マンデリシタームの主張から浮かんできたのは、当時の若者が象徴主義を克服する道をどこに見ていたのかということである。それは、言葉が指し示すものではなく、また、言葉という道具によって起こる神秘的な出来事でもなく、言葉のかたちそのものに美の原因を見いだそうとする道であった。そして、初期のフォルマリズムはこの道を明確に掲げていたのである。

 シクロフスキイによるフォルマリズムのマニフェスト、『言葉の復活』(1914)は、象徴主義の理論家ポテブニャへの応答から始まる。ポテブニャによれば、芸術には内的形式と外的形式の2つが必要である。すなわち、観衆が感じるイメージと、作品を構成する音や文字である。シクロフスキイは、ポテブニャが前者を強調し、後者を軽んじたことを批判する。彼によればポテブニャの主張は、「芸術はイメージによる思考」(『手法としての芸術』、p.20)だとするものである。

 シクロフスキイはこれに対して、詩を他の言葉と区別するもの、すなわち芸術をそれ自体で芸術たらしめる基準を、外的な形式に求めた。しかしそれは単なる音や文字であってはならない。なぜなら、日常的にわたしたちが使う言葉は意思の疎通という目的に資することが期待される二次的なものである。シクロフスキイは「言葉それ自体」へと、生まれたばかりの生きてみずみずしい言葉へと戻り、それに初めて出会う際の感動、音声を出したり聞いたりするときの肉体的心地よさ(あるいは、居心地の悪さ)をこそ詩の本義としたのである。詩の言語は「特殊な領域で、そこでは唇の動きひとつ無視できない…筋肉の動きが快ければ舞踏の世界に即応するし、見て楽しければ一枚の絵画に相当するわけだ」(『オポヤズについて』、p.321)。

 生ける言葉。シクロフスキイがこの言葉で賞賛するのは未来主義の詩人たちであった。「今や、芸術家は、死せる言葉ではない生ける言葉と生ける形式を相手にしたいと思いはじめ、言葉に個性的な外貌を与えようとして、言葉を破壊し、歪めた。…新しい生ける言葉の誕生だ」(『言葉の復活』、pp.17-18)。

 象徴主義を擁護したポテブニャーのように、シクロフスキイやヤコブソンは未来派を擁護した。では、その未来派とは何だったのか。

3. 未来派擁護

 未来派とは、詩や絵画、演劇や映像といったさまざまな芸術運動を横断して、1900年代初頭のロシアに起こった芸術運動である。この運動を広い視野から簡潔にまとめている本の中で、桑野隆はロシア語で言う「ブイト」からの脱却が未来派の芸術家たちに共通する目標として重要だと指摘する(『夢みる権利』)。そもそも「ブイト(byt)」とは「慣習的な生活」のことであるが、未来派においては否定的な意味合いをもっている。すなわち「因循姑息」であり、「凝り固まり、伝統的で保守的な社会的骨組」(『夢みる権利』、p.18)を指す言葉であった。未来派とはそのような惰性的生活から抜け出し、新たな生を築き上げようとする芸術家たちの運動だったのである。

 未来派と呼ばれた詩人には、ベレミール・フレーブニコフやアレクサンドル・クルチョーヌイフ、ヴラディーミル・マヤコフスキイ、そしてダヴィド・ブリュークといった人びとがいた。(実際には未来派と呼ばれた芸術家にもいくつかのグループがあった。上に挙げたのは「立体未来派」と呼ばれた人びとである。2005年4月3日現在のhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/history/futurizm.htmlの記述に基づく。)

 ロシアにおける未来派運動に先立つこと数年前、1909年にイタリアではフィリッポ・マリネッティが「未来派宣言」を発表、物質主義文明と芸術との密接な関係を主張した。ヤコブソンは『最も新しいロシアの詩』において、イタリアとロシアそれぞれの未来派の主張を比較している。確かに両者の作った詩を並べれば、わけのわからなさでは表面的には類似している。しかしヤコブソンは両者に決定的な違いを見る。新たな表現内容(発明された機械であったり、それについての詩人の経験であったり)の出現が、新たな表現形式を要請するのだと、マリネッティは言う。一方ロシアの未来派は、新たな表現形式を作り出すことによって、新たな表現内容を生み出そうとしている。ヤコブソンはこのように対比させる。

 ヤコブソンの『最も新しいロシアの詩』は、フレーブニコフらの詩における「手法(プリョーム)」の優位を、数多くの手法の例を挙げて紹介する。そのなかで彼は、「表現への志向、ことばの集合そのものへの志向、私は、これを、詩にとって唯一の本質的な契機」(p.97)だと述べる。つまり、ロシア未来派にとっては、言ってみれば表現方法が詩の「主人公」だったのである。たとえばそれは民俗的な地口や子供のことば遊びに見られるような似た音の連鎖や頭韻・脚韻、あるいは新造語をしつこく反復することによって生まれる効果を意図的に利用している。

 これらは、語の内的形式による効果ではなく、外的形式による効果を期待しての詩である。その極北にあるのが、何のイメージも持たない、心理学的に言えば無意味語のような言葉、すなわち「ザーウミ」による詩作である。ヤコブソンによれば、ザーウミ(超言語)とは「ゼロの内部形式をもつ語」(『最も新しいロシアの詩』、p.184)である。強いてカナに表した例を挙げれば、「ボベオビ」「リエエエイ」「グジ・グジ・グジ」といった語句が、とりあえずは意味の分かる文に挟み込まれる。

 シクロフスキイが『言葉の復活』において賞賛していたのは、このように意味を持たない語から構成される詩を極北に持つ、言葉それ自体に志向する一連の詩と詩であった。

 何に反対したのか、何を擁護したのか、とりあえず確認することができた。続いて、フォルマリスト自身の理論の中身に入っていく。オクチュリエが目次に挙げていた、詩的言語、手法、構成といった言葉はいずれもフォルマリズムの主柱となる概念である。順に見ていこう。

4. 詩的言語

 オポヤズがその最初期に掲げたのが、日常言語(または、散文的言語)と詩的言語という対立する概念であった。ごく簡単に言えば、日常的に交わされる、意思の疎通という目的に資するだけの日常言語があるとして、そこから詩を区別する特有の文法、内的な論理、これが詩的言語である。そのような詩的言語は、日常言語は伝達内容に志向する一方、伝達手段に志向するものとされた。

 詩的言語における素材の優位、同時にそれが自律的な法則や価値を持つことについて、はじめて理論的主張を行ったのはヤクビンスキイであった。またシクロフスキイは、散文と詩の違いを、テクストを構成する法則の差異に帰した。ヤコブソンは詩を散文から区別する法則を取り出すことこそが芸術理論家のすべきことだと言った。「文芸学が対象とすべきは、文学ではない。文学性、つまり、ある作品を文学作品たらしめるもの、である」(『最も新しいロシアの詩』、p.21)。そのような法則を構成する外的形式の候補として、彼らが研究対象としたのは、音の役割、語彙や統語論、そして韻律的構造であった。

 しかし初期フォルマリズムに見られた論理を素直に追うと、詩は詩的言語で作られているがゆえに詩だ、という理屈になる。一見するとこの言明は論点の先取りのようである。実際、初期のオポヤズには散文と詩はまったく別物として扱うことが未検討の前提とされていたようである。しかし、オクチュリエの言うように(p.17)、あるテクストについて詩か散文かという判断を下す前に、素材を吟味することを通して、そこから詩かそうでないかを区別する手がかりを見いだすことが、本来必要な研究手続きであった。

 この点はフォルマリズム内部から修正がなされた。散文の言語と詩の言語が独立して併存するのではなく、言語という大きなシステムに、詩の「機能」とがある、という変更である。これはプラハ言語学サークルにおいて明確に打ち出された修正点であり、1929年に発表された『第1回スラヴィスト会議提出のテーゼ』第3条項が、「相異なる機能を果たす諸言語の研究に関する問題」として、言語機能の問題について触れていた。さらに、ヤコブソンは後に書いた論文『言語学と詩学』において、言語の6機能として整理したなかに、詩的機能を組み込む形で発展させた。6機能とは、以下の通りである。(1)メッセージの送り手の内面を志向する「情緒的機能」、(2)メッセージの受け手に志向する「動能的機能」(命令など)、(3)メッセージが交わされる状況そのものに志向する「指示的機能」(いわゆるindex)、(4)メッセージの交換そのものに志向する「交話的機能」(「今日はいい天気ですね」)、(5)メッセージを読み取るためのコードに志向する「メタ言語的機能」、そして(6)メッセージの媒体そのものに志向する「詩的機能」である。言葉においては常に6つの機能が階層上になってはたらいており、優位な機能は発話ごとに変わってくる。これならば散文と詩とがそもそも別種の言語だと言う必要がなくなると同時に、諸機能を果たすための言語的装置の抽出という研究パラダイムの実行も可能となるのだ。

 ひとまずまとめるならば、フォルマリズムの根幹となる主張は、文芸作品をその内容ではなく、テクストそのもののはたらきから評価することだったと言える。内容から形式へというこの転換は、20世紀文学理論、特に構造主義と呼ばれる批評の潮流に大きな影響を与えた。たとえばロラン・バルトであり、クリステヴァであり、さきごろ逝去したジャック・デリダといった人びとである(土田・神郡・伊藤、1996)。

5. 手法と構成

 従来、芸術作品の批評は、作品の書かれた時代背景や作者の経歴、あるいは作品主人公の行動や心情といったところを基にしてなされていた。作者に利用可能な資源や物語内容の筋立てが「動機」となって、なんらかの外的形式が創造されると考えられていたのである。しかしすでに見たように、フォルマリズムは従来型の考え方をひっくり返した。動機という概念で言うならば、「文学作品の分析とは、まず第一に、独創性をつくりだしている、ひとつないし複数の手法をあきらかにするこおであり、つぎに、そのような手法がどんなふうに取りいれられているのか、また作者がそれら手法を活用し、合理的に正当化し、『動機づける』ために利用するさまざまな事実、思想、あるいは感情という『素材』がどんなものなのかを示すことである」(p.30)。ある手法を使いたいがために、それに見合った「素材」が選ばれる。外的形式を二次的なものとする従来の文芸観からするとまったく正反対だということが分かるだろう。

 フォルマリストたちは「詩的言語」というカテゴリーから明らかなようにはじめは詩を研究の対象としていた。すでに見たように彼らの分析カテゴリーはそこから言語の詩的機能へと移行したのだが、それとともに詩以外のテクスト、たとえば小説のなかに見られる詩的機能の分析にも手を染め始めた。ここでは1919年に書かれた、エイヘンバウムによる「ゴーゴリの『外套』はいかにつくられているか」という論文から、「手法」「構成」という概念について見ていこう。

 エイヘンバウムはまず、ゴーゴリの作品が彼の「語り(スカース)」の力によって支えられていることを強調する。語りとは字義通り声を通した朗唱のことであるが、それに必然的に伴う、いかに発音するか、いかに間をとるかといった制約、そしてこれらの制約から派生した語りの手法や構成の仕方こそ、彼の作品の基本的組成を吟味するためには頭に入れておくべきことなのである。要は、ゴーゴリの作品は目で「聞く」ために書かれたのだ。たとえば『外套』の主人公の名アカーキイ・アカーキエヴィチは、ゴーゴリ自身が釈明していたように、反復される/k/の音のゆえに選ばれたのである。

 音への志向は、しかし詩作にも適用できる切り口である。散文へと分析対象を拡げたときにフォルマリストたちが新たに行ったのは、「ファーブラ」と「シュジェート」という対概念を持ち出しての議論であった。ファーブラとはストーリーのことで、因果的な関係性を重視した出来事の並べ方である。一方シュジェートとはプロット、筋のことであり、ある効果をねらってなされた出来事の配置の仕方である。たとえば小説に語り手による回想を挟み込むならば、実際に年表のような形式にした場合、つまりファーブラとしてはA(過去の出来事)→B(語りが起こっている現在)という出来事の因果系列となるが、小説のシュジェートとしてはB(現在)→A(過去)という並べ方となる。シクロフスキイは、物語作品にとって、主人公やモチーフよりも、シュジェート、すなわち語り方の方が優位にあることを強調した。また、数多ある物語作品に通底する法則をシュジェートを通して発見しようとしていた。

 そのうえで、エイヘンバウムは次のように言う。わたしたちはアカーキイ・アカーキエヴィチの置かれた悲喜劇的状況に感動するのではない。『外套』という作品の「文体」が読者に悲喜劇的効果を生むのだ。作品中盤に現れる、主人公の果敢な抵抗という山場は、登場人物の心情を分析対象としてきた従来の批評家が高く評価するところである。しかしエイヘンバウムは、その箇所が目につくのは、それまでの地口ばかりの文体から一転して、メロドラマ的文体へと変わったからだと述べる。あくまでも文体の変更に感動の原因を求めるのである。「エイヘンバウムが提案しようとしているのは…心理学的解釈の一切を拒絶し、さらに一般的には、作品のそとのさまざまな要因に助けをもとめる因果律的解釈の一切を拒絶するような方法論的原則である」(p.29)。

 しかしシュジェートとファーブラというこの対立は、後にバフチンによって形式と内容という伝統的対立の単なる言い直しであるとして指摘された。結局のところフォルマリストも、内容を重視して形式を二次的なものとする従来の文学評論と、内容-形式という対立の軸では同じ土俵にいたのだという指摘である。意味内容を捨て去るのなら、それと対立してはじめて意味をなす形式というカテゴリーも捨てなければならない。まったく新しい分析の軸を提案しなければならない。実はフォルマリズム内部から、その提案に近いことがなされていた。後期フォルマリズムの中心人物トゥイニャーノフによるものであり、「構成」という概念の再定式化に基づくものであった。

 芸術作品に対するそれまでの捉え方では、素材と、それを操作する手法とが分けられており、フォルマリズムもそれを暗黙のうちに受け入れていた。トゥイニャーノフは、それらを捉え直し、素材同士の「関係の仕方」、すなわち構成を分析の基本的単位としたのである。「トゥイニャーノフは、素材を『構成』という概念におきかえているが、この概念には、詩の形式、文体、シュジェート、人物、テーマなどといった、作品を形成するさまざまな要素のあいだの機能的な相関関係が合意されている」(p.56)。これによって、「オポヤズが活動を開始した時期に行なった、『形式』と『内容』にたいする伝統的見地の論争的転倒は袋小路に行き着いてしまったが、その袋小路は…『構成』と『志向』という概念によって、のりこえることが可能になってくる」(p.62)。

 ここで彼の言う志向とは何か。「トゥイニャーノフにとって芸術作品は、じつは、『触知可能な』素材の物理的組織に帰着するわけではなく、芸術作品とは、自分に情報と意味を与えてくれる美的意図によってのみ存在するのである」(p.58)。この美的意図のことを、彼は「志向」という概念で捉えていた。志向とは「私たちの知覚にテクストの情報を与え、発話のある一定の切片を詩に変える意図」(p.58)である。つまり志向とは、テクストを読む私たちにとって知覚される、作り手の作為、および観衆の期待と考えられる。挙げられている例として、ある要素の出現が、次にくる要素の出現を期待させると同時に、それ以前に出現していた要素から期待されていたものを満足させることが述べられる。要するに、詩にリズムを読み取る観衆の能動的な知覚、すなわち志向が、トゥイニャーノフの言う構成を成立させるのである。

 シクロフスキイ、エイヘンバウムまでのあいだに進められた外的形式に基づく批評は、芸術作品全体の美的効果を手法の「足し算」(シクロフスキイ『オポヤズについて』、p.325)から求めるどちらかといえば静的なアプローチであった。一方トゥイニャーノフは、作品内に張り巡らされた相互的関係性と、そこから多様な解釈を導く読み手のダイナミックな知覚に基づいたアプローチへと軌道修正したのである。このことの持つ意義を、オクチュリエは高く評価する。なぜなら後の構造主義的文学批評やバフチンの文学理論との共通性が指摘できるからである。

 特にバフチンとフォルマリズムとの関係は、バフチンを知る意味でも、また20世紀前半のロシア文学史全体を視野に納める意味でも、押さえておくべき問題である。オクチュリエはこれについても1節を割いて議論するが、もうそろそろいいだろう。あとは別の話である。

6. ふたたび、ヴィゴツキー

 フォルマリズムという運動について駆け足で眺めた。乱暴なのは承知のうえで彼らの研究態度を一言でまとめるなら、分析対象を「外に現れた言葉のかたち」だけに徹底的にしぼるものだったと言えよう。

 ここでふたたび、当初の問いすなわちヴィゴツキーに戻ってみる。ヴィゴツキーの著作にはフォルマリストの名も見られる。その中で重要なのは、ヤクビンスキイであろう。ヴィゴツキーの著作におけるヤクビンスキイの位置づけについては、Wertsch(1985、4章)やvan deer VeerとValsiner(1991、15章)にまとまった記述がある。

 Wertschは、意味についてのヴィゴツキーの理論が、彼の高次精神機能に関するモデルを理解する鍵となる、と主張する。その上で、1915年から1925年の間にヴィゴツキーが書いた文芸理論、およびそれに影響した多くの文学者は、意味についての理論を検討する際には重要だと述べた。そこできわめて重要なのが、ヤクビンスキイの「対話論」である。

 ヤクビンスキイの対話論がヴィゴツキーに与えた影響として、Wertschは2点挙げる。第一に、独話形式と対話形式とを比べたとき、後者の方がより自然で、発生的に先行する。独話形式は人工的なもの、発生的に後にくるものだ。これはヴィゴツキーの『思考と言語』全体の主要なテーマであるところの、自己中心的なことばの発達的位置づけの問題と関連づけられる。すなわち、言葉(正確には、話し言葉)ははじめ社会的コミュニケーションで機能し、のちに個人の内面に転化して自己内での対話、すなわち反省的思考のための道具となる。

 第二点は自己内での発話がいかなるものかという問題と関連づけられている。Wertschの説明によれば、ヤクビンスキイは対話を明示性の低い形式、独話(たとえば書き言葉)を明示性の高い形式として、それぞれとらえていた。親しいもの同士の対面式の対話では、話し手と聞き手の両方に共通の文脈が与えられているため、明示される形式は小さくてすむ。ほのめかすだけでも十分となる。このことを説明するためにヴィゴツキーが持ち出している事例(トルストイ『アンナ・カレーニナ』)は、ヤクビンスキイが使用していた例を踏襲しているという(van deer Veer and Valsiner, 1990; Wertsch, 1985)。

 以上のように、フォルマリスト(正確には、ヤクビンスキイただ一人)が後期ヴィゴツキーの主要テーマに多大な影響を与えたことは確かである。しかし、『思考と言語』から少しさかのぼって『ハムレット』『芸術心理学』までたどるとどうか。『芸術心理学』では初期フォルマリズムが批判の対象になっているし、『ハムレット』にいたっては明らかに象徴主義や神秘主義の強い影響が見られる。

 これら2つの時期を比較したとき、ヴィゴツキーとフォルマリズムとの関係はますます謎めいてくるのだ。もちろん、いかなる主張でもすみからすみまで諸手を挙げての賛成を得ることは少ないだろうから、ヴィゴツキーのように、フォルマリズムの主張の一部に賛成、一部に反対だという人がいても何も不思議なことはない。しかし、フォルマリズムの大前提である「外に現れたかたち」へのこだわりにまでさかのぼったとき、それに対してヴィゴツキーはどういう態度をとるのか。この点は慎重に検討しなければならない。なぜなら、ヴィゴツキーの言語論では、内化に象徴されるように、個人の外と内とをどのようにしてつなげるのかがきわめて重要だからである。

 私見では、ヴィゴツキーにとって最終的に明らかにしたい目標は個人の内面であった。その点でフォルマリズムとは決裂する。フォルマリズムにとって主人公の内的な動機はあくまでも二次的なものだからである。

 ここで、ヴィゴツキーのように個人の内面というものを広く認めたとき、「他者の内側」という「絶対に到達し得ない向こう側」に突き当たる。そして「永遠の彼岸」とはヴィゴツキーの『ハムレット』に通底するテーマである。

 フォルマリスト・ヤクビンスキイとヴィゴツキーが唯一の意見を一致させるところの対話論は、他者を必須の要件とする。私がコミュニケーションしようとする相手とは、その内面を永遠に悉知しえない他者にほかならない。そのような他者とのやりとりが、ひるがえってみずからの思考を組成する。言い換えれば、みずからの思考を組成するのは、悉知しえない内面を含み持った外的形式(他者がどのような「意図」をもってしゃべったのかは知り得ない)である。

 言語的思考がそもそもそのようなものだとするならば、わたしたちは本質的に知覚可能な表面とそれができない永遠の彼岸とを重ね合わせながら思考をしていることになる。よく、ヴィゴツキー=バフチンの対話論は、個人のうちに住まわせた他者との反省的な対話を説明するために担ぎ出されるが、上の図式をそのままもってくるならば、思考とは実は対話ではなく「鼎話」、すなわち三重の会話なのではないだろうか。つまり、もとからあった思考、内化され反省的機能を持つに至った言葉、そして「言葉の裏」である。

 ここに展開した議論はまだ不十分であるが、ヴィゴツキーとフォルマリズムを並べたときに浮かび上がるひとつの問いだろうと考えているし、それが正当に問いと認められるなら、おもしろい議論がそこから生まれるだろうとも考えている。


文献

アレクサンドル・エトキント 武田昭文(訳) 1997 文芸学者ヴィゴツキー:忘れられたテクストと知られざるコンテクスト 現代思想、25(4), 214-241.

ローマン・ヤコブソン 北岡誠司(訳) 最も新しいロシアの詩:素描一 水野忠夫(編) ロシア・フォルマリズム文学論集1 せりか書房 pp.7-193.

桑野隆 1996 夢みる権利 東京大学出版会

オシップ・マンデリシターム 斉藤毅(訳) 1999 言葉と文化 水声社

ヴィクトル・シクロフスキイ 松原明(訳) 1988 手法としての芸術 桑野隆・大石雅彦(編) 1988 ロシア・アヴァンギャルド6 フォルマリズム 国書刊行会、pp.20-35.

ヴィクトル・シクロフスキイ 坂倉千鶴(訳) 1988 言葉の復活 桑野隆・大石雅彦(編) 1988 ロシア・アヴァンギャルド6 フォルマリズム 国書刊行会、pp.13-19.

ヴィクトル・シクロフスキイ 近藤昌夫(訳) 1988 オポヤズについて 桑野隆・大石雅彦(編) 1988 ロシア・アヴァンギャルド6 フォルマリズム 国書刊行会、pp.319-326.

土田知則・神郡悦子・伊藤直哉 1996 現代文学理論:テクスト・読み・世界 新曜社

van der Veer, R., and Valsiner, J. 1991 Understanding Vygotsky: A quest for synthesis. Oxford, UK.: Blackwell.

Wertsch, J. V. 1985 Vygotsky and the social formation of mind. Cambridge, Mass.: Harvard University Press.

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