015-ある幇間の語り

悠玄亭玉介 小田豊二(聞き書き) 1995 幇間の遺言 集英社

 幇間,と書いて,たいこもち,と読むこともあるね。だけどそもそも幇間ていうのは「間(ま)を幇(たす)ける」ことだ。宴席の間をもたせることだけど,これが実に難しい。我を出し過ぎちゃいけない,しかし引きすぎてもいけない。この妙が,幇間の芸の髄なんだ。

 芸者をあげての遊びなんかしたことがなけりゃ,いや,そもそも郭に大人の遊びが残ってた時代から外れてしまってるのが今だから,幇間の芸を見る機会はないだろうね(世の中が,磊落な大人を許さなくなってる,ってこともある)。そんなやつからしたら,幇間はたいこもちで,落語「愛宕山」に出てくる,「旦那,いよン,こんちまたまた,立派なお召し物を…」てな具合でいやにまとわりついてくる,ああいう人をイメージするだろうね。そうそう,漱石の「坊ちゃん」に名が出るので有名な「野だいこ」は,見番(けんばん,芸者や幇間の取り次ぎをするところ)に所属しないで,道を歩いてつかまえた旦那衆に取り入るやつのことをいうんだ。いや,芸を見る機会のないのも当然かもしれないよ。なにしろ,明治大正の頃は400はいたという幇間も,いまでは十指に足りないほどだっていう。

 郭がなくなったり,当の幇間が死んだりやめたりってこともあるけど,このせいばかりじゃないよ。芸を味わう客もいなくなった。芸人と客の関係がなれあいになった。これじゃあ,若い芸人が育つはざない。芸は血じゃあない(のだよ,花緑さん),育ててもらうもんなんだ。今はまず,客を育てなきゃあならない。なれあっちゃいけないからって,じゃあ勝負なのかといえば,そうでもあるし,そうでもないね。どうしてか。

 芸人は最後には必ず負けなければならないって,あらかじめそう決まっているからだ。始まる前から勝負はついてる。この,どうやって負けるかってのが芸なんだ。反対に,勝つってことは実はみじめなことなんだ。美しくない。いい客ってのは,美しく勝つことに腐心するやつのことなんだ(たとえば歌舞伎でも観に行ってみな,「おたァやッ」て大向うからいいタイミングで声でもかかれば,役者ものるってもんだよ)。だから,負けるまでが見事なら,これは芸人の勝ちなんだ。

 ん?言ってること,分かりにくい?そう,分かっちゃいけない。分けられないことも,世の中多いからね。

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