FW1 6-9

     nor had topsawyer’s rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County’s gorgios whole they went doublin their mumper all the time:

 オコネー川の流れに臨むトップソーヤー岩が積み上がり、ローレンス州のジプシーでない人々がいつもジプシーを倍々にしたのもすでに先のこと。

 この節について、Joyceは次のメモを残している*2
 Dublin, Laurens Co, Geogia, founded by a Dubliner, Peter Sawyer, on r. Oconee. Its motto: doubling all the time
 アメリカ合衆国、ジョージア州Georgiaローレンス郡Laurens Countyにはダブリンという街がある。ジョイスは、この街の創始者をPeter Sawyerとしているが、こちらではJonathan Sawyerだとされている。Oconeeもアイルランド起源の名だろう。
 前節とのつながりから言えば、海を渡る人々はついに北アメリカNorth Armoricaに到達、生まれ故郷の名をその地に残した。Laurensは、Sir Tristramの別名でもある。

 topsawyer’s rock: オコネー河岸の地層*1。オーストラリアのエアーズロックAyer’s Rockを読み込む向きもあるが、どうだろう?
 top sawyer: 通常の意味では、「上役」「木挽きsawyerの棟梁top」。しかし、トウェインの書いたトム・ソーヤTom Sawyerでもある。その友だちはおなじみHuckleberry Finn。彼もFinn-egansのひとりだ。
 rocks: 複数形で「睾丸」。身体のレベルで読めば、topは「頭」を指す。

 exaggerare: ラテン語で、「土手を築くことto mound up」*1

 themselse: them+else他の彼ら、themselves彼ら自身。自分自身でありつつ他の誰かでもある。Joyceは"themselse= another Dublin 5000 inhabitants"*2とメモを残している。つまり、もうひとつのダブリンに住む別の人々のことでもあるだろう。

 mumper: 俗語で、「混血のジプシー」。*1

 doublin: Dublin、倍増doubling、babbling?

 gorgios: 華麗なgorgeous、ジョージア州Georgia。Laurens County’s Georgiaと、行政レベルが逆転している。
 gorgo: イタリア語で、「渦巻き、混乱、騒ぎ」。*1
 gorgio: ジプシーのことばで、「非ジプシー」。*1


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. pp.316-7

こんなサイトが

 検索サイトで調べものをしていると、多くの場合、検索結果の上位にWikipediaの項目が引っかかってくる。

 詳しいし、便利なので、リンクを張りたい衝動に駆られるのだが、なんだか負けたような気がして、なるべくそれはしないようにしている。読みにとって、語の定義や百科辞典的知識が重要なのではなく、連想が重要だからだ。

 そんななか、こんなサイトを発見してしまった。

 Finnegans Wiki

 うひー。便利な世の中になったものだ。

FW1 4-6

     Sir Tristram, violer d’amores, fr’over the shot sea, had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war:

 Sir Tristram…had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his panisolate war: トリストラム伯爵が、半島戦争を支配すべく闘うために、北アルモリカからこちらがわヨーロッパ・マイナーのごつごつした地峡へ、ふたたびやって来たのはまだ先のこと。

 Sir Tristram: サー・アモリー・トリストラムSir Amory Tristramは初代のホウス城伯爵。アルモリカの北、すなわちブルターニュ地方に生まれ、後に聖ローレンスと名前を変えた。
 トリストラムはトリスタン(pdf)も連想させる。ワーグナーの歌劇で知られる、トリスタン物語の主人公。彼はブルターニュで育ち、コーンウォールに戻る。その後叔父マルケ王(King Mark)の妻となるべきイゾルデを迎えにアイルランドへおもむく。
 この一節は、海を越える人々のモチーフ。

 violer d’amores: viola d’amoreヴィオラ・ダモーレ。7本の弦がはられた擦弦楽器。
 violer: フランス語で「侵犯するviolate」*1
 d’amore: イタリア語で、「愛のof love」。

 fr’over the shot sea:
 shot sea: short sea。航海用語で、「短距離海路」。たとえば、short sea shippingは「短距離水上交通」。
 short seaは「不規則に波打つ海面」という意味でもあるようだ。また、上に書いた「short sea = 短距離海路」はちょっと怪しくなってきた(8/16追加)。

 passencore: pas encore(フランス語で、not yet「まだ~しない」)
 passencore: "pas encore and ricorsi storici of Vico"*2 ricorsi storici(ヴィーコの歴史循環説との関連)
 had … rearrivedとpassencoreは矛盾する。すでに起きたことが、これからもう一度起こるという歴史の循環。

 North Armorica: アルモリカはフランス北西部、ブルターニュあたりの古い名。同時に、North Americaも指す。

 Europe Minor: 小アジアAsia Minorではなく、「小ヨーロッパ」。小アジアは、現在言うところの、ボスポラス海峡を挟んだトルコの東側、アジアの西端。したがって、ヨーロッパの西端、ブルターニュ、ブリテン、アイルランドあたりを指すものと思われる。

 isthmus: Isthmus of Sutton*2。サットンとは、ホウス岬の付け根にあるあたり

 weilderfight: 振りかざすwield+闘うfight。
 wiederfichten ドイツ語で、「再戦refight」*1

 penisolate war: ナポレオンの起こしたイベリア半島戦争のこと。この半島は、同時に、トリストラム伯のいるホウス岬や、トリスタンのいるコーンウォールも示す。
 penisolate: ペンpen+孤立したisolate。孤独にペンを走らせる戦い。ジョイス自身の像かも。

 この節全体が、いくつかのレベルで読める。上に書いたのは地誌的、歴史的、神話的レベルでの読みであるが、viola d’amoreで音楽のイメージが沸くと、Minorは「短調」の意味にとれる。また、セクシャルなレベルは常に考えておかねばならないから、penisolate warにペニスの戦いを見て取ることもできる。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. p.317.

こちらも開闢

 Finnegans Wakeの読書記を書き始める初日に設定した8月12日、妻が子どもを産んだ。まったくの偶然なのだが、とてもおもしろいし、なにか怖ろしい。

 予定日は10日だったがいっこうに気配なし。11日朝、破水。そのまま入院。

 陣痛を起こさないといけないので経口で促進剤投与、10分間隔から5分間隔で陣痛来るようになる。

 一晩経ったが陣痛が遠のいていく。仕方ないので、12日朝から点滴で促進剤投与。陣痛激しく来る。

 14時、LDR入室。ひどく痛そうだ。ほぼ1分おきにくる痛みに助産師さんがマッサージ。

 17時34分、誕生。約3500g、男の子。

050812.jpg

 両親とも頭のでかいことを自認していたので、生まれてくる子もたぶんそうだね、と笑いながら半ば冗談で話をしていたが、やはりでかかった。でっかいことはいいことだ。

 研究者としての性か、LDRに入ってからのほぼ一部始終をビデオに収めた。妻からは「破棄せよ」の命が下っているが、ダイジェスト版にしてとっておく。

FW1 1-3

     riverrun, past Eve and Adam’s, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.(FW 1)

 riverrun: riverain(川辺)、riveran(イタリア方言で、「到着するだろう」)*1

 riverrun: 見た目は、riverとrunの合成。OEDには、nonce-word、つまり1回しか使われなかった語として登録されている。意味は、”The course which a river shapes and follows through the landscape. “ これはそのまま、FW冒頭のこのパラグラフがもたらす読みの1つのレベル、すなわちダブリン周辺の地誌を示す。とすると、riverはリフィー川を指す。
 がしかし、あらゆる「流れるもの」の象徴と捉えておきたい。川の流れはもちろん、人類の起源から現在にいたるまでの歴史の流れ、人間のボディラインの流線型、そこから流れ出るあらゆる体液の象徴でもあるだろう。

 Eve and Adam’s: ダブリン、リフィー川岸マーチャント・キーMerchant Quayにあるカトリック教会Adam and Eve’s。名の由来は、かつて教会に入っていたパブ(public house)。なぜ教会にパブが?リンク先の案内によると、どうやら法律(the Penal Law)でカトリック礼拝が禁止されていた頃に、建物がパブとして利用されていたらしい。
 もちろん、聖書での最初の人類、アダムとイブも指す。しかしFWではイブとアダム、騎乗位になっている。

 from swerve of shore to bend of bay: 岸shoreの曲がりswerveから湾bayの曲がりbendへ。sとbの頭韻にしたがって語が選ばれている。

 by a commodius vicus of recirculation: 再循環するa commodius vicusにそって

 commodius: commodious(広い)に、ローマ皇帝コンモドゥスがかけてある。

 vicus: 地誌的にはドーキーにあるVico Road、同時にイタリアの思想家ヴィーコVicoも指す。ヴィーコの歴史循環説は、FWを支える思想的屋台骨でもある。「この本は全体がイタリア人思想家…の理論の上に成り立っているのですから」*2。これは、1940年1月9日付のジョイスの手紙の一節だが、「この本」とはFWを指し、「…」にはヴィーコが入る、とEllmanは言う。

 vicus: ラテン語で「路、村」。vicus of recirculationは、vicious circle(悪循環)*1

 brings us … back to Howth Castle and Environs: ホウス城周辺へとわれわれを連れ戻す。

 Howth Castle: ダブリンの北東に位置するホウス岬に建つ城。

 Howth Castle and Environs: なぜEが大文字に?HCEを強調するため。HCEとはFWの主人公、Humphrey Chimpden Earwickerのイニシャル。これは同時に、Here Comes Everybodyの略。つまりは、この世に来るすべての者のこと。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. p.403.

開闢二日前

 世に自然科学者と呼ばれる者が魅力を感じるフィクションのベスト10というものがあるとするならば、おそらく、Lewis CarrollのAliceと、JoyceのFWはどこかにランクインするだろう。

 自然科学者がアリスに惹かれる理由は、Carroll = Dodgsonが数学者だったから、ではない。Carrollは徹底して子どもに向けて書くことに努めた。数学者としてではなく、子どもを楽しませるおじさんとして書いた。ということは、子どもが惹かれる世界とは、結局のところ、科学者が惹かれる世界でもある、ということだ。

 たとえば、鏡である。左右は反転するのに、なぜ上下は反転して見えないのかという問いは、いまだに第一級の謎である。そしてまた、あべこべとは子どもがゲラゲラ笑い転げる第一級のジョークである。

 FWはどうか。

 FWが自然科学者好みだというのは、別に、Murray Gell-Mannが物質の極小構成要素にquarkと名付けたからではない。Gell-Mannは、名付けを与える前からFWを読んでいた。そして、それとは別に、構成要素に「クォーク」という発音を与えていた。だから彼は、FWにquarkという綴りを「発見」したのである。

 発見、それこそが、FWを読むという作業と、自然科学という作業の似ているところであり、科学者を惹きつける所以であろう。自然と同様、FWというテクストも、われわれの眼前に、ポンと投げ出されている。そしてどちらも、それ自身の構造を持つ。

 自然科学者は、目の前にありながら(そして自身、その帰結でありながら)いまだ判明していない自然の構造とその運動を探り、少しずつ何かを発見する。

 FWも似ている。FWはあいまいである。一義性からほど遠いからこそ、複数の解釈が同時に潜在することができる。ひとつの解釈を見出すと、そこから連想される別の事象へのリンクが発見される。そのリンクは潜在的にはすでにテクストに書き込まれていたはずだ。発見とは潜在性をひとつの現実態にするはたらきのことである。

 PCを生活や仕事の一部として、もう何年経つだろう。ブラウザを立ち上げた回数も数え切れない。それだけインターネットが生活にくいこんでいる、ということだ。

 しかしそれだけなじみがあるはずのものでも、日常的なネットサーフィンだけでは到達できない彼方がある。それはわたしからは見えなかっただけで、潜在していたことは確かだ。そしてわたしはそうした彼方を発見するだろう。FWの読解という作業を通して。

開闢七日前

物事は唐突に始まる、かのように見えるものだ。しかし実際には、見えぬところで準備的な振動は起きている。

地震だってそうだ。大地の微細な運動がつもりつもって起こる。決して超越的な鯰の意志が介在しているわけではない。

自身のウェブサイトに生活の記録を取り始めて4年になる。2001年の年も押しつまったころに始めた。4年間、実に取るに足らない、些細な運動に表現を与えてきた。

その表現を、少し違うスタイルに移し替えることにした。突然そういう気になったのだ。しかし実際には、やはり自身気がつかぬところで、スタイルに変化を起こそうとしていたのだろうと思う。

作り始めると簡単にできた。FTPとは何だ、とか、CGIとは何だ、とか、手探りでやっていた4年前とはだいぶ勝手が違う。

書く内容は以前と変わらぬ。日々の運動、購入した本のこと、など。

これに、付け加えることにした。Joyceの手になるFinnegans Wakeの読み解き記録である。できれば毎日、1、2行ずつ、ともかく原文を読む。

これがどういう本であるかはまだ詳しく書かない。次第に明らかになってくるだろうから。ただこうは言っておく。

かつてこの本を日本語に訳した柳瀬尚紀は、確かこう言った。Finnegans Wakeを読んでいると、当のテクストの外に広がるさまざまな事象に回路が開かれる、と。回路が開かれる?

外に回路を開いていくのは、WWWの得意とするところだ。そのために設計されたのだから。

私という輪転機を経て開かれていく回路を余すことなくここに書きつけていこう。そういう読みを許す本、否、そうしなければ読めない本なのである。

では。7日後にオープンする。

敬白

2005年前半の日記より

050809
 ブログを始めました。しばらくはこちらと併走することとなりますが、そのうち、どちらかが自然消滅するような気がします。
 とりあえず、日常の雑感はこちらに書くこととして、ブログの方はFinnegans Wakeを中心に書き進めていくことにして使い分けようと考えています。
 Niftyのココログを利用しているのですが、なにしろ細かい部分までは思ったようにデザインし尽くせない。これはやってみて分かったことですが、この辺が既存のブログサービスのいいところでもあり、悪いところでもある気がします。見栄えのいいものがすぐに作れるわりに、作り込みたい人には物足りない。その点こちらは、慣れているということもあるのでしょうが、自分の好きなように作れる。
 ま、始めたものは仕方ないので、自然ななりゆきに任せて、当面はこちらも残しながら様子を見ます。
 ほいじゃまた。

050803
 8月。三十路に入りました。さようなら二十代。
 先日、全学的なイベントとして、高校生を対象としたオープンユニバーシティが開かれました。担当する学部委員会のメンバーだったため、1日中高校生相手の仕事に忙殺されました。今回のぼくの役目は、写真撮影と、施設見学の引率です。
 ぼくのいる学部の場合、市内の高校からの入学者が大半を占めています。今回のオープンユニバーシティでも市内の高校生がほとんどでしたが、その中にあって、津軽海峡を越えてやってきた方も何人かいて、目立ちました。卒業時にとれる資格や、入試情報について、真剣に聞いてくる学生もいて、こちらも生兵法ながら真剣に答えます。
 And now for something completely different.
 カミさんが「行列のできる法律相談所」が好きで、毎週見ている。タレントたちの馬鹿話が嫌いなので(紳助のしゃべりは大好きなのだが、ほかの人たちが粋でない)ぼくは見ない。それでも、テレビの脇を通り過ぎる際にどうしても話は耳に入ってくる。
 登場する弁護士のなかには、いかにもプロ然として、相談例に判断を下す人もいるのだが、一方で、法律云々という次元の外から判断を下す弁護士もいる。たとえば近所づきあいのトラブルに対して、「常識で考えれば…」という判断基準を示すのである。
 弁護士が常識を持ち出すのはどういうわけだろうと、いかにも理路整然と法律に照らし合わせた判断を下す方の弁護士を評価していたのだが、こないだから、そうでもないなと考えるようになってきた。
 要は、なぜご近所のトラブルが起こるのか、そこになぜ実定法が介入する余地があるのか、換言すれば、なぜ近隣の人付き合いにおいて起きた感情のゆくすえを弁護士という制度的役割をもつ第三者に任せられるのか、という問題なのだ。
 常識的な、大人のつきあいかたができていれば避けられるトラブルもあろうし、たとえトラブルが起きたとしても、それをどこの馬の骨とも知らない第三者に裁かせることなく、当事者とその共同体のメンバーでなんとか丸くおさめることもできよう。実際に、かつての日本では、そういうふうにしていたことがあったわけだ。
 たとえば宮本常一の『家郷の訓』を読むと、あるいは小津安二郎監督の『お早よう』を観ると、そのことがよくわかる。ご近所トラブルはいつの世もあった。しかしそのおさめ方もご近所に生きる者はみな身につけていた。そこに住む大人には、ご近所のメンバーになるための世知があるのが当然で、子どもはそうした世知を身につけるよう早くから育てられた。世知がなければ、笑われるのだし、それは恥ずかしいことだった。
 弁護士と相談者の分業とは、結局のところ、大人の世知をみずから他人に売り払う所業だったのではなかろうか。そう考えると、弁護士という役職にありながらも、常識を持ち出す彼は、ある価値観からするとしごくまっとうなことを言っているわけだ。

050721
 非常勤先での講義が終わった。全14回、新生児期から老年期まで、発達心理学のトピックを紹介するというもの。来週は試験である。
 終わってみると、なにしろ勉強になった、というのが率直な感想だ。
 講義の準備のために毎週休みなく本を買ったり借りたり読んだりコピーしたりと資料漁りに奔走したし(単なる自転車操業だとも言う)、それが勉強になったというところもある。しかし、やはり自分がまったく知らないテーマはどう逆立ちしても話すことかなわぬわけであり、ついつい自分が予備知識をもつことに話す内容がかたよる。その意味では勉強ではなかったわけだ。勉強せずとも知っていることを話したわけだから。
 むしろ、自分が普段通わない大学に入り込み、その実務的なしくみの対応に追われながら、普段の生活を見ることのない学生と接し、かれらに話しかけ、またかれらの話に耳傾ける。こちらの方がはるかに勉強になった気がする。
 最後の講義、全体を通しての感想をリアクションペーパーに書いてもらったが、レジュメや資料の工夫がよかったとしてくれた者もいた。が、学生に観てもらった、自閉症児を追ったドキュメンタリービデオ(K藤さんからいただいたものです。ありがとうございます)の評判がいちばんよかった。やはり心中複雑なのである。
 最終講義明けて本日、人生初人間ドックへ。人生初バリウムを飲む。イチゴ味だった。詳しい検査結果は後日郵送されるようだが、どうやら何も問題はないらしい。尿酸値やZTTには、「↑」マークが付いていたが(つまり標準値より高い)、並はずれて高いわけではないようだ。ただ、体重は落とせ、とのこと。

050712
 手足の指先がちくちくと痛む。すわ糖尿病かと、近くの内科を受診し、血液検査をしてもらうが、血糖値は異常なしとのこと。もう少し詳しい検査結果は後日、ということで数日してから再診に行くと、わずかながら尿酸値が高いようだ。なあんだ、糖尿じゃなくて痛風か。…飲み過ぎですね。
 転ばぬ先の何とやら、運動不足の解消に、野球中継を観ながら4年くらい前に通販で買ったエアウォーカー(空中で歩行するトレーニング器械)をせっせとこいでいる。部屋の片隅におしやっていたものに日の目を当てた。目標は1日三千歩。…少ないなあ。それでも30分もこいでると汗だくになるのだ。
 8月で30だし、もうすぐ子どもも生まれるし、保険にも入ったし、ちゅうわけで来週は人間ドックを受診するぞ。わんわん。
 わんわんと言えば、妻は広島カープのボールドッグ、ミッキーちゃんの大ファンである。数少ない登板試合のあった先日、広島-巨人戦は雨で流れた。札幌でミッキーをテレビで観られる数少ないチャンスだったのに、かなわず。機嫌悪し。

050703
 なんとなく、トップを変えてみた。「IRELAND」ロゴの背景にあるのは、アイルランド西部、ディングルという半島の先端に位置する、古い時代のキリスト教の遺跡で、ガララス礼拝堂と呼ばれるもの。
 お茶のお稽古のあと、カミさんと待ち合わせて夕食。ボーナスが出たし、月イチの贅沢だからと、三徳六味へ。なんとマスターはこのページをご覧になっているそうだ。なんとまあ、お恥ずかしい。
 万願寺とうがらしというものを初めて食べた。大人が掌を広げて、手首から中指の先ほどの長さもある、大きなとうがらしだ。しかし、辛くもなく、素焼きにすると甘みが出ておいしい。空豆や冷製茶碗蒸しなど、目と舌で夏を感じる夕食でございました。

050617
 ヤフオクで下の2冊を落札。合計7450円(送料込)。どこの古本屋を探しても、とうとう見つからなかったもの。コピーは持ってるんだけどね。マニアだなあ。

050609
 昨夜は、サッカーワールドカップ予選で日本が勝った。大阪ドームでは阪神が勝った。今岡はすごいけど、藤川が心配だなあ。
 勝利の瞬間の2時間ほど前、非常勤の講義をしていた。授業の進行は、いつもはPowerPointを使っている。講義の前日の晩までかかってヒイコラ言いながら、おまけにアニメーションなどにもこりこりに凝って作っていた。
 それが、たまたま今回の講義内容が学校的しくみについてだったため、教壇に立たずにやろうと決めていた。だから紙のレジュメと資料、そこに話術を駆使するごくオーソドックスなスタイルでやってみた。
 講義後、返ってきたリアクションペーパーに、「このスタイルの方がいいです」というものがあった。
 複雑である。

050607
 もう6月だ。早いなあああ。
 今週の日曜は朝から働きづめだった。とは言っても本来の業務でではなくて、お茶会のお手伝いとして働いたのである。
 お茶の先生のご自宅を利用して、チャリティ茶会が催された。先生の先生、あるいはお知り合いや他の社中の方々が参加する。勉強を始めたばかりのぼくの役割は、受付とお茶運び、その他雑用であった。他のお弟子さんたちもてきぱきと働いている。
 なにしろお茶会などはじめての経験、しかも結構偉い人も来ているらしく、ひとり緊張していた。お茶運びですら緊張していて、呂律が回らないは、足の運び方もすっかり忘れるはで、終わればぐったり。
 それでも暇な時間を見つけて、お弟子さんたちと一緒に食事をとったり、小声でおしゃべりをしたりと、普段話をしない方たちともうち解けることができた。
 こうしたお茶会とは、言ってみれば、普段のお稽古の成果を外部に見せる場である。これまでぼくはそうした場を見ることなく、とにかく型を知ることだけがお茶の学習プロセスと考えていた。しかしどうも違うようだ。お茶だけでもない。他の道具との全体的な組み合わせの中にお茶やそれを点てる所作がある。
 お稽古で身につける型を超えたところで、お茶や道具や所作の美しさを楽しむ余裕が出てくるのだろうな。
 それにしても、なんでお茶はこれほどまでに女の世界なのだろうか。数字で示すと、お客様33名中、男は2名。スタッフ16名中、男は2名。おとこ率は全体の8%である。
 一方で、お家元は男なのだ。これは歴史的に、千利休に始まる流派をどう維持するかという問題である。おとこ率の低さの問題は、裾野の広まる過程に目を向けることによって現れる。きっと、歴史のどこかで、おとこ率とおんな率の逆転が起きたはずなのだが、それはいつ、どのようにしてだったのか。
 そんなことを考えながら受付に立っていた。

050523
 高校時代の友人の結婚式があり、岡山へ。実は中国地方初上陸だったりする。あとは…四国だな。
 式は滞りなく進んだ。高校の頃はそれこそ毎日のように顔を合わせていた仲だが、別の大学に進んでからはちょっと疎遠になっていた。人生の大事なときに、わざわざ北海道から呼んでもらったことが嬉しい。Kくん、Mさん、おめでとう。
 同席していた高校時分の同級生2人と連れだって、繁華街から少し外れた路地にある居酒屋「佐久良家」へ。ここは太田和彦さんご推薦の店であった。サワラとカツオのたたき、黄ニラのおしたし、ママカリの酢漬け、鯛の白子、どれもこれもうまい。しかも、安い。ああ、月曜までいられたらまた来るのに。

050519
 ぼやぼやしているうちにいろんなことがあった。
 先週末は名古屋へと。共同研究の相談をしに。けっして森蔵や木ッ頃を見に行ったわけでは。共同研究仲間のご夫婦の新居にあつかましくも2晩泊めてもらった。朝食もおいしゅうございました。おみやげに、新人類へと、絞り染めの切れ地でできたクマのぬいぐるみをいただきましたよ。
 アイルランド旅日記、後半部分をいいかげん書こうと思う。今は自転車操業の非常勤をしているので8月くらいになると思うけど、その準備にと、1997年の記憶を懸命に引っぱりだしている。
 自転車操業と言えば、今週の非常勤では用意していたことの半分しかしゃべれなかった。やむなく残りは来週に回すことに。やはり専門の領域にくると、話したいことが山ほどある。来週は「幼児の自己」についてなんだけど、果たしてまともに話せるのか。
 あ、そうそう。吾妻ひでおさんが『失踪日記』で第34回日本漫画家協会賞大賞を受賞しました。おめでとうございます。星雲賞以来ですね。

050502
 『comic新現実』4号を買う。もちろん吾妻さん目当てだが、香山リカの本名とか弟のこととか札幌出身(生まれは小樽らしいが)だとか知ったことも収穫であった。そーか、あのサングラスにマスクの男も、つながり眉にくちさけの男も、蛭児神健だったのね。

050420
 1955年4月18日深夜、アメリカはプリンストンでアルバート・アインシュタインが死んだ。今年はそれから50年目にあたる。
 さかのぼって1905年、Annalen der PhysikにZur Elektrodynamik bewegter Korper(運動する物体の電気力学について)と題する論文が載った。書いたのはアルバート・アインシュタイン、ここから相対性理論が出発した。今年はそれから100年目にあたる。
 昨夜、つまり2005年4月19日午後8時すぎ、プリンストンを出発した光の明滅が日本を通過した。「光のリレープロジェクト」と題されたイベントのためである。宇宙から見ると、闇の塊が、地上をすべるようにして、地球を一周するはずなのだ。
 ちょうどそのときぼくは、お茶をいっしょに習っていたアメリカ人Jさんが急に帰国するということで、師匠と3人で、三徳六味で食事をしていた。マスターや他のお客さんにお願いして、札幌市豊平区を通過する午後8時20分から2分間だけ、店の明かりを消してもらった。みんな、快く協力してくれた。ありがとう。
 Jさんになにかおみやげをもっていってもらいたかったのだが、いいアイディアが浮かばなかったところ、この企画を聞いて参加を思いついたのだった。これからアメリカに帰る人といっしょに、アメリカを出た闇を迎えた。
 お元気で。

050414
 昨日から某所にて非常勤講師を始めた。心理学というタイトルで全学対象の1コマである。
 中途半端な時間帯に開講していたため、受講者がむちゃくちゃ少ないか、逆にむちゃくちゃ多くなるか、どちらかだとは前から聞いていた。
 教務の方に案内されて教室にはいると、前者であることが判明。8名である。もちろん履修申請をしている学生はもう少し多いのだが。
 初回だったので、全部で13回の講義でどういう内容を話すのか、ざっと説明する。心理学という講義名で任されていたのだが、広すぎるので、ここらできちんと自分自身の視点を作っておこうと、生涯発達心理学を教えることとする。ある時期から、単に「発達」ではなくて「生涯発達」というふうに呼ばれるようになった、というところがポイントなのだね。
 イントロとして、妻の本棚から持ち出した手塚治虫『火の鳥 宇宙編』を見せる。異星の住民を虐殺した宇宙飛行士の牧村は、乳児と大人とのあいだの往復を永遠に繰り返すという罰を受けた。心理学者が言う「ライフサイクル」というのは、生物学由来のものであり、世代間で反復する生活形態という意味である。牧村はこれをひとりで永遠に体現しなければならない。これは一つの個体には荷が重すぎる。だからこその罰であった。
 ひとりの人間が生まれてから死ぬまでの川の流れのようなひと連なりを言うのであれば、「ライフコース」の方がイメージとしては適切かもしれない。しかし、次の世代をどうするか、そして、旧い世代とどう向き合うかということが課題となる成人期にさしかかりつつある学生さんにとっては、ライフサイクルの方もきちっと考えてほしい。そのための視座を半期かけて提供していく予定である。
 次回講義は、「生涯発達心理学とは何か」というタイトル。イントロは、藤子不二雄『山寺グラフィティ』。話題はムカサリ絵馬である。

050405
 お茶の稽古。アメリカ人Jさんが和装を着ていた。買ったばかりだそうで、帯が堅く、歩くたびにキュッキュと鳴るのがおかしい。
 今日は他の生徒さんが「貴人点て」のお稽古をするのにお客さん役、つまり貴人役を仰せつかった。貴人とは本来、天皇や将軍や家元など、偉くて偉くてしょうがない人を指した。現在ではそんな人相手に(家元はあるかもわからんが)お茶を出すこともないのだが、先生曰く、最高の礼節とはいかなるものかを知るための稽古なのである。亭主はお茶を直接差し出してはならず、必ずおつきの者(なんていうんだったか…忘れた)が間に入って貴人に渡す。茶碗も木製の台(これもなんていうんだったか失念)に載って出される。
 通常はお茶碗を亭主のところまで取りに行き、自分の席に戻っていただくのだが、述べたようにおつきが席まで持ってきてくれるので、貴人は終始座りっぱなしなのである。そんなわけで立ち上がるのに2分ほど悶絶していた。

050330
 昨日まで学会で神戸へ。2年ぶりである。
 学会の過ごし方もだいぶ変わって、人と会って打ち合わせをし、読書会をし、夜の街を歩くだけになってしまった。もちろん昼間のポスターやシンポで気になるものがあれば足を向けるのだが、それをするならその時間を使って自分の仕事を進めた方が生産的だと感じるようになった。あんまり知り合いを増やすのもしんどい。
 生産といえば、大学院のころからずっとおつきあいしていただいているMさんと共同研究をすることになった。日本で20人くらいしか関心がないであろう領域の、数少ないお仲間である。なんとか来年度中に調査のめどをつけようという話になった。うまくいくようがんばろう。
 『失踪日記』、各メディアで取り上げられている模様。朝日朝刊の書評、読売夕刊のコミック評はおさえた。ネット書店に書き込まれた書評でも、おおむね最高点がつけられている。先日のぞいたAmazonでは和書の売り上げ2位だった!

050322
 日曜から横浜で研究会。妻が札幌に来てからめっきり東京へは行かなくなったので、ひさびさの空の旅である。
 早めの便で羽田へ。そのまま京急で横浜へ、ではなく、高田馬場へ。まんがの森本店に行くためである。なぜか。吾妻ひでお「失踪日記」発売記念で原画展とサイン本の販売をするというのだ。これは天の配剤。ほくほくと開店前の店を目指すと、入り口から行列がのびていた。開店とともに行列の全員がサイン本に殺到。あじま先生の人気の健在ぶりを見た。
 集合は3時。まだ早いがすることもなし、横浜の会場へ。
 三々五々集まり、開始。いつものメンバーで、いつものような調子で議論が始まる。夜は中華街に連れだって定食を食う。お店を探し回ってくださったNさんありがとうございました。幹事のOさんありがとうございました。みなさんありがとうございました。
 そんなわけで今羽田空港でこれを書いている。2月に買ったばかりのノートPCにはワイヤレスLANが内蔵されてるちゅうことで、接続してみるとこれがまた便利便利。おかげでメールがチェックできる。ホットスポットをもっと増やしてくれないかなあ。

050314
 お茶のお稽古。先生宅にうかがうと長身の男性が。アメリカ人のJさんはアジア哲学に興味があって、札幌近郊の高校で英語を教えながら日本のことを学んでいるのだという。その一環として茶道も始めたとか。「なんでお茶なの」と尋ねると「瞑想のようで、落ち着く」のだそうだ。
 「むかしブトーをやっていたんだけど、知ってる?」とはJさん。「ブトー?武道じゃなくて?」「お能じゃないの?」と一同困惑。
 「ほら、山海塾のような」
 「ああ、その舞踏ね」
 なんとJさんの言っていたのは、裸白塗りでピクピク((c)桜玉吉)の舞踏のことであった。ほんならあんた、麿赤兒か。

050309
 吾妻ひでお『失踪日記』、Amazonに入荷されたとたんに注文した。大塚英志の『comic新現実』を数日前に手に入れていて、吾妻さん(馴れ馴れしいがこう呼ばせてください)と大塚氏との対談に数カットが掲載されていたので、実際に手元に届くまでわくわくしていた。
 第1回失踪を描いた「夜を歩く」が劈頭を飾る。すでに大塚英志が太田出版で編集した『夜の魚』に一部は発表されていたし、雑誌にも一部連載されていた。しかしほとんどが書き下ろしである。いろいろな人が複雑な思いで読んだらしい。とり・みきも、いしかわじゅんも、竹熊健太郎も。
 吾妻さんの作品に触れたのは高校の時、同じく太田出版から復刻されていた『定本 不条理日記』だった。奥付を見ると1993年。12年前かあ。ひとまわりしたんだな。12年間、吾妻さんの作品を買い続けてきた。古本屋もめぐったし、復刻版も迷わず買った。「産直あづまマガジン」も注文してます。
 ネットで話題沸騰、傑作の呼び声高く、売り切れ続出、らしい。版元にもないんだって。

050307
 翻訳の手直し作業の合間にこれを書いている。息抜きである。
 2週間ぶりにお茶の稽古へ。この間、インフルエンザをやったり、大学の野暮用をこなしたりと、なかなか稽古を受けることかなわずにいた。
 久々の稽古でまた新たな発見が。炉にくべる炭の入れ方にも作法があるのだ。燃えやすいくべ方で炭を入れればよいというわけではないのだ。しかし物理的に燃えやすい置き方というのは必ずある。要は燃える炭の下から空気が入りやすいようにしてやればいい。子どものころから薪で風呂を焚いていたわたしが言うのだから間違いない。しかし茶道はそのような物理的制約よりも形式的な制約のもとで火を燃やそうとする。
 いくら形式とはいえ、燃えなければ意味がないわけで、そこには物理的制約の取り込みが行われているはずである。形式的な制約がいかにして物理的な制約を取り込んできたかという歴史的推移が分かればおもしろそうだ。

050303
 気がついたらもう3月。いくらここが札幌だとは言え、日差しもゆるくなってきたような気がする。
 インフルエンザの症状はおさまったのだが、鼻と痰がまだ残っている。

050221
 先週水曜から熱が出て関節も痛んだ。それでも用事があったので大学には出てきていたのだが、金曜になっていよいよ朝から調子が最悪に。妻の薦めもあって病院へ行ったらインフルエンザの診断が下された。そんなわけで週末は何をするでもなくずっと横になっていた。

050213
 何を血迷ったか、お茶を習い始めた。行きつけの居酒屋でたまたま隣り合った男性と話をしていたら、お茶を習っているのだという。興味もあったので、一度見学に連れて行ってもらい、結局習い始めたのだ。
 茶の席には手順がある。先生は裏千家の流れなので、ぼくが習っているのは裏千家式手順なのだろう。まだ習いたてなので、「ボンリャクテマエ」でたてる稽古しかしていない。それでも手順がまだ頭に入っていない。とりあえず覚えているだけ書き出してみよう。とはいえ、間違って覚えているかもしれないので、裏千家ではこういう手順が正しいのだとは思わないで頂きたい。あくまでも素人のメモのようなものである。
 まず、お菓子を準備する。両手で菓子盆をささげもち、茶室には右足から入る。お客の前で座り、菓子盆を手前に置く。正座したまま左、右と少し後に下がり、「お菓子をどうぞ」と一礼。
 「ミズヤ」でお盆の準備をする。茶巾を水で洗い、しぼり、折りたたむ。これにも折りたたみ方というのがある。折りたたんだ茶巾を茶碗の真ん中に置く。茶碗をお盆の中央に、茶筅を茶巾の上に、茶杓を裏返して茶碗の右ふちに、棗(お茶が入った塗り物のツボ)をお盆の12時の位置に、それぞれ置く。茶室の入り口に座り、お盆を脇に置いて、お客に向かって一礼。右足から入って茶釜の正面に座る。お盆を膝前に置いて、立ち上がり、ふたたび茶室を出る。
 今度はケンスイを用意する。ケンスイは「建水」と書くようだ。茶碗を洗ったお湯やら袱紗についた抹茶やらを入れるのに使う浅めのツボである。これは左手だけでだらりと下げ持ちながら茶室に入る。たいして重要なものではないからか、常にお客に対して見えない位置に置かれる。茶釜に相対したとき、お客は右手にいる。そうすると、建水は左膝ななめ後あたりに置かれる。
 ここからはずっと正座である。茶釜正面に置いていたお盆を少し右側に移動させる。ここで一呼吸。腰に付けていた袱紗を外し、折りたたむ。最初に習いに来たときに教わったのが、袱紗の折りたたみ方だった。茶釜の蓋はあらかじめ奥が開くように少しずらしてある。袱紗を右手に持ち、袱紗で蓋のつまみをもって、蓋をきちんとしめる。
 次に、道具をお盆の上に配置しなおす作業である。まず棗の表面を袱紗で拭く。左手で棗をつかみ、右手に袱紗を持つ。棗の蓋のふちを奥、手前と拭き、手のひらで袱紗をおさえ、蓋の上部全面をなでる。拭き終わった棗はお盆の11時の位置に置く。茶杓も拭く。袱紗を折なおし、左手に持つ。右手で茶杓を上から取り、袱紗の上に置いて、袱紗を前後に動かしながら、まず平らな面を、次に側面を拭く。拭き終わったら茶杓をお盆の5時の位置に置く。茶筅と茶巾を茶碗から出して、それぞれ1時と3時の位置に置く。これで配置作業完了である。まだ先は長い。
 右手で袱紗を持ち、左手で茶釜のつるを持つ。お湯を茶碗に入れるのである。右手の袱紗で茶釜の蓋をおさえ、湯を茶碗の10分の1くらい注ぐ。火鉢に(そうそう、茶釜は火鉢にかかっている)戻し、袱紗をお盆の9時の位置に置く。茶筅を右手に持ち、左手で茶碗の縁を押さえる。右手の中指、薬指、小指を茶碗の縁にかけて、わざと茶筅の持ち手を茶碗の縁にコツンと当てる。真上に引き上げて、もう一度コツン。茶筅を真上に引き上げるとき、ちょっと手前にくりっと回す。そして、お湯をしゃばしゃばとかきまぜる。茶碗の底に茶筅で「の」の字を書いてお湯から引き上げ、ふたたび1時の位置に戻す。右手で茶碗を持ち上げ、左手に持ち替えて、中の湯を建水に捨てる。茶碗は右手でお盆に戻す。確かこのへんでお客にもう一度「お菓子をどうぞ」と一礼するはずなのだが、正確にはどのタイミングでするのか忘れた。
 いよいよ茶をたてる。茶筅でしゃばしゃば、緑の泡ぶくぶく、のあれである。右手で茶杓を取り上げ、握り直す。この、握り直すのがぼくの場合なかなかうまくいかない。左手で棗を持ち、右手でその蓋を取り、茶杓が置いてあった位置に置く。茶杓を箸を持つようにして持ちなおす。棗の内周9時から12時にかけて茶杓をそわせるようにして、お茶をすくい、茶碗に入れる。同様にしてもう一杯。茶杓を握り直し、茶碗の縁にコツンとあててお茶を落とす。棗の蓋を戻し、棗自体を元の位置へ。茶杓も元の位置へ。お盆の5時の位置には、茶杓→棗の蓋→茶杓が交互に置かれることになるわけだ。
 茶碗を洗ったときのようにしてお湯を注ぐ。茶筅を右手に取り、しゃばしゃばとかき回す。「の」の字を書いて茶筅を引き上げ、1時の位置に戻す。茶碗を右手に取り、左手掌に底を置き、茶碗を2回回す。そのまま、右膝斜め前あたりに置く。お客はこれを取りに座ったまま前進し、ようやく飲む段取りとなる。
 この後もいろいろとあるのだが、もう書くのも疲れた。とにかく、お茶を飲むまでの手順の細やかさを知ってもらえればよい。
 まだぼくはお茶をたてる一連の動作をひとつひとつの手順としてしか見ていないのだが、それを必然的な動作として身につけるプロセスとはいったいどのようなものなのだろうか。また、固有の言葉遣いをぼくはどのようにして覚えるのだろうか。なにせお茶を飲むなんてどのようにしてもよく、いまぼくが習っているのはたまたま誰かの趣味というかクセというか、それをみんなで一生懸命マネしているだけのことなのだ(と、思うのだがそうでないかもしれない)。お茶を入れる手順には複数の可能性がある中で、ある一通りのやり方だけが、体系として様式化されたのがお茶の手順だとするならば、言語も似たようなものなのではないか。つまりこの稽古は、裏千家式お茶プロトコルをぼくはどのようにして解読し、またそれをコミュニケーションで使うようになるのか、このことを明らかにする一種の言語習得実験なのである。
 なんて難しいことも考えているのだが、どうなることやら。

050208
 昨日まで雪祭りを見物しに両親が来ていた。真駒内、すすきの、大通りとひととおり会場を歩いた。雪像をゆっくり見たいのはやまやまだが、寒いのでどうしても体を動かして歩いてしまう。夕食は妻をまじえて三徳六味で。この値段でこれ?ってくらい美味しいものを山ほどいただいた。マスターに感謝。
 妻は怒っていた。免許更新のために警察へ行ったのだが、写真の不備か何かで後日出直しを余儀なくされたらしい。しかも受付係はとてもとても無愛想だったらしい。だけどその人も昼休みにでもなればどこのそば屋がうまいとか同僚とそんな話に興じるのだろう。テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』では、テロリストの拷問をてきぱきとこなすアットホームパパ役をマイケル・ペイリンがとてもうまく演じていたが、役割次第で人間はいくらでも非人間的になれるのだ。そんなもんなんだよなあ。

050130
 1年半ほど一人で暮らしていたのだが、このほど妻と同居することとなった。とは言っても、深刻な不和か何かがあってそうしていたわけではなく、たまたま仕事の関係で別居していただけである。しかし1年半は互いの生活のリズムをずらすのには十分な時間であった。現在、すりあわせ中。
 小津安二郎『晩春』で見せた、原節子の冷たい目に心底ぞっとした。父親(笠智衆)の再婚の話をおば(杉村春子)から聞かされた娘(原節子)が、それまで顔にへばりついていたカマトトぶった笑顔を捨て、斜め後ろをじっと横目で見る。この目の冷たさは、あまりにも木訥とした笠智衆のあいまいな笑顔と対比されて、余計に温度の低さを感じる。

050128
 学部授業終了。いろんなことを勉強する機会になった。自覚しているのだが、ぼくは人になにかを教える際、「なんとなく分かってくれ」と念じながら、自分でもわけの分からないことを言うくせがある。普通ものを教えるとは、ものごとを筋道立て、体系立てて話すことである。しかしぼくは自分の思考をそのままぶつけるくせがある。だから聞く方はたまったものではないはずだ。生煮えの大根を食っているような。「整腸作用があるんだ!」と、ごりごりの大根を口に詰められても、ねえ。
 黒澤明『赤ひげ』、小津安二郎『お茶漬けの味』、今敏『東京ゴッドファーザーズ』を立て続けに観る。『赤ひげ』では久しぶりに泣いてしまった。黒澤明の描く江戸はなぜあんなにも陰惨で埃っぽいのだろう。

050121
 『麥秋』を観る。この映画では笠智衆は東山千榮子の息子役だったのに、『東京物語』では夫婦役をしているのはなぜ?調べてみると、『麥秋』は1951年、『東京物語』は53年。2年のあいだに何があったのだろう。それにしても、杉村春子の演技はみごとだ。この映画では、原節子が二本柳寛との結婚を承諾する場面、『秋刀魚の味』では酔った東野英治郎に泣く場面、『東京物語』では母親が亡くなった後に兄弟で食事をする場面。
 ついでに、石井輝男監督の『ゲンセンカン主人』も観る。最後の場面、つげ義春さんと奥さん、息子さんが出演されているのだが、奥さんの藤原マキさんももう亡くなられてしまった。

050119
 先週は学部で卒論の、今週は大学院で修論の発表会が、立て続けに開かれた。昨年4月には、ほとんど何をするのかも具体的に決まっていなかった人たちが、たった8カ月でなにかしらの文章を仕上げる。不思議なものだが、書けない書けないと不安がっていても、いつの間にか書き上がってしまうのである。みなさんおつかれさま。
 先週末に近くのレンタルビデオ屋の会員になった。黒澤明と小津安二郎を徹底的に観ることとする。とりあえず、『醉いどれ天使』『野良犬』『東京物語』『秋刀魚の味』をたて続けに観た。

050114
 あんまりにもショックだったので、ここに書いておく。こうすれば何度も見返すことになり、忘れないでいるだろうから。
 仕事の打ち合わせの約束を4時にしていた。その前の時間帯には授業が1コマあるだけ。だからその時間帯に打ち合わせをセットしておいたのだった。
 ところが、すっぽかしてしまった。忘れていたのである。授業が終わって部屋に戻ると留守電が。何だろうと思って再生してみると、「もう済みました」というメッセージが。慌てて担当してくださった先生の部屋へ駆け込み、平身低頭である。
 笑って許してくださったが、こうやって信頼というものは小さくなっていくのだ。失った信頼を取り戻すにはその10倍くらいの労力が要るだろう。今日の午前中までは、確かに覚えていた。こんなに物覚えが悪くなるとは。ショックだ。

050108
  すすきのの九州料理屋「九州男」で呑んだ。見たことのない焼酎ばかり、同席した先生に勧められるままにあれこれと楽しんだ。お湯割りにすると香りが楽しめていい。馬刺し、柚子胡椒、博多おでん、どれもこれも美味しゅうございました。その帰り道、行きつけの居酒屋「三徳六味」でも呑む。
 次の日の朝飯はパスして、昼頃起き出し近所のラーメン屋「味の清ちゃん」へ。おばあちゃんひとりで切り盛りしている、テーブル2卓、小上がり1卓、カウンター5席ほどの小さな店である。野菜塩ラーメン大盛りを頼むと、出てきたのはどんぶりからこぼれそうなほどの量。大盛りだと2玉ゆでるのだそうだ。しかしスープが美味いのですいすいと胃袋に入ってしまった。
 古本屋に注文しておいた「佐藤雅彦全仕事:ビデオ付限定版」(マドラ出版、1996年)が昨日届いた。佐藤雅彦さんが制作したCMが収められたビデオを繰り返して見た。現在は慶應で教鞭を執っておられるが、かつては電通でバリバリと働いてらっしゃったのだ。そのときのCMである。湖池屋、JR東日本、フジテレビ、NEC、サントリーなど、ああ、これもそうだったんだと懐かしいものばかりだが、なにより驚いたのはたいていのものが記憶に残っていたということである。ポリンキー三兄弟の名前がジャン・ボール・ベルモントだってことは知ってたし、ピコーのダンスは強烈だったし、フジテレビのキャンペーンCMのとぼけた感じも大好きだった。バザールでござーるのノベルティグッズも確かタオルかなにか持っていたように思う。ずっと佐藤雅彦さんに踊らされていたのだなあ。なんだかくやしい。

050104
 あけましておめでとうございます。今年の目標は、「過去から足を洗う(=たまった仕事をすべて消化する)」です。
 今年は一身上に一波乱起きそうなのでいまから恐々としている。といっても嬉しい一波乱なのだ。なにごともなく夏を迎えられればよいのだが。
 年末から3日にかけて実家に帰っていた。よく食い、よく飲んだ。おかげで腹をこわし、一日に5回はトイレに駆け込んでいた。それでも飲んだ。やれ飲んだ。
 札幌に戻ってみると、年賀状が届いていた。8通。はっつう?いくらなんでも、自分とカミさんを合わせてもそんなに少なくはないだろう。年賀状配達のバイトが仕事を文字通り投げ捨てるというニュースを聞いたことがあるが、そうした事態が頭をよぎった。とりあえず、郵便局へ駆け込んだ。
 3日夜に放送されたNHK教育『佐藤雅彦研究室のアニメーション・スタディ』を観る。ビデオにも録った。ポリンキーやだんご三兄弟ではさほどの興味が湧かなかったが、同じくNHK教育『ピタゴラスイッチ』以来、注目のマトである。数学ができないくせに数学に憧れるヤツは佐藤雅彦さんから目が離せないよ。
 佐藤雅彦さんたちの作るアニメーションがねらうのは、「見てわかること」ではなく、「わかることを見ること」である。「わかること」の本質とは何か、という問いにはいまだに誰も答えていないが、それでも僕たちは私的な経験として日常的に「わかること」を繰り返している。たとえば、時計を見ればいま何時かわかるし、玄関ドアの新聞受けでガサリという音がすれば何かが届けられたことがわかるし、梅の木にウグイスが鳴けば春の訪れがわかる。このように僕たちは、言い方はヘンだが、わかりながら生きている。「わかること」は生きることの一部である。そのため、普通の人ならば、「わかること」をわざわざ見たいという気にならない。ちなみに、他の人の「わかること」をどうしても見なければならない職業を、教師と呼ぶ。
 ところが佐藤雅彦さんは、「わかること」を見せてくれる。正確には、ある「考え方」に基づいてアニメーションを作成し、その「考え方」そのものを視覚化する。
 番組で取り上げられていた「考え方」のひとつに、「プログラム」があった。ものごとの動き方をあらかじめ記述すること、である。この考え方に基づいて作られたアニメーションは、たとえば、8の字を描いて旋回する飛行機の動きを、四角形の4つの動きに分解してみせる。それぞれの動きは、ただ単に同じ場所でくるくる回っているだけだったり、左右に等速で平行移動するだけだったりする。しかしそれらを重ね合わせると、8の字旋回が出来上がる。単純な動きは、コンピュータ言語で言うところのコマンドにあたる。目的とする動きを生み出すために、複数のコマンドを与える。これは、ロボットを作る際の「考え方」にほかならない。
 最近佐藤雅彦さんは脳科学に興味を持っているようだ。おもしろいことが起こりそうである。

2004年後半の日記より

041223
 むりやりにでも気分一新。このページのタイトルの由来は『夢記』。「夢の木」ではありません。『夢記』とは,鎌倉時代のお坊さん,明恵(みょうえ)がおよそ40年にもわたって書き続けた,夢の記録です。松岡正剛さんの『花鳥風月の科学』でこの本のことを知りました。40年間という迫力に敬意を表してタイトルにいただきました。ですが,たいてい現実を書くことになると思います。夢のない話ですみません。そうそう,読書記がだんだん長くなってきたので,本ごとにページを分けました。それと,読書記のなかには書きかけのままアップしたものもあったのですが,責任が持てないのでいったん削除しました。

041220
 前回更新からもう1カ月近く経ってしまった。ひえー。なぜこんなに間が空いてしまったのかというと,なかなか更新する気にもなれなかったというのが理由だ。いくつかネタはあったんですよ。明和電機「ナンセンス=マシーンズ展」に行ったとか,忘年会やったとか,XXXXとか。んでもなー。なんか調子悪いんだよなー。気がつくとぼっとしてることが多いし。こんな内容のないこと書き散らしてるし。

041123
 文字でなるほど物語 その2
 土佐社長はギネス派。(なんだか分からなくてすいません。嬉しくてメモしてしまいました)

041117
 文字でなるほど物語 その1
 お兄さん「江戸時代,東海道の宿場の数は五十三と決められたんだよね。なんで五十三なの?きりよく,五十五じゃだめなの?」
 ナルタソ「お兄さんつまんないことにこだわるね。『華厳経』を読めば?」
 お兄さん「どれどれ。な~るほど」

041115
 右足の裏にイボができているのに,夏前から気づいていた。が,皮膚科にかかったのはようやく今日のことだった。最初に発見したときには,ごく小さな白いしこりができている程度で,放っておくことにしたのだった。ところが最近,イボのあたりに何かがあたると,ぴりっとした痛みが走るようになってきた。生来の病院嫌いの私も,ついに観念したのだった。そんなわけで,足の裏が液体窒素で焼かれる日々がこれからしばらく続く。そうそう,イボの正体はなんだかというウイルスらしい。で,感染するらしい。子どもなんかが良く罹るやつらしい。体調の悪いときに発症するらしい。私の足の裏は,いま大変危険な状態である。

041109
 引っ越しました。南下して豊平区というところに落ち着きました。地下鉄の駅に近いので(徒歩1分)すぐに街に出ることができます。そばにはスーパーも区役所も大きな公園もあります。車のない人間にはとても助かります。

041101
 現在引越計画中。待て次号。

041027
 こちら札幌では初雪を観測しました。二度目の冬がやってきます。

041020
 科研の申請書を提出。ある大学では,申請すらしない者には研究費を減額するという試みもあるようで。申請者数が大学を評価する一つの指標となるというわけで。出したって貰えないよとすねるよりは,出さなきゃ貰えないよとポジティブにいった方がよいので。そんなわけで。

041012
 授業開始。後期の学部授業は2つある。ゼミの3,4年生向けに開講したものが1つと,これからゼミに入ろうかという2年生の基礎演習が1つ。がんばろう。

040925
 いろいろなものの締切りをかかえながら風呂上がりについついテレビのスイッチをつけたところ映っていた映画が「es」だった。興味が引かれたので映画についてあとからいろいろ調べてみる。Amazonでの内容紹介に「実際に行われた心理実験…」というくだりを発見したがこれは1971年にスタンフォード大学で行われたいわゆる「監獄実験」のことである。わざわざドメインまで取得して実験のいちいちを公開しているのはたいへん結構なことだと思うし機会があればなんらかの形で利用させていただきたい。それにしても授業で使うと学生にはちとショッキングかもしれないなあ。しかし心理学実験や調査における倫理問題についていやというほど考えさせられる実験であることは確かだ。なんとまあビデオまで出ているのか。

040921
 連休中は妻と,札幌市内にある,家から歩いていける温泉浴場に通った。一つは桑園駅そばにある浴場。天然温泉と銘打っているだけあって,屋外に2つ,屋内に1つ,なにやら色の付いた湯のはられた浴槽がある。浴場全体の造りは最近のスーパー銭湯を想像してもらえばよい。もう一つ,北大植物園そばにある浴場にも足を伸ばしたが,こちらは入浴するのになんと10分待ちという状態だった。風呂に入るのに待たねばならないとは?と,怪訝に思いよく調べると,どうやら連休中はお年寄りと子どもが無料で入浴できるらしい。大勢つめかけていたのはそれか,と納得。ともかく,家のすぐそば,しかも500円以下で温泉が楽しめる。なかなか良いですな。

040908
 不謹慎なのは分かっているが,天変地異に出会うとどうにも興奮してしまう質なのである。朝からごうごうと風が吹き荒れ,窓から見える木立がしなっている。こんなときに家から出るのは危険なのは承知の上で,大学に行った。札幌に台風が熱帯性低気圧のまま上陸したのは実に久しぶりのことだったようだ。札幌生まれの先生に聞くと,こんなのは初めてだ,と言う。とにかく昨晩から今朝までずっと風が強く,歩いていても向かい風に押し返されるほどだった。北大構内には立木が多く,ふだんなら緑豊かで気持ちよいのだが,今日に限っては歩くのが恐ろしかった。なにしろ,葉や枝が飛んでくるは,太い幹がぼっきりと折れるは,しまいには根元からひっくり返るは。おかげで,昼過ぎには構内がほとんど車両通行止めになった。大学本部からほぼ30分おきにメールで連絡が入ってくる。もしや,と思い,大学のシンボル,農場のポプラ並木へ向かった。案の定,あのすっくと立っていたポプラは,数本,幹の途中から折れ,倒れていた。報道だと10数本やられたらしい。樹齢が80年を越え,幹のなかは空洞になり,もうそろそろだろうと言われていたのだが,このような形で倒れるとは。

040903
 ひさしぶりに,財布を忘れて出勤した。毎朝玄関の戸の前で全部のポケットを手で叩き中身を確認してから出かけるのだが,今日はたまたま両手がゴミ袋でふさがれていたので,その儀式ができなかったのだ。自販機の缶コーヒーを買おうとして気づいた。これだけならただのおまぬけ日記なのだが,まだ続きがある。財布の不在に気づいた瞬間,なんだか解放されたような気がした。何からの解放か,やはり金だろう。財布を持ち運ぶということが,気づかぬうちに,どれだけ重圧となっているか。しかし人間,金なぞなくたって生きられるはずなのだ。借金して身投げするなんて,悲しいことだが,ちょっと待ってくれよと言いたくなる。子どもたちにも,金のない生活を知ってもらいたい。人間を形成する何かの仕組みから派生したのが金かもしれない。そうすると,歴史的には人間こそが金の基盤だということになる。人間を大事にしよう。金を動かすのは,ひとえにその目標に向かうためである。

040829
 夏休みをとって妻の実家がある長崎へ。ただ何日も居座るのも申し訳なく,雲仙で1泊を過ごすこととした。温泉宿の建ち並ぶすぐそばに,地中から噴気と泥の沸き上がる「地獄」がある。硫黄臭の立ちこめるこの地獄は,かつてはキリシタンに対する拷問の記憶のうちに,最近では普賢岳の噴火の記憶のうちに,容易に引き入れられる。次の日に訪れた島原の街では,そこここにかわいらしく水が流れている。島原城の膝元に今も区画の残る武家屋敷跡では,通りの真ん中を細い水路が貫く。水路とその両側に居並ぶ家並みとの,そのこぢんまりとした佇まいがなぜかいたく気に入り,ここらの一区画手に入れてそのうち住んでみたいものだと妻に言えば,暑いから嫌だとの返事。

040824
 歩いて300mのところに新しくスーパーができた。いや,突然できていた,という感じである。なにしろ,最近になるまでまったく気がつかなかったのだから。このところ買い物はもっぱらそこで。値引き商品が多くて結構重宝している。先日もむきがれいの切り身を手に入れて,煮付けにした。

040816
 先週末は,ずっとジェイムズ・ワーチさんと一緒だった。札幌と東京とでセミナーを開くためにセントルイスからいらしたのだった。普段は学会くらいでしかお会いできないような方たちも札幌にみえて,楽しく過ごすことができました。なにしろワーチと言えば業界では名の知れた御仁,お会いしたらあれを聞こう,これも尋ねてみようと,前もっていろいろと考えていたのだが,当方もっぱら裏方だったためなかなか落ち着いてお話もできず,かといって向こうもいささか疲れているように見え,結局何も聞けずじまい。

040809
 夏らしい天気が続く。先週末,妻と二人で富良野に行ってきた。ラベンダー畑は立ち枯れたエリアと今まさに咲き誇るエリアとくっきりと別れていた。妻曰く,時期をずらして植えていくのだそうだ。何の気なしに買ったラベンダーソフトクリームがうまい。甘さもさほどしつこくなく,ほのかにラベンダーの香りがする。そのあと,美瑛へ。丘陵地帯を車でひた走ると,アイルランドを思い出す。

040731
 音楽を聴きながら原稿を書いていた,と思いねえ。CDを選んでいて,ふと,最近おおたか静流を聴いていなかったと,『HOME』をかけた。おおたか静流は,たいていアルバム1曲目が無伴奏なのであの声が存分に堪能できる。世界への呼び声なのだ。
 その呼び声を聴いていて,18のころを思い出した。思い出す,というのではないな。18のころの身体感覚が,28の今の身体感覚と重なり合った。それを後から脳が「思い出した」と判断した,そういう感じだ。18というのは大学に入った年,1年目の宿舎,狭い個室にラジカセを持ち込み,近所の本屋でたまたま買ったおおたか静流のアルバムを聴いていた。そういえばあの本屋にもいろいろと思い出があるが,今はもう潰れてしまって,ない。
 何でもできると張り切って,空回りばかりしていた18のころだったように思う。講義から帰ってきて,宿舎の共同風呂に入って,炊事場で適当にメシを作って,夜中にクラスやサークルの連中と集まって飲んで,いっちょまえに誰かを好きになったりしていた。21でアイルランドへ渡り,それからか,馬鹿なことをしなくなってしまった。われながらつまらん人間になったと思う。人付き合いもめっぽう悪くなってしまったので,昔遊んだ連中とはもう会わなくなった(もう会いたくない,というわけではないが)。
 思うに,12のとき,15のとき,18のとき,そして21のとき,自分は過去の自分を捨てて新しい自分を生きようとそれなりに張り切った。言ってみれば,脱皮を志向した。最後の脱皮から数えて7年経った。その間,研究の道に入り,結婚し,就職した。どれも人生の大きな転機なのだろうが,そこで脱皮したとは思えない。もちろん,この間に自分はひどく変わっていったのだろうが,基体が21のままなのだ。21が,その度量の範囲のうちでもがいて,ようやくここまでやってきたという感じなのである。
 明日,29になる。5回目の脱皮は,来年までとっておこうと思う。

040724
 ここ札幌大通公園ではただいまビアガーデンが開かれています。はじめて来ましたが,日が沈むと寒いのです。寒いなか,飲みます。飲み物がビールしかありませんので,半袖から出た二の腕をさすりながらとにかく飲み続けます。このビアガーデン,一応「納涼」と冠されています。のーりょー,か。

040707
 第千夜は,良寛でしたな。千の良寛が雪のひとひらであり,ひとりの良寛が千々に降る雪である。そうして第一夜の中谷宇吉郎に続く円環が完成されるというわけですか。6月16日はぜったいにジョイスだと思っていたらさらりと流され(まさか芭蕉とは!),ジョイスは来ないなと思っていたらホメーロスとともに登場したのが999夜のこと。はじめて出会ったのは,たしか,ベイトソンについて調べていたとき。それから読み始めたおかげで,何冊の本を手にし,何冊の本を買い求めたことか。どうも近々「尾話」も登場するとのこと,楽しみにしておりますよ。

040705
 えー,研究の話を。昨年夏からこの4月までゼミの有志でかかりっきりになっていた紀要論文が印刷されました。
 伊藤崇・藤本愉・川俣智路・鹿嶋桃子・山口雄・保坂和貴・城間祥子・佐藤公治 2004 状況論的学習観における「文化的透明性」概念について:Wengerの学位論文とそこから示唆されること (コメント:高木光太郎 Wenger論文の多重パースペクティブ性) 北海道大学大学院教育学研究科紀要, 93, 81-157.
 エティエンヌ・ウェンガーのフィールドワークを日本語で紹介した(おそらく)もっとも詳しいものだと思います。彼の実践共同体論は,98年に出版されたCommunities of Practiceに展開されているのですが,そのベースとなったのが,彼がカリフォルニア大学に提出した学位論文(1990年)でした。それを抄訳に近い形で読み解くというかたちになっています。東京学芸大学の高木光太郎先生にコメントまでいただきました。その筋のマニアには(おそらく)たまらない内容です。

2004年前半の日記より

040621
 北大では高校生を対象とした1日体験入学というイベントが毎年開かれる。「体験」なので,いくつかのコースに分かれて実際に90分の授業を受けてもらうのだが,今年は自分も担当することとなった。はて,何をしようかと悩んだ。せっかく幼児園という施設があるのだから,と,園庭の遊具でどのような身体動作が可能なのかを調べてもらうというプランを立てた。子どものころに遊んだ遊具について思い出してもらいながら自己紹介。その後,幼稚園設置基準から「すべり台,ブランコ,砂場の3つが園庭に設置されていること」という項目が削除されたことを紹介。ここから,子どもの遊び場をもう一度考え直してみることを提案し,いよいよ園庭へ。3人ずつ5チームに分かれてもらって,ブランコ,ジャングルジム,アスレチックジム,シーソー,築山の5つの遊具(最後のは遊具か?という声もあがったが)を使って可能な身体動作をすべてリストアップしてもらうという作業を行なった。リストアップされた動作をすべて演じてもらい,ビデオに撮影。部屋に戻ってビデオ鑑賞しようと思ったのだが,ここで時間切れ。最後はベンソンや佐々木正人さんの本を紹介して終わってしまった。高校生たちも,当方も,緊張してうまくいかない部分があった。来年以降はもう少し流れを洗練させてみよう。やはり授業は難しい。

040607
 数年前から全国をまわっている水俣展が札幌に来たというので,昼休みを利用して出かけた。北大正門脇の建物で開催されていたので,そんな気にもなったのだ。これが,電車を使わねばならないなどとなったら,たぶん行かなかった。他意はない。単に出不精なだけである。それにしても,と思う。魚を捕って暮らしていた人々は,その魚を売って生計を立てていた。だから,売れなくなることを恐れ,病気の発症に沈黙した。その魚を買う人々がいた。工場に働く人々もその一部だった。工場に働く人々は,働く場を相手取って金を要求する人々を殴りつけた。市は懸命に工場を誘致し,そして病気が出たあとも,懸命に工場を擁護した。一方を擁護するからには,他方を棄てなければならなかった。こうした関係性において,棄てられた人々がいた。市民は漁民を棄て,国はその市民を棄てた。大事なのは,この関係性が,経済がぐるぐる回るシステムにもとから潜在していたものだった,ということである。それがたまたま,九州の海辺であらわれた,ということだ。事実は一つであり,連鎖している。だからこそ,この連鎖のどの部分を「事実」として切り取るかによって,表現が大きく変わってくるのである。しかしこの連鎖は,あくまでもあるシステム上の出来事だ,ということを認識しなければならない。別のシステムには別の連鎖があるはずだ。人間は金を作った。しかし,金は人間を作れない。だから,経済と生命は別のシステムである。生命のシステムを経済という別のシステムで測定し,交換しようなどというのは,仏教とキリスト教のどちらが正しいかを判断せよ,というようなものだ(そもそも測定とか交換とかいう概念は経済システムを構成する関係性だ)。どちらもシステムである限りにおいて正しい。選択は信念の問題だ。そして,私は生命のシステムを信じる。(※書いていて,なんと猪口才な,と感じた。言語というシステムの上でだけ,何を分かったようなことを,とも考えた。その通り,批判は甘受する。ただ,言語システムに乗せた途端,自律的に動いてしまうので,いろいろと差し障りもあるかもしれず,可能な限りあいまいに書いた。なんだか分からん,という人は,言っていただければ酒でも飲みながらきちんと話します。)

040530
 もう酒飲むの止めよう。へろへろの胃袋をかかえるといつも思うのだが,実行したためしがない。ジョッキにビール2杯,お酒なら2合くらいが自分の適量だって,よ~く分かってるんだけどなあ。教訓1…飲み会では勝手に飛ばすな,のんびりと飲む人のペースに合わせて飲め。

040522
 「王の帰還」,ようやく観ました。「指輪物語」映像化の話を聞いたとき,衝撃的でした。かつて,ラルフ・バクシがアニメーションとして映像化したときには,中途半端な終わり方といい,不思議なもやもやっとした画面といい(そういえば,アニメに実写がかぶせられていたりもした),残念だった覚えがあります。調べてみると1978年の映画なので,たぶんぼくはバクシ版をテレビででも観たのでしょう。ともかく,「指輪物語」を映像化するのは不可能なのだ,と諦めていました。そういうわけで,実写による映画化,しかも,3部を3年がかりで公開,などと聞いたときは,正直なところ「頼むからもうそっとしてあげて欲しい」と思いました。さて,3部作を通して観たわけですが,まずは映像化の功績に拍手を送りたいと思います。しかしあらためて思うのは,「絵にも描けない美しさ」は,やはり絵に描けないのだ,ということです。と同時に,「絵にも描けない醜さ」も,描いてしまうと絵としての醜さになってしまう,ということも感じました。想像力というのは,やはり「力」であるのだなあ。でも,この物語が叙事詩である以上,「余白」があらかじめ排除されているのかもしれない,いや,余白は排除できないにせよ,そこに何かを託すということをはなから当てにしないのかもしれない,そういう気もしました。

040518
 義弟が那覇で働いている。義父母はもう1年も彼に会っていないそうで,妻の発案により,ぼくも含め4人で義弟に会いに沖縄へ。札幌との気温差20度はやはりこたえる。レンタカーを駆って2日間,昼夜と沖縄料理を楽しんだ。もちろん観光も,なのだが,義父母も妻も暑さにくたびれていたようなので,無理せずのんびりめぐることに。結局,那覇近郊の世界遺産巡りに終始した。次来るときは,1ヶ月くらい島でぐうたらな生活を送りたい。30年後くらいか?

040507
 ゴールデンウィーク中は遠出しなかった。行楽らしい行楽は,円山動物園に行ったくらいか。仔白熊のツヨシが,今かわいいさかりである。母熊は観客を威嚇しっぱなし。

040427
 おとといの新歓合宿,2日目に学生・教員入り乱れての大運動会というのがあるのだが,どうも張り切ってしまったらしく,体の節々が痛い。特に背中と脹脛と太股の裏。歩くたびに「うう」と唸ってしまう。故在って礼服を買った。これから着る機会も増えるだろうから,と思い,冠婚葬祭用の袱紗とともに揃えておくことにした。

040425
 昨日,今日と,日高へ。学部1年生の新歓である。去年も行った。昨年の台風や大雪の爪痕がところどころ,痛ましい。沢はすっかり崩れ,川を流れる水から濁りが取れない。山の白樺は雪の重みで幹ごとすっかり曲がってしまっていた。ということにお構いなしに,1年生は今年も元気であった。猛者は朝5時まで騒ぎ,6時半には起床したという。おじさんはほとんど飲まずに,さっさと寝ましたよ。そうそう,今年も「4年生ですか」という質問は健在だった。教員2年目,なんとか教員に見えるように頑張ります。

040422
 まず,「わたし」と同様に他者も思考する存在だとする。このとき,他者の思考を「わたし」は知ることができない。ゆえに,他者が「わたし」についてどのように思考するかも知ることはできない。他者とは「わたし」と思考を共有しない存在のことである。さて,「わたし」に対して,「わたし」に関する他者の思考を調べよ,という命令が与えられたとする。この命令は「わたし」にとって完遂可能なものか?答えは,ゆるやかに,可能である。但し,次のようにして。「わたし」がなんらかのアクションを起こし,それに対する他者の反応を観察し,その思考を推測することを通して。他者の反応を観察しないあいだ,原理的に,「わたし」は他者の思考を推測する根拠を持つことはできない。したがって,他者が「わたし」の行為に関して,「迷惑だ」という思考をするかどうか,「わたし」がなんらかのアクションをする以前に推測せよ,というのは不可能である。不可能なことは命令しても無意味だ。

040414
 ふっと思い立って,サイトの見た目を変えた。ファイルの構造を整理したついでに。

040408
 研究室が広くなった。部屋を共有していた院生が別の建物に移ったためだ。しばらく見ていなかった,幼児園の子どもたちも新学期になって戻ってきた。構内を歩けば,妙に上気した感じの,兄ちゃん姉ちゃんが歩いている。4月ってのは,こういうことだ。ぼくらが「4月」って言うとき,こういうことをすべてひっくるめて,そう言うのだ。この感覚を,意味と言うのだろうな。

040402
 札幌に来て1年が過ぎた。春はポプラの緑,夏は山の青,秋は銀杏の黄金,冬は天地の白,みんな見てきた。仕事では,教員として,そして本格的な研究者として,何ができるのか試した1年だった。ときどきは研究発表をしたし,論文のようなものもちょこちょこ書いた。共同で何かをやろうと,うろうろと動き回ったりもした。気がつくと,ズボンの腰回りが少しゆるくなっていた。今日,サスペンダーを買った。ベルトからサスペンダーへ。ささやかな新年度の儀式である。

040331
 今月末の本人動向。21~23日,白百合女子大にて発達心理学会に参加。この学会でのポスター発表は実に4年ぶり。毎年参加はしていたのだが,発表するネタがなかったのだ。自分ではイロモノ研究だと思っていたのだが,意外と興味を持ってくださる方がいて驚く。25~27日,名古屋にてグレゴリー・ベイトソンを読む会に参加。この合宿,気兼ねなく参加できる数少ない研究会なので,飲み会のペースも上がる。レジュメの準備を前日までしていたこともあり,ついに記憶をなくした。どうも風呂でなにか叫んだらしいのだが,さっぱり覚えていない。それでも,手羽先,どて煮,いずれもうまかったことは強烈に覚えている。29日,筑波で開かれた研究会に参加。ごくごく内輪の集まりかと思って行ったら20人弱もいて驚く。ここ半年関わっているプロジェクトの参考に,いろいろと尋ねる。打ち上げは,自分の飲み助人生が始まった思い出の居酒屋にて。安心したのか,ここの記憶もところどころ欠けている。記憶をなくすというのは困ったことだが,こういうとき,健忘というのはどういう感覚か,が身をもって確認できるので面白くもある。

040315
 身内の結婚式があり,代官山へ行く。10時から親族紹介があるということを事前に電話で聞いていたはずなのだが,すっかり失念しており,案内状にあった11時半にのこのこ出かけていくと,親族一同どうしたのかと心配していた。こういうときに限って,携帯電話を家に忘れているし。どうもこのたびはすみませんでした。

040305
 ものを書くとき,書き出しに困ったなら,「書き出しに困っている」ということから書き出せ,と言っていたのは誰だったか。自己言及が創作を可能とする,つまり意味を開闢するという点で面白い。ある時代までの数学者や論理学者は人間の知り得る最も美しいトートロジーこそが数の集合だと考えていた。しかしゲーデルという変な人が現れた途端,トートロジーを語るこの私をトートロジーに含めると,そのトートロジーは美しくないものになってしまった。不完全性定理である。しかし,このトートロジーもおそらく意味を開闢するはずである。不完全(=証明できないものを含む,かつ,矛盾を含む)だからなのだろうか。

040221
 紀要執筆のための研究会を終えた足で知人の結婚お祝いパーティへ。ごくごくカジュアルな集まりなのだろうと思っていったら,披露宴に近いもので,出席者はみな正装をしていた。自分はいつもの出で立ちだったこともあり,また,途中からの参加ということも手伝い,隅の方で大人しくしていた。お開きのあと,一緒に出席していた院生とすすきのへ。今月いっぱいで札幌から名古屋へ引っ越す友だちとその旦那さんとワインバーで合流し,夜中の3時まで飲む。

040217
 流山,竜ヶ崎に出張。保育にわらべうたを取り入れている保育園,幼稚園を参観する。両園長先生のお話は最初から最後まで説得力に満ちていた。本ばかり読んで「わらべうた研究者でございます」などと猪口才な研究者など足元にも及ばぬ(無論,私のことである)。たとえば,「取り入れている」と言っても,保育者がオルガンを鳴らし,昔の懐かしい歌を歌うというのではまったくない。わらべうたは遊び歌でもある。保育者と子どもたちの生の声が唯一の楽器であり,また遊びの道具である。生の声が道具となるにはどうすればよいのか?そのような環境をつくる作業も並行して行なわねばならない。では,「そのような環境」とは何か?ここが目から鱗のポイントなのであるが,わらべうた遊びが可能な環境の条件とは,「静かであること」なのだそうだ。せっかく手を繋いで輪になって遊んでいたとしても,まわりにいる子どもがぎゃあぎゃあしていては,歌が歌にならない。遊んでいる子ども同士でも聞こえないのだ。私のように,周辺の園からもたびたび見学が来るそうである。しかし,その園にわらべうた遊びが定着することはあまりない。歌だけを移植したところで,それが育つだけの土壌がなければ立ち枯れするに決まっている。良い保育実践の「良さ」が発現するためには,環境や生活の流れにきちんと埋め込まれていることが必要なのだ。幼児のわらべうた研究は,歌がいかにして生活に埋め込まれているのかに注目しなければならない。

040210
 1月末からここのところ猛烈に忙しかった。通常業務以外にも,海外からのお客さんの接待や(と言っても僕はほとんど何もしてないのだが),研究会の準備やなんやかやで,わたわたと動き回り,ついに顔に吹き出物までできた。先週末から札幌では雪祭りが開かれる。それにあわせて妻が遊びに来たので,真駒内と大通りを2日に分けて見て回った。思ったよりも雪像はでかいものだった。でもあれはたぶん,作る方が楽しい。

040128
 出張で筑波,流山,立川と転戦。どうも出先で本を買う癖がついた。時間が余ると本屋でつぶそうとする。すると,買う気のなかったものまで手に取ってしまうのだ。普段は専らアマゾンに頼っているため,目的の本しか買わない。しかし,本屋に足を踏み入れると,途端にいけない。

040121
 卒論発表会,修論発表会がこの2週間で立て続けに開かれたが,なんとか終わった。卒論生と院生のみなさま,お疲れさまでした。それにしても,といつも思うのだが,執筆経過を見ている者からすると,発表の際にはまがりなりにも形になっているのが実に不思議である。そういえば自分の修論はどうだったか。1月締切りにも拘わらず,確か12月までデータを取っていたのではなかったか。やっぱり不思議だ。

040115
 どうやら虫歯は奥歯以外にもあったらしい。時間がなかったのでそこは次の治療に回すことに。三十路を目前に控え,生命維持の根幹である歯にガタがきているようだ。そんなことを考えながら夕食をとる。詰め物をしたところに違和感。噛み合わせがうまくいっていない。そのうち慣れるものだろうか。それとも医者が下手なのか。次に訪ねたとき尋ねてみよう。

040107
 久々に歯医者に行った。奥歯に詰めていたものが正月に取れたのだ。診てもらうと,どうやら虫歯があるらしい。詰め物の下で進行していたのだろうか。さほどの状態ではないらしく,ちょっと削ってもらい,歯の形に合わせてもう一度詰め物を作り直した。というわけでただいま顔の左下半分が麻酔のためじんわりと無感覚である。無感覚のはずだが,なんだかじんわりとしている。

040105
 学部新年交礼会というのを終え,昼間から酔っぱらって今画面に向かっている。遅ればせながら,『千年女優』観ました。さて,創作の過程は決してリニアではないですね。もちろん冒頭から書き始めてもよいし,真ん中からでもよい。とすると,最後の一文が創作過程の劈頭にあってもよいわけです。現に,「さよう,スナークは,たしかに,ブージャムだったのだ」というセンテンスを思いついたルイス・キャロルは,それを最後の一文とする詩『スナーク狩り』を書き上げました。で,『千年女優』ですが,これもやはり『スナーク狩り』と同じプロセスを辿ったのではないかと思うのです。(これを書いている時点で,今監督のインタビューや『軌跡』など未見である。) 以下追記。上記予想は大はずれでした。当初の企画書には,「老女優の語る一代記」と書かれてあったようです(040112)。

040104
 みなさま あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。