スティーブン・ロー 中山元(訳) 2003 フィロソフィー・ジム:「考える脳」をつくる19の扉 ランダムハウス講談社
とある居酒屋。にぎやかに騒ぐ客を後目に,カウンターで静かに飲む女と男の後姿。ヘドバ(仮名)とダビデ(仮名)である。なお,以下の会話はフィクションであり,現実のヘドバさんやダビデさんとはいっさい関係ないことをお断りしておく。
ヘドバ(以下,ヘ)「神様っているのかな」
ダビデ(以下,ダ)「なに,突然」
ダビデ,びっくりしてヘドバを見る。ヘドバの右手にはコップ酒,目は前方一点を見据え動かない。
ダ「当たり前だろう。いろんな人がいるって言ってる。ウチのオヤジも言ってたし」
ヘ「それはそうかもしれないけど,同じくらいいろんな人がいないって言ってる。ウチのお父さんはいつも神なんかいないって言ってた」
ダ「偉い宗教指導者が言ったとしても,神がいるかどうかという議論の内容とは関係ないわけか」
ヘ「そう。『(2) 権威による論拠』を前提に含めることは誤りだから」
ダ「なんだその,カッコニとか,カギカッコとか」
ヘ「気にしないで」
ヘドバ,コップの中身をすいっと空ける。
ダ「でも,こないだ神様に願をかけながら馬券を買ったら,3レースも取れたよ。これはきっと,神様がいるから,じゃあないのか」
ヘ「そうかもしれないけど,やっぱりダメ。それは『(1) ポスト・ホック誤謬』ね。確かに,あなたが「神様に祈ったこと」は「予想が的中したこと」に時間的に先行していたけど,それだけでは神様が原因となって的中をもたらしたとは言えないの」
ダ「どういうこと?」
へ「だって,あなたが神様に「祈らなかった」場合にも的中したかもしれないし,「祈ったとしても」的中しなかったことだってあるかもしれない」
ダ「もちろん,オレの勘を信じたレースもあった。8レース目,それまでずっと勝ってた馬の番号が偶数だったから,次はきっと奇数だろうって3番の馬を」
ヘ「結果は?」
ダ「こなかった」
ヘ「最悪。勘も外れてるし,典型的な『(6) ギャンブラーの誤謬』を犯してるし」
ダビデはふてくされて,板わさをつまみ,口の中に放り込んだ。
ヘ「さっきのあなたの推論をこう書いてみましょう」
と言って,ヘドバは醤油に浸した割り箸の先で,カウンターの上に文字を書き始める。
ヘ「神様はいる。また,神様に祈ると中たる。ところで,祈ったところ的中した。ゆえに,神様はいる。ちょっとずるいところもあるんだけど,ひとまずこういう図式でいい?」
ダ「酒の席の話とは思えないけど,とりあえず,いいことにしておこう」
へ「この推論は,AならばB,ところでB,ゆえにAって形になってるの,わかる?」
ダ「うん?待て待て,そうか,そうみたい」
ヘ「でもこれって,『(8) 後件肯定の誤謬』って言うの。AならばB,ところでA,ゆえにBという形なら,推論としておかしくはないんだけど。この誤謬が起こるのは,AならばBだからといって,BならばAかどうかは分からない,というか,論理的にはどうでもいいからね」
ダ「どうでもいい?」
ヘ「4枚カード問題って知ってる?」
ダ「4枚のカードが並べられてて,見えてる面にはそれぞれA,B,5,6って書いてあって,それで,「表が母音なら裏は偶数かどうか」を確かめるために,めくらなきゃならないのはどのカードかって,あれだろう」
ヘ「…よく知ってるじゃない」
ダ「ここに書いてある」
ダビデ,カウンターの下の棚につっこんであった鞄から,黒い表紙に白く大きなクエスチョン・マークが描かれた本を取り出す。
ダ「あれが問題だ,これも問題だって書いてあるけど,答えは一切出てこない本だ。これが答えか,って思って読むと,反論が用意されている。まったくイライラする」
ヘ「でも,問題を正しい形で指摘するだけでも大変なことだと思わない?何に答えればいいかが分かれば,えと,つまり,何が問題か,が分かれば,あとは答えまで解くだけ,一直線なんだから」
ダ「そうかもしれないけど。で,4枚カードは?」
ヘ「そうそう。あなたが出してくれた問題だと,めくらなきゃならないのは,Aと5ね」
ダ「どれどれ」
ダビデ,本をペラペラとめくり,65頁を開く。
ダ「その通り。母音の裏が奇数だったら命題は正しくない。だからまずAをめくって確認しなきゃならない。これはよく分かる。次だ。奇数の裏が母音であっても命題は正しくないことになるから,めくるのは5だ。ところがたいていのヤツは,6をめくろうとする。偶数の裏が母音であっても,子音であっても,確かめようとしている命題にとっては,どうでもいいのに」
ヘ「そう,その「どうでもいい」ってのが,さっきのやつなの。ついでに言うと,6をめくりたがるのはどうも人の傾向らしいのね。でも,問題の形を変えると正解しやすくなるってデータもあるんだけど,ここでは,まあ,どうでもいいかな」
ダ「このページに書いてある,このことか。『(5) 正しさの確認』」
ヘ「仮説の正しさを示す証拠を探したくなる人が結構多いってこと。ホントは,仮説の誤りを示す証拠があるかどうかってことの方がずっと大事なんだけど」
いささか専門的になってきたヘドバの話に飽きたダビデはコップの酒をくっと空けた。
ダ「おかわり,同じの」
店員「あいよ」
ヘ「こっちも」
店員「あいよ」
カウンター向こうの店員,しゃぽしゃぽと一升瓶の中身をコップに注ぐ。いままで黙っていた店員,やおらカウンターに乗り出して口を開く。
店員「さっきの神様の話ね,どうも聞き捨てならないんだけど」
ヘ「なにが?」
店員「神様がいるかどうか,証明するのはなかなか難しいよ。それは分かる。でもね,神様がいないってことに,仮になったとしたら,世の中どうなる?」
ダ「そうそう,神様がいなけりゃ,道徳ってものがなくなる。そうするとだ,社会の規律もなくなる,そうなると,親の言うこともきかない,しまいにゃ,刹那的な生き方しかできない,そんな人間がいっぱい出てくることになるぞ」
店員「その通りだ。だから,神様が実在するかどうかはともかく,「いる」ってことにしておいた方がいいんだ」
ヘ「ちょ,ちょっと待って。まるで『(3) 滑りやすい坂』じゃない。神様がいなければ道徳心はなくなるってところの推論はともかく,その後の「そうなると」「そうすると」の繋がりはどういう根拠があってそう言えるの?」
ダ・店員「だって神様はいた方がいいに決まってるじゃないか」
二人の声がハモった。とたん,ヘドバの眉と口が「ヘ」の字になった。
ヘ「そんな,訳の分からない,論点先取りの『(7) 循環論』は,ダ,メ,で,す」
ダビデと店員,顔を見合わせる。ヘドバ,酒をすいっと空けると,二人をじっとにらんだ。
ヘ「おかわり」
ダ「聞いていいか」
ヘ「なに?」
ダ「そもそもなんで,神様がいるかどうかなんて聞いたんだ?」
ヘ「話を作るのが簡単だったから」
ダ「??」
さて,上のお話は面白かっただろうか?それとも,悲しくなっただろうか?悲しくはないですよね。ってことは,面白かったってことですね。ああ,よかった!
ヘ「そーゆーのを,『(4) 偽りのジレンマ』っていうの」
はっ。すいません。
フィロソフィー・ジム
「宇宙はどこからはじまったか?」とか「道徳を教えるのは神様か?」などの哲学的な問題を、身近な事例や分かりやすい概念でもって解説した本。すでに古今東西の碩学…