ルイス・キャロル 柳瀬尚紀(訳) 1976/87 シルヴィーとブルーノ 筑摩書房
Caroll, L. 1893 Sylvie and Bruno concluded
”Morning!” said the little fellow, addressing the remark, in a general sort of way, to the Chancellor and the waiters. “Doos oo know where Sylvie is? I’s looking for Sylvie!”
妖精たちの国,アウトランド総督の息子,ブルーノが登場する場面である。お姉さんのシルヴィーを探している,と言っているのだが,どうも発音と文法がおぼつかない。しかし,翻訳に際しては,この「おぼつかなさ」を各言語から探さなければならない。ということは,その準備にあたっては,子どもの発言をすべて言語として認定し,独自の語法・文法を知らねばならないはずだ。通常我々が言語として認定するものは,書きことばというフィルターをいったん通過した語や語法であるが,子どもはそれにあるところでしたがい,あるところでしたがっていない(ように見える)からだ。なんのことはない,子どもの言語発達過程を調べてきた心理学の歴史そのものをもう一度たどり直すことではないか。言語の発達に興味ある人間は,ブルーノの論理と文法にこそ,目を向け,楽しむべきである。
ブルーノは,口やかましく勉強をせっつくシルヴィーにこう言う。
`I’ve learned a little tiny bit,’ said Bruno, modestly, being evidently afraid of overstating his achievement. `Ca’n’t learn no more!’
`Oh Bruno! You know you can, if you like.’
`Course I can, if I like,’ the pale student replied; `but I ca’n’t if I don’t like!’
1832年にチェシャー州ダーズベリーで生まれたルイス・キャロル=チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは,1898年に風邪をこじらせて息を引き取った。掲題2作は,彼が最後に書いた「子ども向け物語」である。キャロルと言えばアリス2作(Nursery Aliceを含めれば3作)だが,ここではあえて最晩年の作品に注目したい。どうもぼくには『シルヴィーとブルーノ』を書いたキャロルの方が,変な話だけど,よりキャロルらしいように思われるからだ。以下,話の都合上,『シルヴィーとブルーノ』を前編,『完結編』を後編と呼んでおく。
前編の序文で,キャロルは子どものために再編集すべき書物として2つ挙げた。聖書とシェイクスピアである。聖書からは注意深く文章を抜き出し,そこに挿し絵をふんだんに入れる。実際彼は,文章と挿絵のレイアウトに,こういう言い方があるかどうか知らないが,こだわりにこだわる人だった(そのため,『アリス』では,ジョン・テニエルもマクミラン社もほとほと困った)。再編集された聖書を読む理由は,子どもたちを神の愛に浸らせることである。そして,シェイクスピアからは,子ども,特に少女にふさわしくない箇所を取り除く。大人の世界の難しい話は大きくなって好きなだけ読めばよい。書き手は,きちんと選り分けて読み手の程度に応じた良質の文章を届けるべきだ,というのが彼の意見だ。ここから透けて見えるのは,敬虔なキリスト者としてのキャロルである。前後編併せたこの『シルヴィーとブルーノ』は,ナンセンスと論理学と妖精物語のすべてを盛り込んで書かれた,彼ならではの福音書だった。
シルヴィーはさらに,ブルーノに詰め寄る。
Sylvie was arranging some letters on a board–E–V–I–L. `Now, Bruno,’ she said, `what does that spell?
Bruno looked at it, in solemn silence, for a minute. `I know what it doesn’t spell!’ he said at last.
`That’s no good,’ said Sylvie. `What does it spell?’
Bruno took another look at the mysterious letters. `Why, it’s “LIVE”, backwards!’ he exclaimed.
甥のスチュアート・ドジソン・コリングウッドによれば,キャロルは普段から子どもの言い回しに気を配り,これはと思うものをメモに書き付けていた。後編の序文でいくつかその手の内があかされている。本項で挙げた「もちろんできるよ,その気になればね。でもその気になれないんだ!」,「なんて書いてあるか分かる?」「なんて書いてないかは分かるよ!」もそのうちの2つ。いずれも,実際に子どもが使った言い回しだそうだ。
ところで,現在日本で本として流通しているのは前編だけだが,後編を日本語に訳してくださった方がいる。お名前は知らないが,本項表題にリンクをはっておいたので,興味のある方は一読していただきたい。
最後に一言。EVILとLIVEの翻訳をどうするか,ここがなかなか難しい。柳瀬尚紀がかつてある本の中で示した訳では,咎-各人。でもブルーノは小さいがゆえ,「各人」も読めないのでは?原文のブルーノは,ともかくも(逆さからでも)読めていた。1つの訳として,とんちき-きちんと。これは,先ほど紹介した某訳者氏のもの。うん,うまいと思う。