020-ミミズに学ぶ発達心理学

チャールズ・ダーウィン 渡辺弘之(訳) 1994 ミミズと土 平凡社
エドワード・リード 細田直哉(訳)・佐々木正人(監修) 2000 アフォーダンスの心理学:生態心理学への道 新曜社

 「発達心理学」について説明してほしい,という学生からの要望があった。しかも90分で。そこで,本書を紹介することにした。子どもについての記述はまったく出てこないし,発達ということばすらまったく出てこない。しかし,発達心理学的な視点と方法はよく表れていると思う。

 『ミミズと土』は,ダーウィンの遺作である。原題は”The formation of vegetable mould, through the action of worms, with observations on their habits”。1881年に書かれ,ダーウィンはその翌年に死んだ。スティーヴン・ジェイ・グールドは,ダーウィン没後100年を記念するにあたり,『種の起源』ではなく本書を引き合いに出した。実はダーウィンは,1837年に土壌に関する論文を出して以来40年間,ミミズ学者だったのである。

 進化を観察することはできない。しかし,40年間の庭の土の変化ならば正確に調べることができる。ダーウィンは,1871年にある牧草地を垂直に掘り,断面を観察した。1842年に地表に撒いた石灰岩のかけらが断面のどこにあるか調べるためである。それは,1871年の地表の18センチ下にあった。30年間で地表に18センチの土が降り積もったのだろうか?しかし地表自体の高さは30年前と変わっていない(むしろ風雨により削られている)。ということは,石灰岩のかけらの下にあった土がその上に移動したと考えられる。ちょうど,温められた水が底から水面へと対流を起こすように,土壌は下から上へと循環しているのである。誰が動かすのか?ダーウィンは,ミミズの力だと結論した。

 ミミズは土を食べる。含まれる栄養分を吸収するためでもあるし,棲息する穴を掘るためでもある。食べたものは穴の外へ糞として排出する。地面を見ると,5ミリから1センチ程度の土の塔が,そこかしこにちょこちょこ突き出ているのに気づく。これがミミズの排出した糞塊である。このようにして,ミミズは深い部分の土を地表にもたらす。

 たかだかミミズの糞,とあなどってはならない。かつて地表に倒れていたストーンヘンジの巨岩が今日土に埋もれているのは,ミミズの力によるものだ。問題は,数と時間である。ダーウィンが用いた報告によれば,イギリスのある土壌には1ヘクタールあたり13万匹のミミズが棲息していると推測される。また別の報告によれば,1エーカー(約40アール)あたり,1年間で排出される糞の量は,14.6トンとなる。先の推計を用いれば,40アールにいるミミズはおよそ5万匹である。1年間で1匹が292グラムの糞をしたことになる。1つの糞塊の重さの平均をだいたい1オンス(=28グラム)とすると,10回の排泄でこの数値にたどり着くこととなる。確実に1年間で10回は糞をするだろうから,以上は見当はずれの計算だとも言えない。14.6トンの土が,1年間で掘り返されている!岩をも覆うわけだ。

 ダーウィンが愛したのは,わずかなことが積み重なることで,巨視的には大きな結果がもたらされる,というアイディアであった。珊瑚礁の形成,ミミズによる土壌改良,そして生命の表現型の変化。いずれも,ちょっとした変化の蓄積がもたらした結果なのだ。重要なことは,われわれは「わずかな変化」ならば観察できるということである。そして,このわずかな変化の膨大な反復によって大きな変化の生起が説明可能となる。進化は,生物個体が生まれて,子を作り,そして死ぬという観察可能な単位をもとに理論化されたのだった。現在,わずかな変化の反復から大きな変化を説明する議論を,主に地質学や古生物学においては,「斉一説」と呼ぶ。斉一説についてはいろいろと批判もある(かつては天変地異説,現在ではたとえばグールドらの断続平衡論など)。発達心理学の昔からの議論で言えば,発達とは量的な変化に還元できるのか(斉一説に対応),それとも質的な飛躍があるのか(多くの発達段階論がこれ)という対立に対応する。

 エドワード・リードは,このミミズの研究を用いて発達現象とダーウィンとのつながりを力説した。この議論は,東大の佐々木正人さんらが紹介している。実のところ,僕も佐々木さん経由でリードやダーウィンを知ったクチなのだ。さて,リードによれば,この研究から心理学者が学ぶべき点が3つある(pp.47-9)。

 第一に,単純なものごとほど,複雑であることを教えてくれる。ミミズは,土を食べながらトンネルを掘るが,その乾燥を防ぐためか,地表に開いた穴を落ち葉などでふさごうとする(ダーウィンが観察したミミズは,葉を口でくわえて穴に引き込もうとするらしいが,訳者の渡辺弘之さんによれば,日本の在来種にはこのような行動を示すものはいないそうだ。道理で見たことがないと思った)。これだけならば,いかにも遺伝的にプリセットされた行動を,きわめて安定した環境への単純な反応として示しているだけのように見える。しかし,単純な行動をすべて「本能」に帰すのは,ヒトについてある行為の原因を「スキーマ」や「内発的動機」や「意図」に帰してこと足れりとする心理学者の態度と同じである。説明すべき現象に新しい名前をくっつけて,分かった気になっただけで,説明になっていないのだ。ダーウィンは,「本能」に由来するものとされそうなミミズの行動のなかに,それでは説明しきれない残余を見いだした。落ち葉を穴に引き込む際に見られる,その形状による行為の再体制化がそれだ。これをかれは,「知能」と呼んだ。このように,単純だと思われる行動を丹念に腑分けする態度を,われわれは学ぶべきだと,リードは言う。

 第二は,データによる実証という態度である。葉を穴に引き込むミミズの行動について,ダーウィンはいやというほど実験を行なっている。ミミズは落ち葉のとがった側をくわえて穴に引き込みやすいことは,自然観察によるデータから明らかであった。葉の先がとがっていればそこを,柄の方がとがっていればそちらも,ミミズはくわえていたのである。そこでダーウィンは,底辺が他の二辺より短い二等辺三角形状に紙を切り,ミミズのいる土の上にばらまいた。(おそらく)自然界にはあり得ない(したがって遺伝的にはプリセットされていない)紙片にたいしてミミズが見せた行動は,落ち葉のそれとまったく同じであった。物体のどこをくわえるかが偶然に左右されていたならば,ミミズはとがった頂点側よりも三角形の底辺側の方を多くくわえるはずである(面積は底辺側の方が広いうえ,頂点の数も1つ多い)。しかし結果は,選択的にとがった頂点を穴に引き入れていたのだ。

 またダーウィンは,Vの字状をした松葉を利用するミミズを観察している。二股の先端を同時にはくわえることができないため,一方を穴に引き入れるともう一方は地表で引っかかる。穴を効率よくふさぐには,松葉の根本(つまり,V字の下部)をくわえた方がよいのである。実際,自然観察では根本から穴に引き入れられるケースがほとんどであった。そこでダーウィンは意地悪をして,二股の先端同士をのりでくっつけたり,糸でぐるぐる巻いたりした松葉をミミズの前に用意した。格好としてはV字からI字になったため,先端と根本のどちらをくわえてもよいはずである。ところが結果は,やはり根元から引き入れられた松葉の方が多かったのである。この結果からダーウィンは,松葉の根本にはミミズが好む何かがあるのだろうと予測した(それが何であるかまでは特定していない)。こうした実験に見られる一つ一つの工夫をこそ,心理学者は味わうべきである。先端をのり付けした場合,ミミズはその匂いや化学物質を嫌っているのかもしれず,続く実験で糸を用いるあたりなど,別の解釈可能性を慎重に一つずつつぶしていく実証科学の醍醐味だろう。

 最後の第三点としてリードが挙げたのは,環境とは何かということだ。ミミズは穴をふさぐという生活の必然性から落ち葉のある形を選択的に利用していた。少し言い換えると,物体の持つある性質は,生物の行動に利用可能である限りにおいて,かれらにとって意味があるものだ,ということである。生物と外界とのこのような関係性を,リードはギブソンに依拠してアフォーダンスとして概念化した。アフォーダンスという概念は,行動という大問題を解くのに有用であるがために,生き物の外界から「もの」として選択される情報を指す。ここで否定されるのは,あらかじめ「もの」が寄り集まって環境が形成され,生き物はその中をうごめくという図式である。むしろ,生き物がうごめいてはじめて何が環境であるかも決定されるのだ。このあたりのことを前田英樹にならえば,「問いの所与=環境となりうる何か」,「問題形成装置=生物」と言い換えられよう。アフォーダンスとはさしあたり「問い」である。ただし,「問い」とそれへの「解答」は一挙に形成されると前田は言う。外界から問いとしてのアフォーダンスが現われたとき,解答としての行動もまた現われる。両者は一挙に形成される,つまり同時に出現しなければならないのだ。ということは,何かを見る,あるいは何かを知る,というのは,外界にすでにある何かを受容すると言う表現ではおかしいことになる。むしろ,見るべき対象,知るべき対象が作り出されると言った方がより精確である。こうした知覚の能動性をどんな下等な生物にも-ミミズにすら-認めたのが,ギブソンであり,ダーウィンであったのだ。生物は決して刺激を受け止めるだけの機械ではないという主張がここにある。

 以上,少し長くなったが,発達心理学の説明を終える。僕が何を言いたいのか分からなければ,もっと発達心理学に深入りするべきである。きっと自分なりに分かることがあるはずだ。

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