019-動くものをつかまえるには

養老孟司・茂木健一郎 2003 スルメを見てイカがわかるか! 角川書店

 本屋に行って会計を済まそうとレジに並ぶと,カウンターに『バカの壁』が平積みに。それといっしょになって平積みにされていた一冊を抜き取り,「これもお願い」と店員に渡したのが,本書だった。ちなみに『壁』の方は,みなが読んでいるという理由でそもそも読むつもりがない。

 養老孟司と茂木健一郎が対談する。対談,と言うより,茂木氏は終始聞き手に徹していたような印象をもった。そのせいか,ううんとうなって線を引いた箇所はどれも養老氏の言であった。たとえば43-4頁。「『リンゴ』と言った時に,人間は外的なリンゴとイデアとしてのリンゴの両方があるのを知っているから,すでに単語そのものが二面性を持ってしまっている。ところが「内」とか「外」とか,「いる」とか「いない」とかという話は,その単語そのものがどうも二面性を持たないような気がするんですよね」。また,たとえば95頁。「僕はよく言うんですけど,受け継がれていくのは,ある形,形式なんです。考えてみれば,言語はまさにそうなんですよね」。そして108頁。「田舎に暮らしている限り,目の前の自然から逃げられないんですよ。原理主義になっている閑がない。ところが都市に入っちゃうと,全部が人間の意識になってしまう。そうすると,そのなかで一番強いのが原理主義なんですよ」。しかし,聞き手がよくなければ,語り手はのりきれない。同業者から「あいつはとうとう…」と後ろ指さされるような仕事をされてきたかれら二人,通じるところは十二分にあるようだ。(この,「あいつはとうとう…」という表現は,たとえば茂木氏による養老氏評「覚悟の科学者」の言い換えである。)

 さて,先の一つ目の引用は指示と対象の問題であり,二つ目は形式と共有の問題である。どちらも言語を問いの対象としたときにどうしようもなく浮かび上がる難問。一方で,最後の引用は別のテーマに引っかかっている。聞き手と語り手はこのようにも言い換えている。「茂木 生きているものは,止められないということですね。 養老 止められないですよ。常に動いてしまうんだから,解剖のように,そのかたちをはっきりと見極めようとするアプローチとは相性が悪いんです。生きている物を扱ってるのと,死体を扱っているのでは,なにかが根本的に違うんですよ。要するに死体はスルメだというわけです(p.130)」。

 言語化は,生きて動く自然を記述する固定化の方向であるが,これは原理主義へ続く道。固定化から常にはみ出し続ける生命という現象を相手に,みずからの生活形式を整える田舎の人間は,とうてい原理主義にはなりようがない。つまりは,言語と生命およびそれらの立ち上がり方が,本書の底を流れる問いなのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA