ハラルト・シュテンプケ 日高敏隆・羽田節子(訳) 1987/99 鼻行類:新しく発見された哺乳類の構造と生活 平凡社
発見はいつも島から。ガラパゴスはダーウィンにとって,決定的ではないにせよ,よいヒントになった。そして生物学者シュテンプケは,太平洋上のハイアイアイ諸島のみに住む「鼻行類」の系統発生過程に関する仮説を1冊のモノグラフにまとめた。
鼻行類についてざっと説明しよう。哺乳類中の一目(鼻行目Rhinogradentia)であり,原書出版当時確認されていただけで14科189種が含まれる。いずれも鼻器(Nasarium),すなわち鼻が特殊な機能を担う点で特徴があり,系統分類も鼻器の形態と機能に基づいてなされる。鼻器の数により単鼻類と多鼻類に分けられるが,系統発生的には単鼻類の方が古いようだ。始祖はムカシハナアルキだと考えられている。現存するヘッケル(!)ムカシハナアルキは,通常四肢を用いて歩行するが,昆虫を補食する際など,その大きな鼻器だけを用いて身体を支える。ちょうど,鼻で逆立ちをしたような姿になる。ここから,鼻器をそれこそ手足のように用いるかれらの生活スタイルが始まったと考えられている,いや,いた。
生息する環境で見ると,陸棲はもとより,水棲のもの(ラッパハナアルキなど)もいれば,土中に穴を掘って暮らすもの(モグラハナアルキ)もいるし,果ては空中を飛翔するもの(ダンボハナアルキ)までいる。すなわち,ハイアイアイ諸島において考え得るすべての生態的ニッチは鼻行類によって占められていたのである。(他に目立つ哺乳類としては,トガリネズミの一種と,ヒトがいるくらいだった。)
1957年に「あとがきを書いた」ゲロルフ・シュタイナーによれば,これらユニークな生態をもつ鼻行類は,研究資料とともに忽然と陸上から消えてしまったという。洋上の核実験が起こした地殻変動により,島もろとも海中に没したのである。むろん,現地で調査にあたっていたシュテンプケ自身も(生前シュテンプケがシュタイナーに手渡していた本書の原稿が鼻行類について残された記述の唯一のものらしい)。したがって,鼻行類が絶滅に追い込まれたのは,まったくの偶然だったわけである。決して,鼻を使うことが生存闘争の上で不利だったから,などという分かったような分からないような理由によってではない。少なくとも,「デザインが適応的ではなかったから」という理由は,鼻行類においては該当するとは言えない。
ここまでの話を信じるかどうかはともかく(少なくとも「鼻行類などいなかった」とは言えない),哺乳類の1種族が,ここまでの生態的多様性を呈するにいたるまでの分化過程の説明は,おおよそ納得がいく。シュテンプケは,生命進化のフォーマットには忠実であった。生命進化のフォーマットが,鼻で体を支えるというムカシハナアルキの生き方を出発点としたとき,果たしてどのような形態が生まれるのか。この問いへの答えが,本書である。もう一度言う。われわれヒトという生物種を産んだのとまったく同じ生物進化のアルゴリズムに,鼻を使うことという初期項をぶち込んだときにはじき出された正確この上ない解答が,鼻行類という生命の現象なのである。この意味で,本書はまったく正しい。