016-一回性をめぐる科学

スティーヴン・ジェイ・グールド 渡辺政隆(訳) 1989/2000 ワンダフル・ライフ:バージェス頁岩と生物進化の物語 早川書房
八杉龍一(編訳) 1994 ダーウィニズム論集 岩波書店

 生命の進化を観察することはできない。ただ状況証拠のみ取りそろえ,それらをつなぐ糸を頭の中で考えることしか,われわれにはできない。その糸をつなぐ思考回路を,進化論という。

 また,進化を実験することはできない。ヘッケルはこのように言う。「進化論のために精密な,あるいは完全に実験的な,証明を要求するのは,まったく不当なことなのです」(1877年の講演「綜合科学との関係における現代進化論について」より。八杉(編訳) p.128)。実験は事象が再現することをもって仮説の証明とする。一方で進化論は,歴史の一回性を前提とする。グールドが強調するのはこの点で,かれはそれを「偶発性」と呼ぶ。生命がたとえばヒトのような形態をとるにいたったのは偶然の積み重ねであり,ちょっとしたタイミング次第ではありえなかったかもしれないのだ。このタイミング自体は必然的である(たとえば地球と隕石との衝突は十分に予測できる)。したがって現在われわれが見る生物の世界とは,言うならば必然と必然の間にある偶然が紡いだ糸の末端なのである。

 古生物学では,生物のいた痕跡が見つかるのは,とある地質年代よりも新しい地層からだというのが常識なのだそうだ。境界に当たるのがカンブリア紀で,わずか(!)500万年から1000万年の間に現在の生物門のほぼすべてが出揃った。生物の分類はおよそそのデザインにもとづいてなされる。ゆえに生命はこの時期考え得る限り体のつくりを試したと言える。その中には,どうやら現在ではお目にかかることのできないデザインもあったらしい。カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州を貫くロッキー山脈の尾根で1909年に発見されたバージェス頁岩(けつがん)が,すでに消滅したこれらのデザインをスケッチしていてくれたことから分かった。

 グールドの文庫本の表紙に,そのデザインの例が描かれている。5つ目とゾウのように長くのびた口吻,そして体側に並んだ鰓のような足のようなもの。オパビニアだ。そしてもう一体,ナメクジのような体の下から伸びた左右10対の足と,背側から突き出た7対の角のようなもの。ハルキゲニア。物珍しさから,バージェス頁岩の生物のうちでも人気の高いかれらは,どうやら形態的な子孫を残さなかったらしい。

 その理由は分からない。だが少なくとも,デザインが適応的でなかったからという理由は,誤りでないにせよ不適切である。われわれは生き残った生物種について「適応」ということばを使うのであって,それは生き残ることと同義である。それにしても,と思うのだが,ウニは今もいるのに,同じく棘のようなものがあるハルキゲニアはもういないのだ(いないかどうかは分からない。発見されていない,というだけかもしれない)。

 そう,そのハルキゲニアだが,表紙の絵と,本文中に挿入されているマリアン・コリンズの絵をよく見比べてほしい。上下が反対だと気付くはずだ。訳をした渡辺政隆さんのあとがきを読むと分かるように,ハルキゲニアについて最初のモノグラフを書いたコンウェイ・モリス以後,足だと思われていた棘が,実はそうではなかったと報告されたらしい。表紙の絵は,おそらくそうした学説の変更に基づくのだろう。

 いろいろな書評が出ているが,いずれもコンウェイ・モリスの「カンブリア紀の怪物たち」(講談社現代新書から訳が出ている)を併読するよう薦めている。しかし,ぼくが薦めるなら,次に紹介する本にしたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA