お疲れさま

 阪神タイガースの2008年シーズンの戦いが終わった。

 今一歩勝ちきれない、いかにも阪神らしい終わり方だったのではないか。

 ペナントレースで巨人に抜かれたときから、ぼくのなかではもう気が抜けて応援に身が入らなくなっていた。だから、
CSはなんだか余興のようなものとして見ていた。

 それでも、昨日の試合に勝てば勝ったで「日本一」を目指して欲しいとも思い直した。

 選手やスタッフの皆さんはよくがんばったよ、お疲れさま。

 そして岡田監督、5年間お疲れさまでした。

イグノーベル賞のニュース

 今年度のノーベル物理学賞、同化学賞受賞者が先日発表され、日本の研究者が受賞したというので科学界がにわかに盛り上がっている。

 盛り上がっているのは受賞された先生方が学んだり教鞭を執られたりしていた大学も同様。

 化学賞を受賞された下村脩先生の母校、長崎大学は、旧帝大以外の地方大学初の受賞者輩出ということで大喜びの様子。名古屋大などは、物理学賞の小林誠・益川敏英両先生がOBであり、かつ下村先生が助教授としてかつて所属されていたということで、さぞやお祭り騒ぎかと思いきやそうでもない。数年前にも野依先生がいらしたので、もう慣れてしまったのだろうか。

 さて、北大はどうかというと、このニュースが大学トップに掲載されていた。見ると10月9日付のニュースである。

「あれ、イグノーベル賞の受賞自体はもっと前に発表されていたような」と思い調べてみると、授賞式は10月2日にあったようだ。

 それから1週間たってからのニュース掲載。なんか妙なタイミング。中垣俊之先生の受賞が本当に栄誉なことだと考えているのならば、すぐにニュースとして掲載すればいいものを。もちろん、受賞対象の論文はNature掲載のものだし、粘菌の知性なんて、心理学的にもものすごく面白いご研究だと僭越ながら思う。むしろもっと評価されていい。

それでもいいのだ

 赤塚不二夫先生が亡くなられ,先日告別式が執り行われたようだ。その様子をワイドショーがさかんに取り上げていて,タモリの述べた弔辞がしきりに紹介されている。

 その際の映像と後から報道された弔辞を拝見し,しんみりとした気持ちになった。ちょうど,「まんがNo.1」や「ライブ・イン・ハトヤ」など,当時のあのあたりの集まりの活動の成果が復刻され,それらに接して楽しんでいたということもあったので,ひとしおである。

 そうそう,実際に述べられた弔辞の内容と,報道されたその書き起こしの内容が少し違っているのを見つけたので,指摘しておく(って誰に言えばよいのだ)。

赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文

…あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。…

 上記引用のうち,「重苦しい陰の世界から解放され」のところ,実際には「<font color=”red”>意味</font>の世界」であった。そう判断したソースはこちら(映像の3分頃から該当の箇所)。ここを「意味の世界」として理解すると,あのニャロメが60年代の学生とともに「ナンセーンス」と叫んだことにつながる。そしてその「ナンセーンス」は結局のところ赤塚先生の意図とは対極にあった,つまり「これでいいのだ」を忘れていたことに気づくのである。

 さて,弔辞ではこのようにも述べられていた。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。

 その通り,故人が生きていたら(?)おそらくはそのように言うだろう。しかしタモリは笑わせようとしなかったし,笑いは起こらなかった。笑いを狙わなかった理由は,分からない。

 そもそも,弔辞で笑わせること,笑うことはできないのか?

 いや,できる。その一つの例を紹介しておく。イギリスのコメディ・グループ,モンティ・パイソンのメンバー,グレアム・チャップマンが1989年にガンで亡くなったときに,他のメンバーたちが述べた弔辞がそれである。

 最初に登場するのが,ジョン・クリーズ。チャップマンとはケンブリッジ・フットライツ以来の仲間である。彼の言葉に参列者が爆笑する。

 ジョンのあとに歌を歌うのは,エリック・アイドル。歌うのは,”Allways look on the bright side of life”。これは,パイソン映画『ライフ・オブ・ブライアン』のエンディングに流れることで知られる。下の映像を見れば分かるように,磔にされている罪人たちに向けられた歌である。「どうせみんな死んじゃうんだから,楽しくやろうよ,チョンチョン」という広川太一郎(この人も故人だ)の声が聞こえてきそうだ。

 弔辞で笑わせること,笑うことは不可能ではない。では,なぜタモリはそうしなかったのか。そうしたくなかったからだろう。それでもいいのだ。

2000本

 阪神タイガース,金本知憲選手(お,一発で変換できた!偉いぞATOK!)が,2008年4月12日の対横浜戦にて,
見事2000本安打を達成された。

 おめでとうございます。

 最近とみに涙腺がゆるくなってかなわないのだが,今回もまた鼻の奥がつんとなって困った。

スポーツ新聞のインタビュー文体

 今年のセは巨人でしたね。応援する阪神にはぜひCSでがんばっていただきたい。

 さて、プロ野球の結果が気になる私はスポーツ新聞をネットでよく読みます。

 最近気になるのは、その独特の文体。それも、地の文ではなく、選手の発話内容の表現。たとえば、2007年10月4日のサンスポ、 タイガース今岡の復活4号ソロの記事には、こうあります。

 二回一死。フルカウントから、グライジンガーの高め144キロだった。自身も納得の一発。最多勝当確の助っ人右腕を叩き、 上園へ8勝目を贈るアーチを手土産に、試合後はただ真っ直ぐ、次の舞台だけを見据えた。

 「いい締めくくりが出来た? これからやからな、俺は。CSでいい仕事を出来るようにな」

 虎党の声援に応えながら、少ない言葉に気持ちを込めた。

 記事に書かれた発話は、当然今岡選手のものと思われます。実はこの記事中、鉤括弧で地の文と区別される3つの発話があるのですが、発話主が誰であるか、明記されていません。

 さて引用された発話は3つのセンテンスから構成されていますが、第一のセンテンス「いい締めくくりが出来た?」は、どうも今岡選手ではなく、インタビュアーの問いかけのように思われます。今岡選手の実際の発話は、2番目と3番目のセンテンスだったように思われるのですが、どうでしょうか。もしもこの推測が正しいとしたら、このカギカッコ内のセンテンスは2つのターンをあたかも1人の発話であるかのようにまとめあげていることとなります。

 一般的に、作文のルールではそのようなことはなされません。前衛小説とかSFでもない限り、発話主の交代は何らかの仕方で明示されるのが普通です。ところが、スポーツ新聞の場合、インタビュアーとインタビュイーのやりとりが1つのターンとして書かれることがしばしば見られる。最近気になると言ったのは、このスポーツ新聞独特と思われる文体のことです。

 さらに気になるのは、一般的なルールは侵犯しているものの、では理解しづらいかというと、そうでもないという点です。先の引用ですと、今岡選手がその通り発話したとしてもおかしくない、と感じられてしまう。つらつら考えてみますと、今岡選手がインタビュアーの質問を「聞き返した」ものとして「いい締めくくりが出来た?」の箇所を理解しているようですね、私は。つまり、「いい締めくくりができたかって?これからやからな…」のように、「かって」を補足して読んでいるようですね、私は。

 いや、作文のルールも知らないのかと怒っているのではないのです。まったく逆で、工夫に富んだおもしろい文体だと感心しているのですよ。

 おそらくはいくつかの理由から生み出されたのではないかと推測します。第一に、いちいち質問と応答を別のカギカッコに入れて書くのは、限られた紙面の無駄遣いという判断があったのではないか。第二に、読者は選手の発話を知りたいのであり、インタビュアーや記者の発話を知りたいわけではない、という判断があったのではないか(結果的には、読者は記者の手を通して知るわけですが)。

 こうしたもろもろの事情の果てに生まれた文体として読むと、また味わいがあります。

オープンユニバーシティ

 今朝の朝日新聞朝刊24面に、大学で開かれるオープンキャンパスについての記事が載っていました。そこに掲載されていた「オープンキャンパスの評判がいい大学」ランキングに目が引かれました。07年に河合塾が高校の進路指導教員に実施したアンケートによれば、以下のような順位になったそうです。

 1 東北大
 2 早稲田大
 3 東京大
 3 中京大
 5 関西学院大
 6 東洋大
 6 明治大
 6 立命館大
 9 立教大
 10 青山学院大
 10 関西大

 うーん、何というか、北大はここに入っていないですな。がんばっているんですけどねえ。

 ことさらこの記事に目がいったのは、日曜日にオープンユニバーシティが開かれ、そこに参加したからなんですね。

 教育学部では、学部の簡単な紹介と模擬講義、それに施設見学が加わったメニューを用意しました。これを午前と午後、1回ずつ実施します。午前は130名ほど、午後は90名ほどの参加者がありました。遠くは福岡から、近くは市内から(こちらが大半なのですが)参加してくれました。

 ぼくの担当は学部紹介と施設見学の案内です。30分ほどで「教育学とは何か」「ゼミとは何か」「どのようなコースがあるのか」などを説明。

 その後の質問タイムで多く出るのは、やはり進路の話ですね。うちは教員養成系ではないので、卒業生のうち教員になる人の割合はそれほど多くありません。また、認定校にもなっていないので、臨床心理士の資格を取ることもできません。てなことは毎年繰り返し言っているような気がします。

 参加者もはっきりと別れているように思います。すでに自分の将来についてビジョンを持ち、そのためのステップとして大学を利用しようとしている人。こういう人は、「どのゼミに入れば教職や福祉関係の職につきやすいか」といった観点を持っているようです。

 一方で、「ただなんとなく大学進学」「なんとなく教育学部」という人もやはりいるわけです。ぼくなどはこちらに近かったので、気持ちはよくわかります。体験講義の時に寝ているような剛の者もいて、「なんのために来てるんだろう」と疑問なのですが、まあ気持ちはわかる。言ってみればこの人たちは浮動票なのですね。この票を確保しようと、どの大学、どの学部も躍起になっていると。

 教育学部に入学した人の中で、体験入学やオープンユニバーシティに参加した経験のある人は半数近くにのぼるそうです。日曜の努力は徒労には終わっていない、と思うようにします。

『失踪日記』文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞受賞!

だ、そうだ。

平成17年度文化庁メディア芸術祭

『PLUTO』をおさえての受賞。こちらには原作があるから、とはいえ。

昔(と言ってもたかだか十数年前からだが)からのファンとしては、嬉しい反面、なんだかこそばゆい感じがする。けど、素直に喜ぶべきなのだ!おめでとうございます!!

常磐新線開業

 本日、常磐新線が営業を始めた。

 現在は「つくばエクスプレス」という名前で呼ばれているようだが、元・地元民としては、土地の買い取りや工事の様子を眺めていた頃の呼び名、「常磐新線」が落ち着くのである。

 平成17年開業、ということは相当以前から言われていた。確か十年前にはもう開業年度は決まっていたのではないか。聞いた時には、ずいぶん先のことと感じていた。

 いまや「そのとき」が来たったのである。大げさかもしれないが、1999年7の月に感じたのと同じくらいの、「ついにきた」感なのだ。

 今度里帰りしたときにでも、話の種に乗ってみよう。個人的には、秋葉原ではなく、浅草に降りて、ぶらついてみたい。