音韻意識研究徐々に始動

  ああ、今週もなんだかあっという間に過ぎ去っていったことであるよ。

 水曜、非常勤を終えたその足で新千歳空港へ。名古屋に向かう。共同で音韻意識の発達過程について研究しているhouさんと打ち合わせのため。

 中部国際空港に降り立ったのが夜中だったため、金山のカプセルホテルに投宿。寝るにはまったく不自由しないが、仕事をする環境ではないことが身にしみて分かる。

 明けて木曜、houさん宅におじゃまする。お嬢さんのtomoちゃんと必死になって遊ぶ。本題の打ち合わせが煮詰まるとtomoちゃんと遊ぶ。おかげでだいぶ慣れてくれたのではないかな。

 音韻意識の形成の発達をどのようにモデル化すればよろしいか、欧米で大量に生産される研究が立脚するモデルはむぁったくなっとらんと二人で憤慨しながらレビューを書く算段をたてる。さらには、口ではいくらでも耳に良いことが言えるわけで、そうすると実際にデータを取らねばならないわけで、そのために来年1月の調査開始に向けて、具体的に実験素材選定に入る。いよいよ、である。

 すやりすやり寝ているtomoちゃんに別れを告げ、飛行機で帰った札幌には雪が舞い降りていた。気持ちよいので白石駅から歩いて家まで帰った。

 明けて金曜、九州大の学会からずっと長崎に戻っていた妻子が帰ってきた。アマネはちょっと背が高くなった。きゃあきゃあ叫んでは部屋のすみずみを冒険し、札幌の家の感触をじわじわと取り戻しているよう。

 さあ、これから雪の季節である。今年は3人でそり遊びをしよう。

カテゴリーは食えない

 まだ帰省中。

 一昨日昨日と、那須に一泊してきた。父母、妹とおいっ子といっしょである。

 帰りがけに寄ったりんどう湖ファミリー牧場で、ソフトクリームを食べた。入り口から入ってすぐのレストランのそばで1つ買って、アマネにも少しあげたところ、あまり欲しがらない。スプーンにすくって顔に近づけても、ぷいとそっぽを向く。

 牧場に移動してそこでも買ってみたところ、こちらのソフトクリームは喜んでぱくぱくと食べる。自分から口をもっていくのである。

 「同じソフトクリームなのにねえ」「あんまり味の違いは分からないけどねえ」

 と顔を見合わせてみるが、当人にしてみれば、まずいものは食いたくない、うまいものならもっと食いたいと、単純なことなのだろう。「ソフトクリーム」というカテゴリーを食っているわけではないのである。

 とすると、ぼくらはいつからカテゴリーを食うようになったのか。とても面白い問題だと思う。

P1000247.jpg これはでかくて食えんなあ

ただいま帰省中

 日曜から家族で茨城に来ています。

 アマネは、羽田までの飛行機では寝ていてくれたのでゆっくりできましたが、空港から実家までの車のなかでは元気でした。

 最近磨きをかけているがに股歩きをさっそく父母に披露しております。芝生の上も大丈夫。

 25日に札幌に戻ります。こちらにいるあいだに、たまった作業を片付けなければなりませんが。

 クリックすると、別ウィンドウで動画が見られます。(Quicktime)

 やじろべえのように歩きます。

 車も運転できるよー。

はこだて未来大学に行ってきた

 卒論生といっしょに、はこだて未来大学へ行ってきました。目的は、人工物とインタラクションを広くご研究されている南部美砂子先生にお会いするため。

 卒論生の一人、わーさんの研究テーマが、「母子間相互行為場面におけるケータイ」というもの。ケータイ研究の動向はこちらはとんとさっぱりなので、ここはご専門の方にうかがうのが最良と、南部先生の門をたたいたのでした。

 札幌からはスーパー北斗で函館入り。駅にて、今回の参加者、めぐくん、わーさんとともにレンタカーに乗り込みました。函館の駅は最近新しくしたのでしょうか、6年前に学会で来たことがあるのですが、そのときはもっとぼろっとした印象でした。ところがいつのまにか近代的な建物に変貌していました。

 街から大学までは車で20分くらいです。函館の内陸になだらかに盛り上がる山の上に大学は建てられました。函館山からの夜景は有名ですが、大学からは「裏夜景」と呼ばれる街の灯が望めるのだそうです。

 大学の駐車場に車を停めると、南部先生と東工大の岩男征樹先生が出迎えにいらしてくださいました。

 今回は研究のヒントのようなものをいただければと考えていたのですが、先方は研究交流会のような形でセッティングして下さっていました。南部研からはゼミ生2人が参加してくれました。彼/女は、わーさんと同じくケータイについての研究をしているそうです。違う点は、一人は小学3年生のケータイ使用、もう一人は高齢者のケータイ使用と、お二人とも機械のユーザビリティの点から見ているところでした。

 研究会は、わーさんのここまでの調査内容の報告に続いて、南部研の2人の発表という順で行なわれました。ケータイそのものが新しいメディアであるだけに、ユーザの視点からの研究は本当に少ないのですね。これから若い3人にはいろいろな視点から具体的なデータを集めてもらいたいと思います。

 ところで、北大の学生は、はこだて未来大学の建築デザインにいちいち驚いていました。なにしろ新しい大学ですから、きれいなのです。僕が岩男先生と日心でのRTの打ち合わせをしている間、めぐ、わーの両氏には大学のなかを探検してきてもらいました。 

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 この大学のように、新しいカリキュラム編成をデザインするとともに、それにみあった建築のデザインもしてしまう、というところは少ないと思います。カリキュラム編成のデザインにあたっては、ヴィゴツキーに由来する学習観も大きな影響を与えたと聞きます。そのあたりは、下の本に詳しいです。

「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体
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 研究のヒントをたっぷりといただいて、大学をあとにしました。南部さん、岩男さん、そして学生の皆さん、どうもありがとうございました。

 このあと、ぼくが予約した宿の名前をど忘れして、1時間ほどうろうろと探し回るという失態を演じたりもしましたが、無事に投宿。函館の夜の駅前をぶらぶらと3人でそぞろ歩きしながら打ち上げです。

 1軒めは「根ぼっけ」。海のなかであちこち動かず、居着いてしまったホッケのことを根ぼっけというのだそうですが、その魚の名を店名にしているだけあって、根ぼっけ料理がウリのようです。貧乏な3人でしたので、根ぼっけ焼き半身(小)を頼みましたが、3人だとそれでも十分なくらいでかいものが来ました。その他、刺身も活きがよくたいへんおいしい。実は、ここは南部先生に教わったお店なのでした。感謝であります。

 2軒めは「杉の子」。ここは居酒屋好きには知られた古いバー。柱にかかった操舵輪をはじめ、年季の入ったオブジェが壁一面を埋め尽くしています。函館という観光地にありながら、地元の方らしき人がひっきりなしにドアを開けてくるのは良いお店の証拠。ここでは、オリジナルのカクテル「八甲田丸」をいただきました(その他に、青函連絡船の名を取ったとおぼしきカクテルが3種類ほどありました)。卵を使ったリキュール(名前、失念)を使っているそうで、グラスのなかのクリーム色をなめると甘酸っぱくコクのある味が舌にまとわりついてきます。めぐ、わーの両氏は「うまいうまい」と感動してお酒を飲んでいました。

 宿の門限は11時、現在10時半です。大急ぎで戻ったところが、すでに共同浴場は終了。部屋でめぐくんの卒論指導をしたのち、汗くさいままふとんのなかで気を失いましたとさ。

KICR訪問記こぼれ話

・おこぼれ1 飛行機

 往きに乗ったJAL機は通路をはさんで横4人がけしかできない小型のやつだった。これがまた強烈に揺れる。正直言って怖かった。

 往きの飛行機の話でもうひとつ。陳先生のチケットに書かれていた座席番号は「11H」。ぼくのは「12C」。こう書かれていたら、「ABDEFG」という並びのCとHだと思うのが当然だろう。外から見た機体はずいぶん小さいのに、なぜ座席が横にそんなに並ぶのだろう。混乱してしまった。

 実際には、「ACHK」という4席並びのCとHだった。ウィトゲンシュタインの言う「規則」の話を思い出した。そうだよなあ、勝手に規則的だと思いこんでいることってあるよなあ。

・おこぼれ2 タクシーのなかで

 タクシーの運ちゃんの話。けいはんなの学術文化研究都市は、山を切り開いてむりやり造られた計画都市である。どうやら元代議士のノナカさんが引っ張ってきたらしい。山の持ち主は一晩で億万長者となったそうだ。ただ、いかんせん交通の便が悪い。

 むりやり作られた計画都市という意味では筑波も似たようなものである。学園都市が生まれて30年、ようやく昨年東京と電車が通じた。あと20年くらい待てばけいはんなにも電車が走るだろうか。できるとしたら、高架のモノレールかな。

・おこぼれ3 梅田の夜と朝

 帰りの伊丹空港に行きやすいように、ホテルは大阪梅田に取った。泊まったOSホテルのすぐ裏にはお初天神がある。

 一仕事終えた陳先生とぼくはホテル裏のアーケードをさまよい、鍋料理屋で舌鼓を打った。陳先生からは台湾からイギリスへ渡ったいきさつや、イギリスでの学生生活についてうかがった。

 あまりに眠く、11時には就寝。

 次の日、朝食後に街を散歩した。お初天神は2回目だ。最初に来たのは、『アタック25』に出場したときで、確か近くのお好み焼き屋でメシを食った覚えがある。

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 出勤途中のサラリーマンが神社の敷地内を斜めに突っ切っていく。その途中、賽銭箱の前で立ち止まり、小銭をそこに投げ入れて上にかかった鈴を振り、手を合わせてから足早に去っていった。ふと、アイルランドのゴールウェイで見た光景を思い出した。朝の教会の前を出勤途中の女性が足早に通り過ぎながら、胸の前ですばやく十字を切るのだ。宗教というのはけして観念的なものではなく、こういう、日頃の暮らしに埋め込まれた些細なことなのだろう。

 バー「北サンボア」の前の日だまりに子猫が2匹、うずくまっていた。

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カルメン故郷に帰る

 週末に有給をつけて茨城へ帰省した。アマネにとっては初めての茨城である。

 往きはANAで。搭乗受付カウンターで「赤ちゃん連れですが、都合のいい座席を取ってください」と伝えると、「ベビーベッドをお使いになりますか」とのこと。どのようなものか知らないが、とりあえず「はい」と言ってみる。
 座席は、機内映像が映し出されるスクリーンのある壁のちょうど前だった。壁には穴が3カ所空いている。離陸後しばらくすると、フライトアテンダントがやってきて、鉄のフレームに布のはられたかごのようなものを持ってきた。フレームの端を壁の3カ所の穴に差し込んだ。これがベビーベッドなのだそうな。確かに、飲み物を飲むときなど、このかごの中に赤ちゃんを入れておくとだいぶ楽である。

 羽田に到着、実家の父母が車で迎えに来てくれていた。アマネは会う早々大泣きである。ひとみしりが激しい。父母はあまりアマネに顔を合わせないようにしていた。さいわいチャイルドシートのなかでは大人しくしていてくれていた。

 実家には妹夫婦とその子ども(1歳)が来ていた。この子はとにかく走り回り、興味のあるものを手当たり次第触りまくる。夕食は大騒ぎしながら食べた。

 2日目、午前中にアマネをだっこして近所を散歩。目の前の丘を登ったところにあるご先祖様の墓にアマネの顔を見せ、手を合わせる。盆にも彼岸にも来ることができなかったので。
 午後から、妹夫婦とともに、老人ホームに入っている祖父にアマネを見せに行く。だいぶ耳は遠いのだが、それでも受け答えはしっかりしていた。

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 3日目、妻が、筑波時代からながらく懇意にしていただいている美容師さんのところへ、調髪してもらいに行く。ついでにアマネも髪を切ってもらう。生まれたときのまま、ボサボサだったのだ。美容師さんの顔を見て大泣きしながら、顔をぶんぶんとふりながら、ようやく切ってもらう。

  4日目、妻は長崎の実家へ、ぼくは仕事があるので札幌へ。昨年11月のように、また1か月半ほど単身赴任生活である。ふたたび父母に羽田に送ってもらう。アマネも二人にはもうすっかり慣れ、昼食を食べるときにはだっこをされても騒がなくなった。よかった。

 自分の将来のことはさっぱり分からないものの、できれば生まれ育ったこの地で最期を迎えたい。たいした家でもないが、とりあえず代々引き継いできたものもある。アマネは八代目にあたるらしい。君がどう思うかは分からないし、反抗してどこかに行ってしまうかもしれないけど、ここは確かに君の根っこの1つなのだよ。覚えておきなさい。

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 札幌に戻ると、道路の雪はほとんど融けてなくなっていた。

子育て支援センター

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昼過ぎから、ベビーカーに子どもを乗せて、妻と3人で札幌市子育て支援総合センターを訪れた。2~4ヶ月児向けの歌遊び講座に参加するためだ。妻が申し込んでくれた。

 札幌市子育て支援総合センターは、昨年誕生したばかりの新しい施設である。札幌の繁華街、すすきのの中心から歩いて5分ほどの場所にある。繁華街のそばにありながら周囲は閑静なたたずまい。それもそのはずで、小学校の敷地内に、保育園と小学校に隣接して建てられている。さらに、正面入り口のすぐ脇には交番まである。

 歌遊び講座には15組ほどの親子が参加していたろうか。妻の友だち関係のみなさんを中心に小さな輪ができる。

 センター職員の方だろうか、講師となり、赤ちゃんを相手にしてちょうどいい歌を、参加者がそれぞれ自分のところの子どもに歌って聞かせる。歌といってもたいそうなものを覚えなければならないのではなく、子どもに向かい合うという姿勢とリズミカルな歌い方と肌と肌で直接触れ合うことを心がけましょうという程度。単純だが、確かに大事なこと。

 帰りがけに、行きつけの居酒屋に行き、子どもの顔を見せた。子どもを見るとみなにこにこしてくれる。そう言えば、地下鉄駅のエレベータではご高齢の方々がみな子どもの顔を見てにこにこしてくれる。街というものの持つもう一つの顔が透けて見える。