FW1 9-10

     nor avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick:

 遠くの炎より声が、泥炭洗礼ペトリックに、我へ我へモーセと鳴りひびいたのもまだ。

 この一節についてJoyceはこう説明している*2
 "The flame of Christianity kindled by St Patrick on Holy Saturday in defiance of royal orders"
 「王の命令に抵抗して、聖土曜日に聖パトリックがキリスト教信仰の炎をあげた」。
 これは以下の逸話を指すと思われる。「ターラの丘で諸王が集う祭りの日には王宮に灯りがつくまで何人も火を焚いてはならないという決まりごとがあった。セント・パトリックはこの掟を破ってターラの丘の向かいにあるスレーンの丘で火を焚いた。これに怒った王は彼を殺そうとしたのだが、次々と奇跡が起こった。彼が焚いた火は消そうとしても消えず、ドルイドとの対決にも勝った。恐れた王たちはついにキリスト教に改宗したのだそうだ」(海老島均・山下理恵子(編著) アイルランドを知るための60章 明石書店 p.173)。(9/4追加)
 聖パトリックによるアイルランドへのキリスト教の布教がモチーフとなっている。キリスト教と聖書はFWの背後に常に見え隠れする要素だ。

 avoice: a+voice、avoid?

 afire: a+fire、from afar(遠くに)

 bellowsed:
 bellows(ふいご)。火をおこす道具であるが、アコーディオンやパイプなど共鳴楽器に風を送り込む装置でもある。
 bellow(どなる、とどろく)。Joyceは何がbellowしたのかについて、以下のように注釈を加えた*2。"the response of the peatfire of faith to the windy words of the apostle "。伝道者の虚言に対する、信仰の熾き火による応答、ということか。

 mishe mishe: mise(アイルランド語で「私をme」)。

 tauftauf: turf(泥炭)、taufen(ドイツ語で「洗礼baptise(pdf)」)。

 thuartpeatrick: "Thou art Peter and upon this rock etc"を1語に圧縮。
 thou artは古い英語でyou are。引用したのは新約聖書マタイ福音書16章18節の、イエスの言葉である。ラテン語で"Tu es Petrus et super hanc petram aedificabo Ecclesiam meam."「汝はペテロなり、我この磐の上に我が教會を建てん」(文語訳新約聖書より)。
 原文では、Petrus(ペテロ)とpetram(岩)の語呂合わせがなされている。ペテロはイエスの12使徒のひとりであり、カトリック初代教皇。

 thuartpeatrick: 聖パトリックSaint Patrick。アイルランドの守護聖人で、彼の地へキリスト教を伝道したことで知られる。

 fire … bellows … taufと、炎のイメージが続くが、thuartpeatrickにはpeat(泥炭)が見える。ということは、mishe misheにはmoss(こけ)もひびくか。
 McHughはmishe misheにMoses, Moses(モーゼ)を読み取る*1。というのも、モーゼにとってburning bush(燃えても燃え尽きぬ柴)は神の隠喩であり、アイルランド人にとって燃える柴とはすなわち泥炭にほかならないから。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. pp.316-7

マーネと愉快な仲間たち

 やあ、ぼく、マーネ。尾張生まれの絞り染めグマなんだ。まあね、が口グセだから、マーネって言うの。

 まあね、しばらく前に北海道に引っ越してきたんだけど、来て早々、我が家に新しい住人がやってきたよ。

 たいてい寝てばかりでいるけど、まあね、ときどき、もぞもぞ手足を動かしたり、くしゃみしたり、泣きじゃくったりする、変なヤツなんだ。

 ぼくの方が今の家に先に来んだから、まあね、ぼくがアニキで、おまえは弟分だな。でも、弟分のくせに、今じゃあこいつが殿様みたいな扱いをされてる。ほんと、腹たつなあ。

 まあね、変なヤツだけど、ずっと「ヤツ」なんて呼ぶのも、粋じゃないよね。だから、ぼくが名前をつけてあげよう。

 よし、弟分だから、ぼくの名前にちなんだのにしてあげよう。

 「あまね」はどう?「まあね」じゃなくて、「あまね」。まあね、なんだかいいじゃない?

 よろしくね、あまね。

050818.jpg

FW1 6-9

     nor had topsawyer’s rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County’s gorgios whole they went doublin their mumper all the time:

 オコネー川の流れに臨むトップソーヤー岩が積み上がり、ローレンス州のジプシーでない人々がいつもジプシーを倍々にしたのもすでに先のこと。

 この節について、Joyceは次のメモを残している*2
 Dublin, Laurens Co, Geogia, founded by a Dubliner, Peter Sawyer, on r. Oconee. Its motto: doubling all the time
 アメリカ合衆国、ジョージア州Georgiaローレンス郡Laurens Countyにはダブリンという街がある。ジョイスは、この街の創始者をPeter Sawyerとしているが、こちらではJonathan Sawyerだとされている。Oconeeもアイルランド起源の名だろう。
 前節とのつながりから言えば、海を渡る人々はついに北アメリカNorth Armoricaに到達、生まれ故郷の名をその地に残した。Laurensは、Sir Tristramの別名でもある。

 topsawyer’s rock: オコネー河岸の地層*1。オーストラリアのエアーズロックAyer’s Rockを読み込む向きもあるが、どうだろう?
 top sawyer: 通常の意味では、「上役」「木挽きsawyerの棟梁top」。しかし、トウェインの書いたトム・ソーヤTom Sawyerでもある。その友だちはおなじみHuckleberry Finn。彼もFinn-egansのひとりだ。
 rocks: 複数形で「睾丸」。身体のレベルで読めば、topは「頭」を指す。

 exaggerare: ラテン語で、「土手を築くことto mound up」*1

 themselse: them+else他の彼ら、themselves彼ら自身。自分自身でありつつ他の誰かでもある。Joyceは"themselse= another Dublin 5000 inhabitants"*2とメモを残している。つまり、もうひとつのダブリンに住む別の人々のことでもあるだろう。

 mumper: 俗語で、「混血のジプシー」。*1

 doublin: Dublin、倍増doubling、babbling?

 gorgios: 華麗なgorgeous、ジョージア州Georgia。Laurens County’s Georgiaと、行政レベルが逆転している。
 gorgo: イタリア語で、「渦巻き、混乱、騒ぎ」。*1
 gorgio: ジプシーのことばで、「非ジプシー」。*1


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. pp.316-7

こんなサイトが

 検索サイトで調べものをしていると、多くの場合、検索結果の上位にWikipediaの項目が引っかかってくる。

 詳しいし、便利なので、リンクを張りたい衝動に駆られるのだが、なんだか負けたような気がして、なるべくそれはしないようにしている。読みにとって、語の定義や百科辞典的知識が重要なのではなく、連想が重要だからだ。

 そんななか、こんなサイトを発見してしまった。

 Finnegans Wiki

 うひー。便利な世の中になったものだ。

FW1 4-6

     Sir Tristram, violer d’amores, fr’over the shot sea, had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war:

 Sir Tristram…had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his panisolate war: トリストラム伯爵が、半島戦争を支配すべく闘うために、北アルモリカからこちらがわヨーロッパ・マイナーのごつごつした地峡へ、ふたたびやって来たのはまだ先のこと。

 Sir Tristram: サー・アモリー・トリストラムSir Amory Tristramは初代のホウス城伯爵。アルモリカの北、すなわちブルターニュ地方に生まれ、後に聖ローレンスと名前を変えた。
 トリストラムはトリスタン(pdf)も連想させる。ワーグナーの歌劇で知られる、トリスタン物語の主人公。彼はブルターニュで育ち、コーンウォールに戻る。その後叔父マルケ王(King Mark)の妻となるべきイゾルデを迎えにアイルランドへおもむく。
 この一節は、海を越える人々のモチーフ。

 violer d’amores: viola d’amoreヴィオラ・ダモーレ。7本の弦がはられた擦弦楽器。
 violer: フランス語で「侵犯するviolate」*1
 d’amore: イタリア語で、「愛のof love」。

 fr’over the shot sea:
 shot sea: short sea。航海用語で、「短距離海路」。たとえば、short sea shippingは「短距離水上交通」。
 short seaは「不規則に波打つ海面」という意味でもあるようだ。また、上に書いた「short sea = 短距離海路」はちょっと怪しくなってきた(8/16追加)。

 passencore: pas encore(フランス語で、not yet「まだ~しない」)
 passencore: "pas encore and ricorsi storici of Vico"*2 ricorsi storici(ヴィーコの歴史循環説との関連)
 had … rearrivedとpassencoreは矛盾する。すでに起きたことが、これからもう一度起こるという歴史の循環。

 North Armorica: アルモリカはフランス北西部、ブルターニュあたりの古い名。同時に、North Americaも指す。

 Europe Minor: 小アジアAsia Minorではなく、「小ヨーロッパ」。小アジアは、現在言うところの、ボスポラス海峡を挟んだトルコの東側、アジアの西端。したがって、ヨーロッパの西端、ブルターニュ、ブリテン、アイルランドあたりを指すものと思われる。

 isthmus: Isthmus of Sutton*2。サットンとは、ホウス岬の付け根にあるあたり

 weilderfight: 振りかざすwield+闘うfight。
 wiederfichten ドイツ語で、「再戦refight」*1

 penisolate war: ナポレオンの起こしたイベリア半島戦争のこと。この半島は、同時に、トリストラム伯のいるホウス岬や、トリスタンのいるコーンウォールも示す。
 penisolate: ペンpen+孤立したisolate。孤独にペンを走らせる戦い。ジョイス自身の像かも。

 この節全体が、いくつかのレベルで読める。上に書いたのは地誌的、歴史的、神話的レベルでの読みであるが、viola d’amoreで音楽のイメージが沸くと、Minorは「短調」の意味にとれる。また、セクシャルなレベルは常に考えておかねばならないから、penisolate warにペニスの戦いを見て取ることもできる。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. p.317.

こちらも開闢

 Finnegans Wakeの読書記を書き始める初日に設定した8月12日、妻が子どもを産んだ。まったくの偶然なのだが、とてもおもしろいし、なにか怖ろしい。

 予定日は10日だったがいっこうに気配なし。11日朝、破水。そのまま入院。

 陣痛を起こさないといけないので経口で促進剤投与、10分間隔から5分間隔で陣痛来るようになる。

 一晩経ったが陣痛が遠のいていく。仕方ないので、12日朝から点滴で促進剤投与。陣痛激しく来る。

 14時、LDR入室。ひどく痛そうだ。ほぼ1分おきにくる痛みに助産師さんがマッサージ。

 17時34分、誕生。約3500g、男の子。

050812.jpg

 両親とも頭のでかいことを自認していたので、生まれてくる子もたぶんそうだね、と笑いながら半ば冗談で話をしていたが、やはりでかかった。でっかいことはいいことだ。

 研究者としての性か、LDRに入ってからのほぼ一部始終をビデオに収めた。妻からは「破棄せよ」の命が下っているが、ダイジェスト版にしてとっておく。

FW1 1-3

     riverrun, past Eve and Adam’s, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.(FW 1)

 riverrun: riverain(川辺)、riveran(イタリア方言で、「到着するだろう」)*1

 riverrun: 見た目は、riverとrunの合成。OEDには、nonce-word、つまり1回しか使われなかった語として登録されている。意味は、”The course which a river shapes and follows through the landscape. “ これはそのまま、FW冒頭のこのパラグラフがもたらす読みの1つのレベル、すなわちダブリン周辺の地誌を示す。とすると、riverはリフィー川を指す。
 がしかし、あらゆる「流れるもの」の象徴と捉えておきたい。川の流れはもちろん、人類の起源から現在にいたるまでの歴史の流れ、人間のボディラインの流線型、そこから流れ出るあらゆる体液の象徴でもあるだろう。

 Eve and Adam’s: ダブリン、リフィー川岸マーチャント・キーMerchant Quayにあるカトリック教会Adam and Eve’s。名の由来は、かつて教会に入っていたパブ(public house)。なぜ教会にパブが?リンク先の案内によると、どうやら法律(the Penal Law)でカトリック礼拝が禁止されていた頃に、建物がパブとして利用されていたらしい。
 もちろん、聖書での最初の人類、アダムとイブも指す。しかしFWではイブとアダム、騎乗位になっている。

 from swerve of shore to bend of bay: 岸shoreの曲がりswerveから湾bayの曲がりbendへ。sとbの頭韻にしたがって語が選ばれている。

 by a commodius vicus of recirculation: 再循環するa commodius vicusにそって

 commodius: commodious(広い)に、ローマ皇帝コンモドゥスがかけてある。

 vicus: 地誌的にはドーキーにあるVico Road、同時にイタリアの思想家ヴィーコVicoも指す。ヴィーコの歴史循環説は、FWを支える思想的屋台骨でもある。「この本は全体がイタリア人思想家…の理論の上に成り立っているのですから」*2。これは、1940年1月9日付のジョイスの手紙の一節だが、「この本」とはFWを指し、「…」にはヴィーコが入る、とEllmanは言う。

 vicus: ラテン語で「路、村」。vicus of recirculationは、vicious circle(悪循環)*1

 brings us … back to Howth Castle and Environs: ホウス城周辺へとわれわれを連れ戻す。

 Howth Castle: ダブリンの北東に位置するホウス岬に建つ城。

 Howth Castle and Environs: なぜEが大文字に?HCEを強調するため。HCEとはFWの主人公、Humphrey Chimpden Earwickerのイニシャル。これは同時に、Here Comes Everybodyの略。つまりは、この世に来るすべての者のこと。


*1 McHugh, R. 1980/91 Annotations to Finnegans Wake. Johns Hopkins University Press.
*2 Ellman, R. (Ed.) 1976 Selected letters of James Joyce. Faber and Faber. p.403.

開闢二日前

 世に自然科学者と呼ばれる者が魅力を感じるフィクションのベスト10というものがあるとするならば、おそらく、Lewis CarrollのAliceと、JoyceのFWはどこかにランクインするだろう。

 自然科学者がアリスに惹かれる理由は、Carroll = Dodgsonが数学者だったから、ではない。Carrollは徹底して子どもに向けて書くことに努めた。数学者としてではなく、子どもを楽しませるおじさんとして書いた。ということは、子どもが惹かれる世界とは、結局のところ、科学者が惹かれる世界でもある、ということだ。

 たとえば、鏡である。左右は反転するのに、なぜ上下は反転して見えないのかという問いは、いまだに第一級の謎である。そしてまた、あべこべとは子どもがゲラゲラ笑い転げる第一級のジョークである。

 FWはどうか。

 FWが自然科学者好みだというのは、別に、Murray Gell-Mannが物質の極小構成要素にquarkと名付けたからではない。Gell-Mannは、名付けを与える前からFWを読んでいた。そして、それとは別に、構成要素に「クォーク」という発音を与えていた。だから彼は、FWにquarkという綴りを「発見」したのである。

 発見、それこそが、FWを読むという作業と、自然科学という作業の似ているところであり、科学者を惹きつける所以であろう。自然と同様、FWというテクストも、われわれの眼前に、ポンと投げ出されている。そしてどちらも、それ自身の構造を持つ。

 自然科学者は、目の前にありながら(そして自身、その帰結でありながら)いまだ判明していない自然の構造とその運動を探り、少しずつ何かを発見する。

 FWも似ている。FWはあいまいである。一義性からほど遠いからこそ、複数の解釈が同時に潜在することができる。ひとつの解釈を見出すと、そこから連想される別の事象へのリンクが発見される。そのリンクは潜在的にはすでにテクストに書き込まれていたはずだ。発見とは潜在性をひとつの現実態にするはたらきのことである。

 PCを生活や仕事の一部として、もう何年経つだろう。ブラウザを立ち上げた回数も数え切れない。それだけインターネットが生活にくいこんでいる、ということだ。

 しかしそれだけなじみがあるはずのものでも、日常的なネットサーフィンだけでは到達できない彼方がある。それはわたしからは見えなかっただけで、潜在していたことは確かだ。そしてわたしはそうした彼方を発見するだろう。FWの読解という作業を通して。

開闢七日前

物事は唐突に始まる、かのように見えるものだ。しかし実際には、見えぬところで準備的な振動は起きている。

地震だってそうだ。大地の微細な運動がつもりつもって起こる。決して超越的な鯰の意志が介在しているわけではない。

自身のウェブサイトに生活の記録を取り始めて4年になる。2001年の年も押しつまったころに始めた。4年間、実に取るに足らない、些細な運動に表現を与えてきた。

その表現を、少し違うスタイルに移し替えることにした。突然そういう気になったのだ。しかし実際には、やはり自身気がつかぬところで、スタイルに変化を起こそうとしていたのだろうと思う。

作り始めると簡単にできた。FTPとは何だ、とか、CGIとは何だ、とか、手探りでやっていた4年前とはだいぶ勝手が違う。

書く内容は以前と変わらぬ。日々の運動、購入した本のこと、など。

これに、付け加えることにした。Joyceの手になるFinnegans Wakeの読み解き記録である。できれば毎日、1、2行ずつ、ともかく原文を読む。

これがどういう本であるかはまだ詳しく書かない。次第に明らかになってくるだろうから。ただこうは言っておく。

かつてこの本を日本語に訳した柳瀬尚紀は、確かこう言った。Finnegans Wakeを読んでいると、当のテクストの外に広がるさまざまな事象に回路が開かれる、と。回路が開かれる?

外に回路を開いていくのは、WWWの得意とするところだ。そのために設計されたのだから。

私という輪転機を経て開かれていく回路を余すことなくここに書きつけていこう。そういう読みを許す本、否、そうしなければ読めない本なのである。

では。7日後にオープンする。

敬白