義母帰る

 子どもと妻と両方の顔色をうかがいながら生きている今日この頃。

 先日、生活のいろいろを手伝いに来てくださっていた義母、つまり妻の母親が、家に戻っていった。17日という短くもないあいだ、慣れない家で料理や洗濯や買い物をしてくださっていたのだ。

 なにしろ2人の子どもを育てあげた人のことだから、ぼくらがそこから学ぶこと多し。まず、赤ん坊の抱き方が違う。ぼくが抱き上げるとギャアと泣くものが、向こうが抱けばピタリと止まる。ただ抱くだけでなく、空いた手で赤ん坊の体をポンポンとたたいたり、家事をこなしたりする。

 横だっこが気持ちいいときもあれば、縦だっこ(げっぷをさせるときの姿勢)がいいときもある。アマネは縦だっこがお気に入り。体全体をぼくの胸に、ほっぺたをぼくの肩に乗せる感じ。ときおり、首を起こして辺りを見渡そうとする。横だっこがだめでも、この姿勢ならたいていの場合泣きやむ。ということを、義母のあやしている姿から知った。要は、赤ん坊に心地よい姿勢で抱けるかどうか、なのだろうな。

 ともかくも、義母にはお世話になりました。感謝。

泣きと不安

 赤ちゃんの仕事は泣くことだと言うが、生まれて3週間目のアマネもご多分に漏れず、何かあると泣く。

 腹がすくと泣くのはある程度予測がつく。2~3時間おきだ。

 ところが、授乳後しばらくぐずつくことがある。授乳中に満ち足りた顔をして吸うのをやめる。おなかいっぱいかな、とゲップをさせて、寝床に降ろす。するととたんに、ふにゃふにゃとぐずつくのである。

 夕方、沐浴をさせてからだいたい夜10時くらいまでこのような状態が続く。

 本人に聞かないと分からないが、おそらくお腹はいっぱいなのだろう。ただ、母親から離して寝床に置こうとすると、急に目の前から栄養源が消えるわけで、それが不安なのではないか。それで泣いているのでは、と疑っている。

 ただ、母親にはそのぐずりがこたえるようで、「おっぱい足りてない」不安がむくむくとわくようだ。確かに、おっぱいは夕方になるにしたがい出が悪くなっているようだ。だから、お腹いっぱいになって休んでいるのではなく、吸っても出ないので吸い疲れ、でもまだ空腹なので泣くというわけで、頻繁に吸いたがるのではないか。母親はこのように心配している。

 むしろぼくは、「おっぱい足りてない」不安につかれた母親の方が心配だ。赤ちゃんは少々お腹がすいていても、少々泣いても、どうということはない。実際、体重が生後3週間でついに4000gの大台を突破したらしい。足りてないわけがない。

 母親ですらそのような不安をかかえながら授乳させている。それを第三者がわざわざ言葉にして母親に向けたとき、激しい感情を引き起こす可能性は高い。産院で開かれたプレママセミナーに出席したおりに聞いた話だが、新生児の母親が一番嫌がる言葉が、実は「おっぱい足りてないんじゃないの?」なのだそうだ。

 そうした不安を解消すべく、泣きの原因を別の角度から解釈し直すのは、なかなか母親ひとりでは難しいだろう。そういうとき、別の視点をもつ第三の人間の役割が活きてくるのではないか。父親でもよいだろうし、誰か他の身内の人間でもいい。知り合いでも、医療従事者でも、テレビ番組でもいい。

 むろん、立場や経験が違えば、おのずと言うこともかわってくる。だから、誰の言うことを聞けばよいのか分からないと、かえってパニックになる人もいるだろうけど。

 答えは目の前の赤ちゃん自身に隠されているのだから、まずはかれをじっくり眺めることが必要なのは間違いない。ただ、泣きの原因についてさまざまな角度から赤ちゃんを眺められるのもまた、第三者だろうと思う。

 ふと思ったが、おっぱいを物理的にあげることのできない人間が、その制約を通して、おっぱい以外の泣きの原因を発見できるのではないか。逆に、おっぱいをあげられる人間は、それがあるからこそ、おっぱい以外の原因を見つけることができにくくなるのかもしれない。

家庭生活1週間

 わが子アマネが家にやって来て1週間が経った。

 毎日、ほぼ2、3時間おきに母乳を呑み、それと同じかそれ以上の回数、おしっことうんちを吐き出している。正確な体重は量っていないが、ほっぺたがみるみるうちにふくらんでいる。

 へその緒が取れてすぐの頃、へそから血がじゅくじゅくと出ていた。不安になったが、それも家に来て4~5日したらかさぶたになった。

 泣くのにも何種類か原因があるようだ。2時間おきに来るのが「おっぱい欲しい」の合図、授乳直後もぞもぞと起きているときに「びい」と泣くのが「かまってくれ」の合図。紙おむつだからかもしれないが、おしっこやうんちが気持ち悪くて泣くということは、いまのところない。

 心配しても始まらない日々がある。

マーネと愉快な仲間たち

 やあ、ぼく、マーネ。尾張生まれの絞り染めグマなんだ。まあね、が口グセだから、マーネって言うの。

 まあね、しばらく前に北海道に引っ越してきたんだけど、来て早々、我が家に新しい住人がやってきたよ。

 たいてい寝てばかりでいるけど、まあね、ときどき、もぞもぞ手足を動かしたり、くしゃみしたり、泣きじゃくったりする、変なヤツなんだ。

 ぼくの方が今の家に先に来んだから、まあね、ぼくがアニキで、おまえは弟分だな。でも、弟分のくせに、今じゃあこいつが殿様みたいな扱いをされてる。ほんと、腹たつなあ。

 まあね、変なヤツだけど、ずっと「ヤツ」なんて呼ぶのも、粋じゃないよね。だから、ぼくが名前をつけてあげよう。

 よし、弟分だから、ぼくの名前にちなんだのにしてあげよう。

 「あまね」はどう?「まあね」じゃなくて、「あまね」。まあね、なんだかいいじゃない?

 よろしくね、あまね。

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こちらも開闢

 Finnegans Wakeの読書記を書き始める初日に設定した8月12日、妻が子どもを産んだ。まったくの偶然なのだが、とてもおもしろいし、なにか怖ろしい。

 予定日は10日だったがいっこうに気配なし。11日朝、破水。そのまま入院。

 陣痛を起こさないといけないので経口で促進剤投与、10分間隔から5分間隔で陣痛来るようになる。

 一晩経ったが陣痛が遠のいていく。仕方ないので、12日朝から点滴で促進剤投与。陣痛激しく来る。

 14時、LDR入室。ひどく痛そうだ。ほぼ1分おきにくる痛みに助産師さんがマッサージ。

 17時34分、誕生。約3500g、男の子。

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 両親とも頭のでかいことを自認していたので、生まれてくる子もたぶんそうだね、と笑いながら半ば冗談で話をしていたが、やはりでかかった。でっかいことはいいことだ。

 研究者としての性か、LDRに入ってからのほぼ一部始終をビデオに収めた。妻からは「破棄せよ」の命が下っているが、ダイジェスト版にしてとっておく。