学部ゼミでヤーン・ヴァルシナーの「新しい文化心理学の構築」を読んでいます。
3・4年生と院生,それに教員3名で頭をつきあわせながら読んでいますが,何を言っているのかなんだかよく分からない箇所にたびたび出会い,その都度立ち止まっています。
私はこの本を,記号作用の歴史的発達過程を分析するための枠組みの提案として受け止めていますがどうなんでしょうね。もちろん他の読み方もあるでしょう。
頭を悩ませた後,さらに頭を悩ませる研究会が始まりました。昨年は札幌学院大のフランス哲学の先生にご指導いただきながらドゥルーズ「ベルクソニズム」を読んだのですが,今年はその続きとしてドゥルーズ・ガタリ「アンチ・オイディプス」を読むことにしました。
手始めにその2章から出発したのですが,初見では何を言っているのかさっぱり。しかし,先生にいろいろと教えていただくと,自分でも非常に驚いたのですが,かなりすんなりと理解できるようになりました(もちろん,初学者にとっての理解なので,さらに理解が深まると,同時に謎も深まっていくのでしょうが)。
要は,こういうことなのでしょう。なんでもかんでもエディプスコンプレックスの枠組みで説明しようとする精神分析ってどうなのよ。きっちりとした構造に整理される前の,おどろおどろしたものを生み出す何か(=欲望機械)に目を向けなければいけないんじゃないの。
そうとらえると実は,ヴァルシナーのこの本は,おどろおどろしたものを生み出す何かと,きっちりとした構造に整理する何かとがどう関わり合って,どう動いているのかを説明する枠組みを提案しようとしたもの,と理解することもできるんじゃないか,と思いました。
こんにちは。はじめまして、カフェパンジの河口と申します。
突然のメッセージ失礼します。
まずは簡単な自己紹介を。学部は東京で哲学科に、院は札幌の哲学科で共にフランス哲学をしていました。主にフーコーやドゥルーズが専門でした。今は札幌中央区でカフェを営んでおります。
今年から「哲学書を読む会」を始めようと思っています。
一般の方と気楽に楽しくよむのが目的です。
本はドゥルーズ〓ガタリの『千のプラトー』を考えています。
もし良かったら参加しませんか?
どうなるかはやつてみないとわからないですが、きっと一般の方と読むのはある種刺激的なものがあると思います。