協働の場において何を作り出すか(1)

これまでに参加させていただいたシンポジウムやワークショップを通して、発達支援という活動に、当事者・支援者・実践者のみなさまとともにどのように参加していけばよいのか、おぼろげながら見えてきたように思います。この場をお借りして、お知恵をお借りできましたことに感謝申し上げます。

私は研究者という立場からこのプラットフォームに参加するのですが、正直に言いまして、何をすればいいのかよく分かりませんでした。支援者の「困りごと」を話し合うワークショップが3回開かれ、3回とも出席しました。参加者のみなさまの口から困っていることがたくさん出てきて、なぜ困りごとが起こるのか、それを解消するにはどうしたらいいかといったアイディアもかなり話し合われたと思います。うかがっていて、私が今まで気づかなかった問題など発見も多々ありました。ですが、やはり研究者としてすべきことがまだぼんやりしています。

ひとつはっきりしているのは、このプラットフォームは支援者と研究者の協働の場となることを目指しているということです。これは、言うほどにはたやすくない道だろうと思います。

その大きな理由のひとつが、「見ているものの違い」です。注意したいのは「見てきたものの違い」ではなく、今現在見ているものの違いです。象牙の塔の中で本とにらめっこしてきた研究者と違い、支援者の方は現実と向かい合ってその矛盾を解決しようとしてきたと思うのですが、そういう意味では両者は「見てきたものが違う」わけです。しかし私がここで指摘したいのはそういうことではありません。

支援者と研究者という2つの職種の間で、そもそもものごとの見え方が異なると思うのです。と言って、何も、こちらの人にとっては赤いリンゴがあちらの人には黄色く見える、ということではありません。世界を理解する枠組みが異なるのです。

固い言葉を使うと、「概念」が異なるのです。ここで概念というのは、世界を分けるためのラベルとでも理解しておいていただければよいかと思います。たとえば「ほ乳類」という概念がありますが、これは、多様な生物を分類するためのラベルのひとつです。ほ乳類という概念を枠組みとして世界を理解する人もいれば、そうでない人もいます。そうでない人の代表は、子どもです。子どもは、日常生活で出会うさまざまな生物の間の類似点や相違点を独自に発見し、独自の分け方で生物界というものをとらえるわけです。それに対して、大人は、より体系化された分類の規則や生物多様性の生じるメカニズムなどを背景とした概念化を行っています。

ある動物をほ乳類と見ようがどうしようが、たいした問題ではないのかもしれません。確かに個々の概念のずれは小さなものでしょう。しかし、たくさんの概念を集め、それらの間の関係をひとまとまりの体系にしたとき、2人の間の世界の見方のずれは決定的になります。例えば、地面と天体を別のものと見るのか、それとも、地面も天体のひとつだと見るのかでは、概念も説明の体系もまったく異なるものとなり、かつ、異なる説明体系を持つ者同士の間では話が通じないことでしょう。言うまでもなく天動説と地動説の違いですが、こうした対立は過去のものではなく、現在でも、例えば進化論と創造説の対立がくすぶる国もあります。

さて、支援者と研究者は、同じように、異なる概念と説明体系のセットに基づいて世界を見ているのでしょうか。もしそうだとしたら、同じ対象、例えば支援を受ける当事者についてすら、見え方、理解の仕方が両者の間で異なるわけですし、そうした二者が同じ対象をめぐって協働することは難しいかもしれません。

両者の概念や説明体系が異なるという可能性は次の事実によって妥当なものになります。

支援者の経験や信念、ライフコースに関する研究は多くあります。こうしたことが研究の対象となるのは、そもそも、支援者の考えていることが研究者には分からないということ、それらは支援者に固有の何かであっていまだ言語化されていないということが前提されているからだと思います。
支援者の概念や説明体系を研究者が知ることは大切なことでしょう。ですが、そもそも、お互いについてよく理解することが大切なのでしょうか。よく理解した上で、概念のセットをどちらか一方のそれに統一することも可能かもしれません。しかし、それは難しいし、なにより、異職種協働ということの良さが失われてしまいます。ミイラ取りがミイラに、ではありませんが、1人の支援者が2人になったところで、困りごとが2倍になるだけです。これでは共倒れです。

大切なことは、協働のための、これまで両者のどちらも持ったことのない新しい概念と説明体系を構築し、両者がそれらを共有し、それを枠組みとして世界を共に見ることが必要だと思います。重要なことは、一方に合わせるのではなく、新しく作ること、そして、作っていく過程そのものが協働の場において行われる中心的な活動だということです。

ただ、概念を作ると一言で言っても難しい。そこで、ここでは「たとえを作ること」を提案したいと思います。 ((2)に続く)

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