幼児に対するバーチャル・マイキングについて(2)

 バーチャル・マイキングに注目するのは,会話の秩序を組織化する技能の発達過程を調べるうえでなんらかのヒントが得られるのではないかと思うからである。

 会話における秩序を社会的秩序のミニマムな単位と見なして研究する会話分析は,その基本的な秩序として「順番取り(turn-taking)」を見いだした。会話において参加者は一度に一人が話す。これは秩序だったやり方で参加者が発話する順番を取ったり与えたりと行為した結果起きた社会的現象である。行為における秩序は,ごく簡単に言うと,「現在話している者が話し終えたら,その人は自分で話し続けるか,ほかの誰かに発話権を与えられる」と体系的に記述できる。これは,社会学者のサックスらが見いだしたことである。

 このような秩序だったやり方は,実は,発達初期の子どもとその母親の間のやりとりにすでに見られるという指摘がある。たとえば赤ちゃんがごきげんで「ああ,ああ」と声を出す。その次に母親が「どうしたの,気持ちいいの」と話しかける。母親の発話の間,赤ちゃんは沈黙する。母親の発話がやむと,赤ちゃんがもぞもぞとしはじめてまた「ああ,ああ」と声を出す。このようにして,卓球のような発声のラリーが母子相互作用に見られることが知られている。

 発達初期の子どもの行動に見られるこうした相互行為上の秩序だったやり方は,大人の会話に見られるような順番取りの萌芽的基盤だとみなす研究者がいる。確かに発達のごく初期の場合,やりとりは秩序だって交互におこなわれるように見える。

 しかし,1歳を過ぎ,4歳に入る頃までの子どもを見ていると,交互になされていたコミュニケーションがなりを潜めていることもあると気付く。たとえば,親同士が会話をしているところに平気で「ねえねえ」と割り込む。あるいは,こちらが話しかけても返事をしない。などである。そうかと思えば,5分くらいしてから「○○だよ」と返事をすることもある。少なくともこの時期の子どもは,声をかけたら必ず返してくれるやまびこのようなものではない。

 あたかも,2~4歳頃の子どもには会話の秩序以上の何か「気がかりなこと」があって,それ以外のことにはかまってられないかのようである。気がかりがあるからこそ「ねえねえ」と割り込むし,他人の言うことをぼんやりと聞き流すのではないか。

 そう考えると,発達初期におけるやりとりに見られた秩序と,後に成長してからのやりとりに見られる秩序の間に単純な線形的関係を想定することはできない。そのあいだには2~4歳頃特有の何か熱っぽさのようなものが挟まっており,それを経由することにより会話の秩序には量的かつ質的な変化があってしかるべきだろう。その変化とは何なのかを明らかにする必要がある。そのためには,2~4歳頃から幼児期後期にいたるまでの子どもが会話の秩序をどのように組織化しているのか,発達的視点からながめなければならない。

 このテーマにはまだまだ分かっていないことがたくさんあり,あらゆることが検討の範囲の中に入ってくる。そこでバーチャル・マイキングである。

 もう一度確認すると,バーチャル・マイキングとは,保育の場などに見られる,話し手が片手を握り自分の口元に親指の方を向けながら発話し,それを終えるとその手を聞き手の口元に向けるという一連の動作を言う。そう呼んでいるのはおそらくぼくだけだろうと思うが,このような動作を見たことのある人は少なくないと思う。

 こうした動作は保育者と子どものやりとりにおいて,いわば「交通整理」(コミュニケーションを交通と訳すこともある)の機能を果たすのではないかと推測している。というのも,マイクを持っているかのように見える手は,発話権を現在誰がもっているのかを視覚的に示すと考えられるからである。握られた手の親指のある方が向けられている側に話す権利がある,というように。

 多くの場合,「質問-応答」というフォーマットと平行して用いられることも,この動作の機能を有効にしていると考えられる。誰かに質問されたら次に答えるのは自分であり,自分が質問したら次に答えるのは誰か他の人である。このように質問という言語形式は相互行為上の役割の交代と深くかかわっている。このような役割交代は,バーチャル・マイキングによって視覚的に明示されるだろう。

 たとえば,複数の子どもと1人の保育者がいる場を想像してみる。そこには話したがりの子もいれば,無口な子もいるだろう。保育者がバーチャル・マイキングを行うことにより,話したがりの子を牽制しつつ,無口の子から発話を引き出すということが可能となる。それでも,保育者にマイキングされても固まったまましゃべらない,という子も何人も見ているのだが。

 いずれにせよ,バーチャル・マイキングは複数の参加者がいるような状況において,発話権の配分を円滑に行うための手段となりうるだろう。

 ただ,ことはそう単純ではないとも思う。保育者と子どもとのやりとりにおいて,握った手を口元に向けることにより,「今,手が向けられた人が話す番ですよ」という文脈が公的なものとなる。そこで実際に話そうと話すまいと,「話す番だったこと」を文脈としてその人の行為が解釈されていく。無口な子どもは「話さなかった」のではなく「話せなかった」ものとして解釈されていく。このように文脈をつくるものとしてバーチャル・マイキングは機能する。

 バーチャル・マイキングとともに現れる言語形式をもう少し検討すると,それが「学校的な語り口」の特徴を備えていることも分かる。学校的な語り口の特徴を網羅したリストがあるわけではないのだが,丁寧体,語末音の上昇調,そして分かりきっていることについての質問がそこには含まれる。

 バーチャル・マイキングは,「学校的な語り口」にある特徴をもうひとつ教えてくれる。それは,「誰かが話しているときは,残りの人はそれを黙って聞く」というコミュニケーションのやりかたである。日本の小学校ではこうしたやり方は低学年の頃から教師によって徹底的に仕込まれる。クラスメイトが発表しているときに隣の子と話していると「今,誰が話してるの?」と怒られた経験のある人は多いだろう。バーチャル・マイキングは,保育においてこれを暗黙的に行っているものとも考えられる。

 もう少し体系的に調べてみたいものである。

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