日心にて(1)

 日心2日目。さすがに疲れてきた。

 午前中はポスター発表。子どもの言語行動レパートリーは家庭内会話の歴史的な形成過程の一部として見なきゃだめだという主張の研究を掲示。5名くらいの方が来てくださり、コメントをくださった。たまたま隣に掲示していた島根大学の先生とむりやりお知り合いになる。

 午後からはシンポ、ワークショップめぐり。

「心と発話・動作の間:質的データの検討」というワークショップはここ数年継続して行われているもの。松沢哲郎先生はご自身のご研究のコツのようなものをお話しされた。曰く、大事なことは、全体を捉えること、(研究の)ニッチを探すこと、対象を見続けること。また、研究としてまとめる際に、「実験的逸話」と「逸話の映像記録」を併用すると深みが出るのではないかとのこと。

 中座して裏番組「マンガ心理学の方向性」へ。ちょうど夏目房之介先生がお話しされていた。間に合った。マンガ学の立場からのご発言と理解したのだが、先生によれば、マンガ学は「学」として閉じるつもりはない。閉じないからこそ他の学問領域との多くの接触面が生まれ、おもしろくなるとのこと。そのあたりには同意。

 その上で、どうも読み手側の研究ばかりであることが気になった。読み手がマンガをどう解釈するか、キャラクターと自分との関係をどうとるか、あるいは日常生活のなかでどのように消費するか、これらはみな読み手側の問題。「作り手」側の事情がどうもまだ不透明なのではないか。

 もちろん手塚治虫など個々の作家論はいまでもあるが、そうではなく、編集や出版社など業界と呼ばれる出版経済圏のなかにいる「肉体労働者」としての漫画家についてはまだはっきりした全体像を提出することができていないのではないか。手塚先生にせよ藤本弘先生にせよ、最期は机の上だったわけでしょう。過酷な商売なわけですよ。稿料安いらしいし。漫画家のライフコース研究とか代アニで講義したらどうかしらん。学生さんは絶望するかしら。

 続いて「社会関係とスピーチアクトの心理学」。「贈り物」を用いた謝罪行動の起源について、コストリー・シグナリングという概念を用いて説明した神戸大学の大坪庸介先生のお話がおもしろかった。「何かに使えそう」という感じ。

 中座して「どうすれば新たな知は創発されるのか?」。会場に入ったら池田清彦先生が流暢にお話しされていた。現象は一つ、切り方はたくさんある、とのこと。甲野善紀先生が和装で座っていらした。後で人から聞いたら先生は洋服のボタンがお嫌いなのだそうで、納得。

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