第2回ガハ研

 先日、第2回学習と発達研究会を開催しました。東京から、ゲストにもりりんさんを迎え、総勢7人での開催となりました。

 読んだのは以下の本です。

 Sawchuk, P. H., Duarte, N., & Elhammoumi, M. 2006 Critical perspectives on activity: explorations across education, work, and everyday life. New York : Cambridge University Press.

 編者たちのねらいは、次のようなものと理解しました。

 活動理論は、学際的、一般的な視座として、広く受け入れられてきたし、そこからさまざまな現象を分析した研究もすでに蓄積がある。その活動理論の源流は、ヴィゴツキーやレオンチェフといったロシアの心理学者たちにある。さらにさかのぼれば、かれらの思想の源流のひとつはマルクスの哲学である。

 しかし、近年の活動理論の受容の中で、マルクスの哲学を構成していた諸概念、たとえば階級闘争、価値、労働、疎外といった概念は、必ずしも取り上げられていたわけではなかった。編者たちは、これらの概念にもう一度目を向け直すことを、そして、これらを用いて現在の我々の社会的活動を批判的に分析することを提唱する。

 今回は5本の論文を読みました。なお、以下にレポーターが執筆された当日のレジュメを掲載しますが、無断転載はしないでください(07.8.13追記)。

 Is there a Marxist psychology? / Mohamed Elhammoumi

 北大教育学院院生の保坂和貴さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 編者の一人Elhammoumiによるもの。彼によれば、ヴィゴツキーがうちたてようとした「マルクス主義心理学」はいまだ完成を見ておらず、その鍵はおそらく時間概念だろう、とのこと。

The cultural-historical activity theory : some aspects of development / Joachim Lompscher

 北大教育学院院生の杉山晋平さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 著者はポツダム大学の先生のよう。CHATのコンパクトな学説史。現在までの歴史を3つの世代としてとらえ、それぞれ、ヴィゴツキーやA・N・レオンチェフによって基礎概念が確立された時代(第一世代)、基礎概念をもとに個別の研究領域を対象とし始めた時代(第二世代)、新たな社会状況に対応すべく現れたエンゲストロムらの時代(第三世代)とした。特筆すべきは、第二世代として、A・A・レオンチェフやD・A・レオンチェフといった、意味論や人格論の部分を引き継いだ活動理論の系譜を取り上げていること。

 上記2本は理論編といったおもむきで、次の3本は少し具体的なところに話を落としています。

Our working conditions are our students’ learning conditions” : a CHAT analysis of College Teachers / Helena Worthen and Joe Berry

 北大教育学院院生の佐藤昭宏さんがレポートしてくれました。レジュメはこちら(doc形式)

 アメリカのある大学で起きた、管理職と非常勤講師の衝突の事例をもとに、「教育の質の向上」という言説が2つの立場にとってまったく異なる意味を持っていることを明らかにしたもの。エンゲストロムの三角形をむりやり使った感が否めない論文。

The importance of play in pre-school education : naturalisation versus a Marxist analysis / Alessandra Arce

 北大教育学研究院附属子ども発達臨床研究センターの川俣智路さんがレポートしてくれました。幼児教育の理念をうちたてたフレーベルの思想と、レオンチェフやエリコニンらの思想とを比較するというのが目的の論文。レポーターも苦しんでいたようですが、著者がなぜそのような目的をたてたのか、ぼくにはよく分かりませんでした。

Values, rubbish and workplace learning / Yrjo Engestrom

 不肖私がレポート。レジュメはこちら(doc形式)

 公金を投資したところで無駄と思われる社会的存在(やめろと言われても飲み続けるアル中患者、勉強を教えても理解できない学生など)は、市場における商品としてみた場合、rubbishつまりは「ゴミ」である。このような動きになんとか抵抗したい。では、「ゴミ」に価値が生じるためにはどのような条件が必要か、そういうことが起きた場合、どのような過程をたどるはずか。エンゲストロムの主張は、以下のようです。まず、「ゴミ」をさまざまな人に公開することで、その使用価値を認める人(要は、拾う神)と出会う機会を増やすこと、次に「ゴミ」とされてしまった人々の「語り」を流通させること、最後に、「ゴミ」にまつわる研究をさまざまな立場の人がバンバン行うこと。

 以上、簡単に内容をまとめてみましたが、詳しくは当日配布されたレジュメをそれぞれアップしておきますので、そちらをご覧ください。ご協力くださいましたレポーターの皆さんに深く感謝申し上げます。

 打ち上げ1次会は、札幌駅北口の「味百仙」。つまみのうまさは言うに及ばず、ここは酒のそろえが非常にすばらしいことで知られています。味にうるさいもりりんさんも大変ご満悦のご様子。

 2次会は紀伊國屋書店そばのビルに入った和風ダイニングのお店で。

 たいへん有意義な時間を過ごしました。またやりましょう!

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