過去との強制的邂逅

 基礎ゼミ。本日が最後。

 これまで、別冊発達から関心のあるテーマを扱った章を1つずつ選んでレポートしてもらってきた。それだけだと、どうしても「こーいうことがあいてありました」で終わってしまう。そこで、各章で取り上げられていた研究を身近な人数名で追試する、という課題を正月前に出した。その結果をラスト3回で発表してもらうのだが、今日はその最終回でもあった。

 5名の発表があったが、一人の学生さんが自分が2歳の時のホームビデオを引っ張り出して持ってきてくれた。彼女はごっこ遊びについて発表してくれていたのだが、「2歳頃にふり遊びができるようになる」という文献中の記述を確認するために、自分の過去の姿を見てくれたのである。

 ビデオで彼女は手にしたカバンの中にもう一方の手を突っ込み、「グー」の形をしたままテーブルにその手を置いた。そして再び、その手をカバンの中に突っ込んだ。さて、テーブルをはさんで彼女のおじいさんが座っていたのだが、おじいさんは彼女の「グー」がカバンの中に去った後、それがあった場所の空気をつかみ、その手を自分の口に持っていった。

 こう記述すると動きが分かりにくいが、見たところ、2歳のこの学生さんはカバンから「パン」を取り出し、テーブルの上に置いたらしい。おじいさんはその「パン」を手にとって食べるふりをしたというわけである。

 現実にはそこには手しかないのだが、あたかもパンがあるかのように2人ともふるまっていたという点で、この場面は象徴遊びの萌芽として解釈できるのではないか、というのが発表者の結論であった。

 結論に異論はない。発表を聞いてひとつ感慨深く思ったのは、現在の学生さんは自分の小さい頃の映ったビデオを利用することができるのだなということ。現在20歳の学生が2歳のころだから1990年。もうすでにその頃には家庭用ビデオカメラはだいぶ普及していたことだろう。誕生日や旅行といった家族のイベントごとに撮影が行なわれたこともあったに違いない。

 おそらく学生たちの実家のどこかに眠っているであろうそうした幼少期のホームビデオ映像を使った授業は何かできないか。来年度、どこかでやってみよう。

 アマネはその点、短めのムービーばかりなのでちょっとどうかな。最近きちんとビデオを撮っていないので、そろそろ長めに回してみるか。

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