はじまってしまえば

 当学部では、若手教員が集まって自主的に研究会なるものを開催している。ちなみに、「若手」の定義は多分に恣意的である。本日は、昨年より赴任された先生をお迎えして夕方より研究会が開催された。修士を修了されて長らく在野で発達支援やスクールカウンセラーをされていた方で、札幌のとある区の相談業務の現状とSCで出会ったケースについて語っていただいた。

 内容についてはここで述べるべきでない話だったので、割愛。

 そのメンバーで打ち上げと称して居酒屋「こなから」へ。名前は聞いていたが初めての店である。刺身が非常に美味しいし、酒・焼酎の揃えも大変よろしい。生まれて初めて「亀の手」を食べた。塩でゆでてもらったのだが、見た目と違って大変にうまい。

 酒が回り始めた頃、メンバーの日頃の思いの丈が机上を飛び交った。その内容も割愛。

 話はがらりと変わるが、昨日でセンター試験が大過なく終わった。やはり話題の中心は今年もリスニングにあったわけだが、どうだろう。 1974年に共通1次試験が始まったころ、マスコミの論調は「そんな試験止めろ」という傾向にあったのではないか。確認してみないと分からないけど。それが今では、センターそのものに異議を唱える声は少数だ。むしろあらゆる受験生にフェアな試験が提供されることが「当然」であるかのよう。

 つまりは、はじまってしまえばそのうち人は適応してしまうというわけだな。リスニングもきっとそうなるだろう。

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