卒論の何が難しいのか

 先週は卒論発表会、今週は修論発表会がそれぞれ開かれた。本日、副査として出なければならない発表が終わり、これで一連の発表モノが一段落することとなった。息つく間もなく、来週からは来年度に向けた資料作成が始まる。

 卒論生は昨年クリスマスに本文の提出がすんでいるのだが、発表用の資料作りは正月明けてからとなった人が大半であった。今年の発表会は成人の日の連休明けてすぐに始まったため、資料作成にあてることのできる期間が少なかった。発表会の直前まで資料を束ねるのに苦労していたようだ。

 15分という短い限られた時間の中に1年間かけて書き上げた内容を圧縮することは難しい。ここにも一種の「捨てる技術」が必要となる。捨て所を間違え、自分の「主張」のみを言おうとして、根拠を示したがらない学生もいる。パワーポイントを作成しても、主張の根拠として「グラフを出せばいいのに」と思うのだが、どうしても主張を「文」としてスライドに盛り込みたがる。そういう点は事前の練習会で徹底的にたたいておいたので、発表当日はなおっていた。

 これで卒論生たちは1年間の重荷からほぼ完全に解放されたわけである。おつかれさま。

 それにしても、卒論と聞くとなぜに学生は(かつての私も含めて、だが)身構えてしまうのか。「問題を発見し、それについて根拠を示しながら自分の主張を述べる」という課題は、おそらく彼らにとっては生まれて初めてのものではないだろう。研究の文体を取っていなくても、日常生活でおそらくごく些細な場面で行なっている活動である。たとえば、こんなふうに。

「○○ってなんだったっけー」←問題の発見
「△じゃねーか。ケータイで調べてみっか」←主張の陳述、調査
「どうだった?」
「やっぱり△だったよー、ほれ」←根拠の提示

 上のような日常的な友人とのやりとりにも、「問題の発見」「根拠の提示」「主張の陳述」といった一連の課題の含まれていることが見て取れるのである。

 それを一定の形式に載せるというのが、おそらく難しいところなのだ。その点が試練なのであり、かつまた私たち指導教員にとっても試練なのである。

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