落ち込みに行く

 日曜、月曜と、名古屋にて研究会。大学院の頃からの仲間内で出す本の編集会議である。

 自分の担当した章が締め切りに間に合わず、シノプシスだけ提出しての参加であったため、まことにばつが悪い。無能さをひけらかしに行くようなものである。どんなに画期的なアイディアがあったとしても、期限に間に合わなければただのゴミくずである。卒論や修論を書く学生にふだんそう言っているだけに、落ち込み度+3。

 書いたものの受けもあまり芳しくない。落ち込み度+2。

 せめてまっとうな文章を書いて、締め切りに遅れず、迷惑をかけないようにしよう。

 行き帰りの移動で、高木先生の「証言の心理学」を読了。

証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)
高木 光太郎
中央公論新社
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 書かれた言葉から一貫した人格を復元するという作業が、先生たちが最後にたどりついたスキーマ・アプローチだという理解でよいだろうか。そうだとするなら、それは俳優が台本から登場人物の内的な一貫性を探るというスタニスラフスキー・システムに似ている。ヴィゴツキーが「思考と言語」第7章で触れている、あらゆる言葉に映し出された意識とは実はそのことではないか。

 あとがきを読み、高木先生にも書けなくなることがあるんだとなんだか安心した。落ち込み度少し回復。

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