石川晋「学校でしなやかに生きるということ」(フェミックス)

学校でしなやかに生きるということ


現在、上士幌で教師をされている石川晋先生より、ご著書をご恵贈いただいた。石川先生にはしばらくお会いしていないが、先生の動向はずっと気になっている。でも、ご著書を出されたことは迂闊にもチェックしていなくて、思いがけずお送りいただいたのは望外の喜びだった。

上士幌中には一度おうかがいしたことがある。この本に書かれているように、木のかおりのただよってきそうな、いかにもぴかぴかとした新築の学校だった。

おうかがいしたときは、ちょうど子どもたちがライティング・ワークショップを繰り広げているところだった。校舎のあちこちで子どもたちがたたずみ、おそらくは自分で選んだのであろうテーマで書くことに向き合っていた。

そういう一つ一つの子どもたちの動きを可能にする、石川先生の職場内での教師としての「仕事」が訥々と語られていく。この仕事がなければ、子どもたちが授業時間中に校舎をうろうろすることに対してあっという間にクレームがつくかもしれない。それくらい大事な仕事なのだが、あまりおおっぴらに語る先生は多くない。石川先生はそこを丁寧に書いておられる。

若い教師の悩みに「あなたがうまくいかないと嘆いていること、それらすべてを含めて仕事というんだよ」と言いかけてやめた(p.83)、というエピソードが象徴的だ。

堀裕嗣先生の言う教師の「生活力」にも通じると思うが、要領というか、教師が社会の中で生きていく賢さの一つのかたちが語られている。

教師教育にたずさわる者として、しかし、ここで困難に直面する。こうした賢さのかたちを紹介することはできるものの、では、この賢さを学生に育てることはどのようにすればよいのだろうか、と悩むのである。職場や子どもたちといった条件が変われば、賢さのかたちは当然変わってくるはずで、かたちだけ真似すればよい、というものではないのである。

だから、学生にこの本を薦めてよいものかどうか、実は本気で悩んでいる。読ませたい。しかし、かたちの安易な模倣に導いてしまうのではないか。こういう悩みも、学生を信頼し切れていないからなのかもしれない。

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