フォルマリストのドミナント(2)

再考 ロシア・フォルマリズム―言語・メディア・知覚

言語機能にかんするヤーコブソンの枠組みをさらに形式化してみましょう。「複数の部分から成る運動する構造体があったとき,それを構成する諸部分のうち主導的な役割を果たすものがその特性を決定する」。このように記述できます。

ヤーコブソンのこうした考え方は,彼の完全なオリジナルというわけではありませんでした。ある構造体の特性を方向付ける要素が構造体に内在するというアイディアは,彼を含むフォルマリストに共有されたものだったようです。構造体の特性を方向付ける要素のことをフォルマリストは「ドミナント」と呼びました。

フォルマリストたちは,ドミナントという概念を新カント派に属するドイツの哲学者ブローダー・クリスチアンセンから学びました(グレチュコ,2012)。クリスチアンセンはその著書『芸術の哲学』で,「美的客体の『前面に出て,主導的な役割を演じはじめる』一つの(あるいはいくつかの)要素」(グレチュコ,2012,p.98)のことをドミナントと呼びました。主導的な役割を演じるものがあれば,当然,背後で従属的な役割を果たす要素もあります。それらの諸要素をまとめあげるのが「ドミナント」という要素なのです。したがって,クリスチアンセンにとってドミナントとは「一つの芸術作品を『不可分な一体』と知覚することを可能にする統一的モメント」(グレチュコ,2012,p.102)のことでした。

例えばクリスチアンセンは肖像画の鑑賞について理論化しているようです(ヴィゴツキー,2006)。特定の人の姿を模した絵には「ある人らしさ」が見出されるようなんらかの特徴的な部分があるはずです。それがなければ,「その人」としてその肖像画が認識されないでしょう。このとき,肖像画を「ある人」として知覚させる「統一的モメント」がドミナントであったと思われます(思われます,と回りくどく書いているのは,筆者自身クリスチアンセンの著書を読んでいないからです)。このとき,ある人らしさの演出に貢献しない絵の諸要素は従属的要素となるわけです。

フォルマリストたちが論文中にこの概念を取り入れ始めたのは1921年以降のことでしたが,かれらはクリスチアンセンがおそらく思い描いていたであろうドミナントのニュアンスとは異なった意味合いをそこに見出していきました(グレチュコ,2012)。クリスチアンセンの言うドミナントとフォルマリストの用いたその概念の違いは少なくとも2つあるように思われます。1つはドミナントと他の要素の相対的な役割です。2つ目は作品におけるドミナントと他の要素の関係性の変化についてです。

まず第一の点について。グレチュコ(2012)によりますと,クリスチアンセンはドミナントと従属的要素が「調和して」機能することを念頭に置いていました。しかし,たとえばフォルマリストであるエイヘンバウムは,ドミナントが従属要素を「支配する」ととらえていたようです。イメージとしては,ドミナントが従属要素の上位にあって,従属要素のはたらき自体を左右する,と言えるでしょう。ドミナントについてはヤーコブソン(1988)でも取り上げられています。それによればドミナントとは「芸術作品の中核をなす構成要素」であり「作品の性格を決定する」ものです(ヤーコブソン,1988, p.222)。このように,フォルマリストらによってドミナント概念には作品固有の意味を左右するより強い役割が与えられることになりました。

さらにヤーコブソンはドミナント概念から第二の点を引き出しています。彼によればドミナントとは,「芸術作品の内的ダイナミズムの主導的要素であり,他の諸要素と相互作用をし,『それらに直接的影響を与え』,芸術的作用を及ぼす」もの(グレチュコ,2012,pp.102-103)です。作品に内的なダイナミズムを見出している点に注目しましょう。作品の内部の諸要素のうち何かがドミナントとして機能することでそれらの間の相対的な配置がダイナミックに形成されていく,というイメージだと思われます。ここには,作品を静的な構造体としてではなく,運動するものとしてとらえる視点が見て取れます。クリスチアンセンが絵画について議論したことを思い出しましょう。絵画はキャンバスに固定された諸要素から成り,鑑賞時にはそれらの関係性は変化しない,つまり静的な構造をもっています。それに対して文学作品は音楽と同様,語同士の連鎖という時間構造を前提としており,そこから変化の余地が生まれると考えられます。

言語機能についてのヤーコブソンのアイディアの背景に,言語的な構造体は時間とともに変化するというものがあったことを想起しましょう。彼はこの点を歴史的,あるいはソシュールにならって通時的側面と指摘しています(トゥイニャーノフ・ヤコブソン,1982)。ソシュールにしたがうなら,当然,ある時点での言語構造,すなわち共時的側面についてもヤーコブソンの念頭にありました。さきほどの作品の内的ダイナミクスとは,共時的には諸要素間の相対的配置に注目し,通時的にはその配置の変動するさまに注目する2つの視点を含むものだと言えます。

ヤーコブソンは,ドミナント概念が1個の作品や作品同士の関係だけでなく,芸術のジャンルの構造自体の変化にも適用しています(ヤーコブソン,1988)。例えばチェコにおける詩の変遷をたどりつつヤーコブソンが述べるのは,どの時代にも詩には韻律や音節構成,抑揚の統一性といった諸要素がありながらも,どの要素が「詩らしさ」の相対的な価値をもたらすのかは時代に応じて変化することを指摘しています。他にも,ルネッサンス期には絵画や彫刻など視覚的芸術がドミナントとなり,他の芸術ジャンルはそれとの関係によって価値の相対的配置が定められていたことも指摘されます。以上,クリスチアンセンとフォルマリスト,特にヤーコブソンによる,それぞれのドミナント概念の用い方の違いについて確認しておきました。

ヤーコブソンのドミナントについての議論は,すでに述べました,言語機能論の下敷きになるような議論だったと思われます(グレチュコ,2012)。ヤーコブソン(1988)はこう述べています。「詩的作品は,美的機能をドミナントとする言語伝達として定義されるのである」(p.224),さらに,「美的機能を詩的作品のドミナントであると定義すれば,詩的作品の中に存在するさまざまな言語機能の階層構造を決定することが可能になる」(p.224)。講演録「言語学と詩学」で提案されていることがすでに述べられていたことが分かります(ヤーコブソン(1988)は1935年の講義録,ヤーコブソン(1973)は1960年のSebeokの本に収録された講演録)。言語メッセージにおいて,前面に強く出てそのメッセージのはたらきを左右する機能は,ドミナントとして理解できるでしょう。

文献

ヴァレリー・グレチュコ (2012). 回帰する周縁:ロシア・フォルマリズムと「ドミナント」の変容 貝澤哉・野中進・中村唯史(編著)  再考ロシア・フォルマリズム:言語・メディア・知覚 せりか書房 pp.97-109.

ロマン・ヤーコブソン 岡田俊恵(訳) (1988). ドミナント 桑野隆・大石雅彦(編) ロシア・アヴァンギャルド6 フォルマリズム:詩的言語論 国書刊行会 pp.222-227.

ユーリー・トゥイニャーノフ ロマン・ヤコブソン 北岡誠司(訳) (1982). 文学研究・言語研究の諸問題(テー・ヤー・テーゼ) 水野忠夫(編) ロシア・フォルマリズム文学論集2 せりか書房 pp.343-347.

レフ・ヴィゴツキー 柴田義松(訳) (2006). 新訳版 芸術心理学 学文社

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