読み聞かせについて考えるのココロだー(3)

 石川先生は、読み聞かせ実践を「パーソナルなもの」と呼んでおられました。「なぜ読み聞かせなんですか」という問いかけに、「好きだからですね」というお答え。自分が好きだから読むという原点を指して「パーソナルなもの」とおっしゃっているものと理解しました。

 こういう考え方は重要な問題を提起してくれると思います。

 実のところ、現代の日本では、読み聞かせは社会的な事業のひとつになっています。その例が、ブックスタートでしょう。自治体が赤ちゃんのいる家庭に1冊ずつ絵本を贈るという事業で、北海道だと恵庭市で実施されているものが有名です。昨年から札幌でも始まりました。

 目的については詳しくは知りませんが、赤ちゃんへの絵本の読み聞かせを通じて親子の関係性を良好なものに保ってもらおうというねらいはあると思われます。

 親が子に対して読み聞かせをすることそのものについては害悪はないでしょう。問題は、読み聞かせを一種の薬のように道具的に見る、その見方にあります。薬ですから、読み聞かせが好きだろうがなんだろうが読まねばならない、さもないと…という考えがその見方の背後にはある気がします。

 これは石川先生のおっしゃる「パーソナルなもの」という考え方とは真っ向から対立します。対比的に整理すれば、パーソナルな読み聞かせはそれ自体が目的であるのに対して、薬としての読み聞かせは目的が外にあるわけです。親子のふれあいの時間を作るとか、子どもの頭をよくするとかですね。

 もちろん後者の目的そのものは否定されるべきものではありません。しかしその場合、読み手はきちんと本に「出会って」いるのだろうかという疑問は残ります。「頭がよくなる!」といった「肩書き」ばかりを見てしまい、本そのものの面白さを見過ごしてしまうのではないかという危惧です。

 今回の研究発表会の話になっていまいますが、学生は読み聞かせについての先行研究を調べました。心理学や教育学のテーマとして、読み聞かせを含む読書研究はオーソドックスなものです。知見の蓄積が大量にあることは間違いない。しかしすべての結果を総合しても隔靴掻痒感は常に残り続けます。なぜか。ある本の「面白さ」を示すことには成功していないからだと思います。不可能だというわけではないと思います。ただ、現在の心理学研究の枠内ではうまくいっていないのです。研究者も、絵本と向き合っていないのだろうと思います。

(続くかも)

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