書き起こし随想(2) 聞き手のタイプ分け

 授業中のコミュニケーションを「聞き手」の側から描こうと目論んでいる。その際にどのような枠組みをもってくるか。Goffmanの参加役割は使えないか。

 Goffmanによれば会話の聞き手は多様に分化しうる。話し手の発話を聞くことができる範囲には、承認された聞き手とそうでない聞き手とがいる。通常、承認された聞き手と話し手を含めて「会話の輪」と呼ぶ。が、輪の外には、輪のメンバーとして承認されていないものの、聞いている人というのは存在する。食堂の隣のテーブルに座っている人なんかそうだ。

 この水準では、教室内のメンバーはすべて承認された聞き手である。参与観察者はどうか?一般的には承認されていない聞き手なのだが、学校の先生のなかにはそれを許さない人もいて、「ちょっとあそこにいる先生にも聞いてみよう」と話を振ってくれることがある。

 承認された聞き手もいくつかに分かれうる。どのように分けるかが分析のポイントになるだろう。

 話し手との協働性、相互行為の連鎖といった観点からは、発話に返答すべき者とそうでない者という分け方ができる。これは聞き手が自分で決定することができない、という意味で話し手との協働の結果であるし。さらには、自分がそのうち何者であるかは発話連鎖という文脈のなかで決まってくる。

 教室の子どもたちは自らをどのように位置づけるのだろうか?ある子どもが指名されて発言する。それに対して、子どもたちのなかには「ふーん」「あー」と相づちをぼそっと言う者もいる。挙手をして「似ていまーす」「同じでーす」「違いまーす」と自分の意見との比較を言う子もいる。彼らは「返答すべき者」として位置づけているのかもしれない。

 一方で、何もしない子、何か授業に関係していないことをしている子もいる。そもそも、授業とは別の会話の輪を作っている子もいる。彼らは「返答すべきでない」あるいは「しなくてもよい」と位置づけているのかもしれない。

 このように聞き手としての参加のありようをいくつかの種類に設定し、そのカテゴリーをもって子どもたちの立ち位置の時系列的な変化を記述してみたい。その際の行動指標は、発話内容、そのタイミング、視線といったものが想定しうる。

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