院生と研究会

 さて、昨日は大学院のゼミでした。今年はマスターの学生さんが2名入ってきました。今回はかれらに卒論の反省と修論に向けた構想発表をしてもらいました。

 いずれの計画も、まだぼんやりとしていて、「とにかくがんばってくれ」としか言えないような感じでした。「おもしろい」と感じている現象はあるものの、それをどうしたらいいのか分からない。徒手空拳というか。これからの大学院生活で必要なことは、いろいろな「武器」を身につけることでしょうね。それでもって集めたデータに対峙すること。

 武器というのは、要するに理論であり、方法論です。ですがマスターの段階では、まずは先に理論にどっぷりと浸かってみることをおすすめします。方法論については、修論を書いた後、隣接領域を横断できる余裕が出てきたころに勉強すると面白いと思います。

 振り返ってみると、自分はどうだったんでしょうか。

 とにかく本を読まねばと、なんか気ばかり焦って、学内でいろいろな読書会や研究会を立ち上げてはつぶしていただけのような気がします。さいわい東京近郊でさまざまな研究会が毎週のように開かれていたので、面白そうなものには臆面もなく顔を出していましたね。そのうちのいくつかは確実に今の自分の方向性を決定づけましたし、仲間と呼べるような方々も見つけることができました。いろいろな人に会ってまったく知らないことを聞くことが、ほんとに楽しかった。逆もそうですね。知らない人に自分がどういう研究をしているか話すことは、自信になります。プレゼンの基礎スキルを磨くことにもなると思いますし。

 ですから、集まりに参加するということは、もちろんそれに専心することは本末転倒なのかもしれませんが、研究を進める上で大切だと思うのですね。

 話は飛びますが、発達心理学会の分科会に認知発達理論分科会というのがあります。ぼくはここにもとてもお世話になったという実感があります。ここのよいところは、くくりが大雑把だという点です。参加する人が実際に採用しているアプローチや、具体的な研究対象や関心はバラバラなんです。それでも、実にさまざまな最新の理論を学ぶ。悪く言えば意地汚いのですが(本当に失礼だな)、よく言えば自分が現在のところ採用している理論を相対化できるという利点があります。

 たとえばここ見てください。ワクワクするでしょう。しないですか?しないでもいいです。ぼくはしたんですね、院生時代に。だから、ぼく自身はたぶんヴィゴツキアンだけど、ピアジェも読んだし、コネクショニズムも読んだし、マイクロジェネティックも読んだし、ダイナミックシステムズアプローチも読みました。身についているかどうかは分かりませんが。

 マスターのうちからふらふらするのは必ずしもいいことだとは思いません。ですが、一つのアプローチの奥底に潜っていくばかりではそのうち息苦しくなってくることもあるかと思います。そのとき、周辺から漏れてくる光明のようなものに触れてみるのもよいでしょう。

 そういう光明に触れられるような集まりを、ここ札幌で作りたいという欲望があります。まずは若い有職者で集まって、そこにとんがった院生を巻き込んでいくのがいいのかなとか、いろいろ考えてはいるのですが、どうしたらよいか。

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