ただいまJALのラウンジにいるんですが,ここでも翻訳中です。
ラウンジはビールが飲めるのでよいですね。
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ニューマンと私は,(「私たちのヴィゴツキー解釈」では遊びの一つの形態なのですが)パフォーマンスとは新しい存在論ontologyであることに気付きました。つまり,人間がパフォーマンスperformすること,発達をパフォーマンスすることを,私たちからすれば,心理学者たちは取り入れる必要があります。★4このことは私たちの後の研究や執筆のトピックとなったばかりでなく,同時に,私たちの実践の方向性を定めましたし,仲間たちはそれをセラピー,教育,文化的プロジェクトに取り入れました(Holzman ,1997, 2009; Holzman & Newman, 2012; Newman, 2008; Newman & Holzman, 1997, 2006/1996)。
簡単な要約であるとともに,その後の拡張や最新情報でもあるこの文章によって,『変革の科学者』においてニューマンと私が作り出した用語法や,ときに濃密な文章へと読者を案内してみたいと思います。英語という言語は非常に静的で,時間と空間を表そうとしており,なにより「モノ化」thinifiedされています。ですから,物事の流れ,動き,一元論,統一体,同時性,弁証法的関係性を取り上げようとする人たちにとっては大きな障害となるのです。私たちには,書き言葉で遊ぶ自由,新しい表現法を作り出す自由があります。必ずしもすべてが理解できるわけではないかもしれません。その場合でもおそらく,言語が見方や考え方をどのように制約しているのか,あるいは拡張しているのか,ということについて少なくとも注意が向くでしょう。
★4 ヴィゴツキー自身は演劇に夢中になっていて,『芸術心理学』(1971★邦訳は○○年)という著作は非常に興味深いものです。しかし,(彼が書いたものから言いうる限り)ヴィゴツキーは遊びplayと舞台上の劇playsあるいはパフォーマンスとを結びつけてはいませんでした。
■席捲するヴィゴツキーVygotsky's expanding influence
この20年間,急速に,しかも予想不可能な形で世界が変わる中で,心理学は自分自身を作り直そうと苦闘してきました。世界とのつながりを保とうとするために,心理学は競合しがちな二つの道筋を切り開いてきました。一つは自然科学との結びつきを保とうとする道です。このことは,脳科学や認知科学,健康科学と心理学との連携に明らかですし,数量化する方法論や「エビデンスに基づく」evidence-based方法論の希求と促進によっても分かります。もう一つの道は,心理学を文化という方向に向けています。このことは,芸術家と手を組んだり,共同研究をしたりすることや,創造性研究が現れたりしたことに明らかです。また,新しい質的方法論が開発されたことからも明らかで,ここには,客観性について心理学がこだわることに対する直接的な反動としてデザインされたものも含まれます。後者の方向性を採用する心理学者や教育者の中には,劇やパフォーマンス,集団過程もしくはアンサンブル過程,人間の発達や学習,クオリティ・オブ・ライフにこうした人間の活動が果たす役割に熱視線を送る者もいます。ヴィゴツキーに由来し,現代の社会文化的(そして,もしくは,文化歴史的)心理学に端を発する概念や方法は,これら二つの道筋に影響を与えてきました。
心理学において起きた上述とは別の発展によっても,ヴィゴツキー派の考え方が受け入れられていきました。1990年代までの間に,哲学における「言語的転回」linguistic turnが心理学や他の社会科学にも取り入れられました。このような動きにより,言語が哲学的探求の主要な焦点となりました。現実性realityを反映したり,それに対応したりするものとしてではなく,言語は現実として受け止められるものを構成しconstitute,構築するconstructものとして今や見なされているからです。主流の心理学に対して批判的な多くの心理学者がこの考え方によって奮い立ち,自らの抱える不満について理解し,語れるようになりました。心理学が研究の対象を現実のものとして構築し,「現実のもの」として示すのは,その言語,言説discourse,そしてナラティヴを通してなのです。この言語的転回は,主流の心理学に対する主要な認識論的批判である,社会構築主義social constructionismとして今では知られるようなアプローチを生み出しました。
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知識,認知,情動は,いずれも主流の心理学にしたがえば個人の内部に存在するものですが,今やそれらは社会的に構築されるものとして見なされますし,社会的実践としてのみ研究可能なものなのです。客観性という点について言えば,もはや相手にするようなものでもありません。なぜなら,それは不可能ですから。(研究者も含めて)人間は(科学的意味も含めて)意味を作るという主張が「意味する」ところは,人間の主観性が前提として存在するのであり,したがって,客観的科学objective scienceはありえないのです(K. J. Gergen, 1991, 1994)。
社会構成主義者social constructionistsがただちにヴィゴツキーに気づいたわけではありませんでしたし,ヴィゴツキーを紹介された後で全員が一気にヴィゴツキーを取り入れたわけでもありませんでした。児童心理学者,教育心理学者としてヴィゴツキーが1970年代から90年代にかけて名声を博したにもかかわらず,彼の著作を読む理由はないと考えていたのでしょう。しかし,心理学が言語的転回を認め,それにしたがって探求する上で,ウィトゲンシュタインは重要な人物でしたので,ヴィゴツキーとウィトゲンシュタインとを統合するニューマンと私の試みは注目を集めました。二元論に対する批判や,弁証法的方法論,人間の思考や行為についての社会文化的存在論,(外的な現実,内的な現実を問わず)言語が現実を反映するという見方を排するための完成completionという独自の概念など,『変革の科学者』は社会構成主義者に対してヴィゴツキーのアイディアを紹介しました。★5
ヴィゴツキーの名が知られ始めた心理学の領域には,他に,青少年young peopleの生活についての研究や,青少年育成youth developmentを促進するようデザインされた学校外での取り組みinterventionについての研究があります。研究と実践のフィールドとしての青少年育成(青少年の健全育成と呼ばれることもありますが)は,学際的でグローバルな現象として急速に広がっています。そこでは,創造性とリーダーシップを発揮する機会を提供するプログラムや組織を通して,青少年を生産的で積極的な活動に従事させています。こうした機会を学校が青少年に対して提供しそこなっていること,および,研究や取り組みの予防モデルprevention modelsに特徴的ですが,十代の妊娠や薬物使用といった問題に一つの視点から焦点を当てることに対する,社会的に組織された対応として見なすことができます。この領域にヴィゴツキーが果たす大きな貢献は,学習と発達の社会性についての理解の仕方,および,効果的なプログラムにおいて支援する大人や仲間との関係性が決定的に重要だという理解の仕方にあります。青少年育成にかかわる実践者は,『変革の科学者』でのヴィゴツキーを知ることによって,青少年が自身を越えたパフォーマンスをできるようにすることが実践者の仕事だと見なし,その方向で組織を作っていくことができます。そこでの青少年は,何者かであると同時にその者ではない存在as who they are and other than who they areであるのです。その仕事ぶりについては後述しますが(pp.xvii-xix),私の仲間たちがオールスターズプロジェクトAll Stars Projectにおいて,このような考え方をもったリーダーとして奮闘しています。サボ・フロレスSabo-Floresは,発達と遊びplayについてのヴィゴツキーの見方を(そしてパフォーマンスについてのニューマンと私の見方を),近年現れつつある新しいフィールドである,青少年の参加的評価youth participatory evaluation(Sabo-Flores, 2007)に導入した人ですが,こうした考え方をもって活動する人たちもいます。
人間の発達と学習には創造性が結びついているという「新しいアイディア」はビジネスの業界(そこでは市場で成功するためには創造性が重要だと認識されていたわけですが)から現れ,教育と心理学に広がっていきました。ケン・ロビンソンKen Robinsonが簡潔に述べていますが,「学校が創造性をつぶしている」のです(この2006年のTEDトークは,1500万人近くが見ているのですが,2012年現在最も多くの人が視聴したものです★以下,URL)。遊びと幼児期の発達,想像,芸術の心理学に関するヴィゴツキーの著作を知る者にとって,このことはヴィゴツキーの多面性に新たに気づくきっかけとなりました。
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およそ10年前から,ヴィゴツキーの影響を受けた,創造性や発達と学習に関する議論が,認知発達についての平凡な議論をよそにして起こってきました。これにより,新しいトピックや新しいパラダイムが教育心理学にもたらされ,パフォーマンスすることや芸術に注目が集まってきたのです。★6
■「私たちのヴィゴツキー解釈」を深めるDeepening 'Our Vygotsky'
★5 社会構成主義についてのガーゲンの浩瀚な著作(最も新しいのはK. J. Gergen, 2009; M. M. Gergen & Gergen, 2012)の他にも,理論的な嚆矢としてショッターShotterが人間の主観性や,人間の関係性一般,あるいはより最近ではサイコセラピーにおける「他者性otherness」を探求し続けています。そこには,ウィトゲンシュタインやヴィゴツキー,ヴォロシノフとバフチンが現れています(Shotter, 1997, 2003, 2008; Shotter & Billig, 1998)。この点で言えば,ロックとストロングLock, A and Strong, T.も多作です。二人の書いたSocial Constructionism: Sources and Stirrings in Theory and Practice(2010)ではヴィゴツキーにまるまる1章が割かれていることにも注目です。マクナミーとガーゲンMcNamee and Gergenが1992年にTherapy as Social Constructionという論文集☆5を出版してからこのかた,関係論的で,意味を形成するmeaning-making,非客観論的non-objectiveなカウンセリングやセラピー実践が行われていますが,それらは協働的collaborative(Anderson, 1997; Anderson & Gehart, 2007),言説的discoursive(Pare' & Larner, 2004; Strong & Lock, 2012; Strong & Pare', 2004),ナラティヴ(McLeod, 1997; Monk. Winslade, Crocket, & Epston ,1997; Rosen & Kuehlwein, 1996; White, 2007; White & Epston, 1990)という名でも知られるようになっています。
☆5 野口裕二と野村直樹による邦訳が『ナラティヴ・セラピー:社会構成主義の実践』(1998年,金剛出版)として出版されている。
★6 ヴィゴツキー派のジョン・シュタイナーJohn-Steinerはこの方向性での先駆者として研究を進めており,2つの本の共編者にもなっています。その2つの本とは,Creativity and Development (2003)とVygotsky and Creativity: A Cultural-Historical Approach to Play, Meaning Making and the Arts (2010)です。かつてはジャズミュージシャンだったソーヤーSawyerは,このところ,創造性と即興についての著作を幅広い読者に向けて書いています(R. K. Saywer, 2003, 2007, 2012)。最近ではニューマンと私の昔の学生たちが,遊びの一つの形式として演劇パフォーマンスと即興のもつ大きな可能性について強調しており,学校内での生活に創造性を持ち込もうとしています。マルチネスMartinezは教授学習のためのテクノロジーについて(2011),ロブマンとルンドクゥイストLobman and Lundquistは学校で行える即興の練習について(2007),ロブマンとオニールLobman and O'Neillおよびその仲間たちは様々な場面での遊びとパフォーマンスについて(2011),それぞれ発言しています。さらには,組織や国を超えて研究者たちが協働し,現在,研究や介入プロジェクトを進めています。これにより,教師や生徒,支援を必要とする人々vulnerable populationが創造性と遊びを知るところとなるでしょう(例えば,アメリカ合衆国や日本,フィンランド,スウェーデンでのプレイワールドプロジェクト★URL,ブラジルやセルビアやボスニアヘルチェゴビアのNGOZdravo da Steが行う,複数の世界Multiple Worldsと他の教育プロジェクトがあります★URL)。