タキシタくんのこと

小学生の頃の同級生で,タキシタくんという子がいた。背がひょろっとして首と足が長かった。

ぼくの住んでいた村は田舎だったけど,タキシタくんのたたずまいは町の子という感じで,一緒に遊ぶこともあまりなかったような気がする。

一度,腕を折ったかで大けがをしていたことがあった。なんだかかわいそうだなあ,と,そのときはそれくらいだった。

タキシタくんは村の中学校に行かなかったのでそれっきりだった。以来数十年,すっかり頭の中から消えていた。

今日,妹からタキシタくんが亡くなった,という知らせを聞いた。

実はぼくはそのことをすでにネットで見ていたのだが,あのタキシタくんのことだとまったく気がつかなかったのである。俳優になっていたことすら知らなかった。

滝下毅くん,さようなら。ご冥福をお祈りいたします。

サイコロジスト、ペイ!!

Leo.jpgLeo's Tavern.jpg

 カウンター越しに、コーヒーを注文した。

 どこから来たんだ?

 日本から。

 日本人は何人か来たことがあるよ。今晩そこで演奏するからぜひ来てくれ。宿はどうするんだ。親戚がB&Bをしているからそこに泊まらないか。車で送っていってやるから。

 渡りに船とお世話になることにした。車中、お嬢さんのCDを持っていること、以前NHKで特集をしているのを見たこと、などなどを話す。目元が似ているな、そんな感じがした。

 国道沿いにぽつりと立つ一軒の家がそのB&Bだった。アイルランドではたいていの場合「B&B」というサインが外から見やすいところに掲げられており、だから放浪していても投宿先はすぐに探すことができたのだが、この家には何もしるしはなかった。

 家の中にいたのは、おばあさんが一人と、小太りの中年男性が一人。3人でお茶を飲みながらここまでの行程を説明する。この中年男性氏、オランダから来たのだそうだが、ClannadとEnyaの大ファンだそうだ。自分の部屋を撮った写真を見せてもらったのだが、壁一面びっしりとLeo氏のお嬢さんのポスターが貼ってあった。毎年ここに来ているそうだ。 pilgrimage、そんな言葉が彼の口からついて出た。

 北の夏は夜が短い。7時を過ぎてまだ空に明るさの残る田舎道をぽつぽつと歩いて酒場の戸をくぐった。

 すでにテーブルは埋まり、さざめきが部屋を満たしていた。オランダ氏はすでにグラスを傾けていた。手招きをするのでその向かいに空いていたイスに腰を下ろす。

 Leo氏の演奏は9時半からだという。カウンターでギネスをもらう。およそ2ポンド(当時はまだユーロではなかった)で1パイント。だいたい400円強。日本で飲むと800~900円。なんなんだこの差は(当然酒税である)。

 同じテーブルの斜向かいに座った高齢の男性に話しかけられる。

 お前は日本では何をしている。

 学生であることを言うと、専攻を聞かれた。

 サイコロジーです。

 はは、アイルランドでサイコロジストをやればずいぶん儲かるぞ。

 そう言って男性は杯を空けた。

 どうしてです?

 これだ、と言って差し出すのは空いたグラス。

 アイルランドは飲んだくれが多い、みんなアル中みたいなもんだ、だからサイコロジストが儲かる。そうだろう?サイコロジスト、ペイ!!

 そう叫びながら男性は右手を高く掲げ、やがて目を伏せて揚げた手でグラスをつかんだ。掲題の言葉はこうしてこの男性氏から発せられたものである。

 やがてLeo氏がアコーディオンを持ってステージに登場すると、いつの間にか酒場を埋め尽くした人々は万雷の拍手で迎えた。

 外に出ると半分欠けた月が雲一つない天上から地上を青白く照らしていた。酒場からはまだアコーディオンと歌声、そして喧噪が流れてくる。

 遠くに波の音。ここからは海までほんのわずかなのだ。

 車も通らない道を、ジーンズのポケットに手を突っ込み、宿へと戻った。

 10年経った今、あの夜、Leo氏がどのような演奏をしたのか、実のところあまり記憶にない。しかし、サイコロジスト、ペイ!!という言葉はいまだに耳に残る。

 心理学者というのはほんとうに儲かるのだろうか。

Leo’s Tavernのこと

 あれは1997年のことだから、もう10年も前になる。

 その年の8月、ぼくはアイルランドはカウンティ・ドネゴールの田舎道を独りぽつぽつと歩いていた。
3か月と決めていた放浪の終盤であった。

 ドネゴールはアイルランド島の北の外れに位置し、がらんとした天と荒涼とした地にはさまれた場所である。
丈の短い草に一面覆われたボッグ(湿地)を掘り起こせばピート(泥炭)が取れる。波打って広がる丘陵をまっすぐに突っ切る国道沿いには、
そうしたピートが切り出され、山と積まれていた。

 道ばたで立ち話をした人からLeo’s Tavernのことを聞いた。居酒屋の主たるLeo氏とはClannadのメンバー、
MaireやCiaran、そしてEnyaの父親として知られる。今では世界的成功を収めた音楽家であるかれらの弾き始めは、
父親のパブであったという。

 行きたしと思えど一介の酒場のために道に案内の出ているはずもなし、
逡巡していると背後より走り来た車がすぐそばでキキッと停まった。運転席から顔をのぞかせた男がこちらに何か話しかけるが、
訛りがあまりにもひどくさっぱりである。バックパック背負い途方に暮れるのを見たからだろう、どうやら乗せてくれるらしい。「ありがとう」
と言うが早いか助手席にすべりこんだ。アイルランドを歩いているとよくあることなのである。

 Leo’s Tavernは知っているか。

 運転手氏に話しかけると、おお知っているとも、と言っているかのように(訛りがひどくてやはりはっきりとは分からなかったのである)
ひとしきりまくし立てたかと思うと、国道をそれて丘を登り、その中腹にある一軒の家の前に車をつけた。そこがTavernだった。

 太陽はまだ天高くあり、酒場の開く時間ではなかったが、幸いにドアは開いており中をのぞき込むことができた。

 まだ薄暗い室内にはいくつかのテーブルとカウンターが見える。カウンターにはサーバーの取っ手が並び、その奧にはウィスキーのボトルとグラスが並んでいる。これは見慣れたパブの調度であるが、
よそと違うのは壁に所狭しと飾られたレコードの数々である。後でよくよく見てみれば、
ClannadやEnyaが獲得した何かの賞でもらった品々のようだった。

 やあ。

 こちらに気付いてカウンターの奧から出てきた初老の男性、彼がLeo氏であった。

 (続く)