有朋自遠方来

 3日から茨城の実家に来ています。

 さすがにゴールデンウィーク、駅も空港も激混みでしたが、羽田からの高速道はガラガラでした。

 3月に来たときのアマネはひとみしりの真っ最中だったので、じいさんばあさんに抱っこされるとすぐに泣き出していましたが、今回はニッコリとしておとなしく抱かれていました。いかった。

 部屋の中をずりずりと闊歩し、あちこち触りまくるのは札幌と同じですが、目と手が普段の倍あるので安心です。ぞんぶんにずりずりさせております。最近では新技つかまり立ちを覚えましたが、まだおぼつかないので、柱の角やテーブルの角におとなが手を当てて倒れるのに備えます。

  明けて4日、この日の夜、10歳年上の飲み友だち、S氏とつくばで飲む約束を取り付けました。アマネの世話はじいさんばあさんに任せて、妻の愚痴を背に受けながら家を出ます。

 S氏とは10年前、アイルランドの片田舎ドゥーリンという村で知り合いました。ぼくはアイルランド放浪、彼は世界放浪の途中だったのですね。そこで意気投合し、日本に帰ってからも年に1~2度のペースで飲んでいました。ぼくが札幌に越し、子どもができてからの2年はまったくお会いしていなかったので、この機にと無理言ってお呼びしたのでした。

 つくばには「くいだおれ」という飲屋街があるのですが、そこで居酒屋を2軒、バーを1軒はしごしました。しゃべる話と言えば近況報告に始まり、世評から下世話な話にいたるまで。S氏はかつて雑誌編集の仕事をしていたこともあり、話の懐が実に広い。ぼくもなけなしの引き出しを開陳して応戦します。

 茨城の片田舎に来ることなどめったにないS氏、つくばに1泊して次の日は霞ヶ浦見物に行くのだそうです。「面白くもないですよ、臭いですよ」とアドバイスをしておきました。

 11時にはお開きにして、S氏をホテルに送った後、実家へはタクシーで帰りました。

社会人としていかがなものか

 というタイトルが指しているのはなにあろうぼくのことだ。

 今年度から2つの大学で非常勤をすることとなった。水曜日に1コマずつ、しかもどちらも江別市内にある大学なので移動も楽だろうと思っている。

 昨日はそのうちの1つの大学の非常勤講師向けの説明会兼懇親会に行ってきた。道庁そばのホテルにて6時半開始のところ、出かけに院生さんと話をしていたらだいぶ遅れてしまった。

 なんちゃらの間のドアを開けるともうすでに懇親会に突入していた。ずらりと並ぶテーブルに並ぶ方々、壇上ではなにやらベテラン非常勤講師のスピーチが。

 講師のクチを紹介してくださった森直久さんも出席していた。隣の席が空いていたので滑り込む。「やっと来ましたね」とグラスにビールを注がれた。

 スピーチを聴きながら目の前の料理をぱくぱくと平らげる。その間隣の森さんに「どんな説明があったんですか」と尋ねた。「昨日送った資料に書いてあります、だって」。なんだそりゃ。というわけで、タダメシを食わせてくれる会だったということが判明。遠慮なくばくばくと食べる。

 そうこうしているうちに、教養科目をご担当される先生が見えてごあいさつをしてくださった。両手には名刺が。

 ところが、遅れてしまって慌てて出てきたため、名刺を忘れてしまっていた。うう、しまった。「すみません、生憎切らしておりまして」と、平身低頭。

 続いて、学長がじきじきにごあいさつに来てくださった。両手に名刺が。ひい。「生憎切らしておりまして」。ため息をつきながら席について、デザートのイチゴを食べた。

 こういう場に名刺を持ってこないというのは、それなりの社会人としていかがなものか、と猛省する。

 終了後、森さんと連れだって、狸小路にあるワインバーへ。森さんが「ねっとりとしたものを」などと難しげな注文を出すと、そのたびにマスターがワインセラーからひょいと取り出してくる。どうもソムリエの資格をお持ちのようである。ワインはあまりこだわらずに飲むため、ありがたみがわからないのだが、ともかく美味しかったっす。

博多の風は頬を撫で行く

 20日から22日まで、日本発達心理学会が九州大学で開催された。今、博多に来ている。

 前日の19日から九州に入り、長崎の妻の実家へ。今、妻と子が1か月半ほどの予定で帰っており、ひさびさに会った。アマネはいつの間にかモゾモゾと這って動くようになっていた。だっこすると辺りにあるものをやたら触りたがる。

 20日の早朝、実家の皆様とお別れして、白い「かもめ」に乗って博多へ。

 学会会場は九大箱崎キャンパス。いろいろな方にお会いし、ニコニコしながら歩き回る。

 学会のニューズレター委員会というところで働いているのだが、その懇親会を開いた。幹事である。博多大名にある「寺田屋」にて。目良委員長をはじめとしてみなさんと親睦を深める。懇親会後、残った人々でタクシーに乗り込み、元祖長浜ラーメンにくりだす。やっぱり替え玉だろうと注文したが、量が多く目を白黒させながらなんとか完食。少しスープが水っぽかった気がする。三重大の赤木和重さんと博多駅近くで三次会。

 2日目、ポスター発表である。ある4歳の男の子と、そのご家族の会話を分析したもの。思うに、この学会を含めて言語発達研究は相変わらず盛んなのであるが、発話と同時に非言語的行動まで含めて分析をしているものは非常に少ない。ぼくのものは、会話において子どもが「聞き手」という相互行為上の役割を引き受ける際の、その場での手掛かりを見つけ出そうというもので、その手掛かりには視線やなんやかんや環境にあるあらゆるものが含まれる。そういう分析が必要だと思っているからやっているのだが、言語発達という研究の文脈ではまだまだ少数派である。

 たくさんの知り合いの方々にポスターの前までおいでいただいた。研究の内容をご説明する。こういう機会が貴重であることに最近気づき始めている。発表をする場、反応がすぐに返ってくる場というのが本当に少ない。文句を言う前に自分でそういう場を作ればいいのだが。たくさんのツッコミをありがたく拝聴する。がんばります。

 その日の夜、北大の陳先生にくっついて、九大の橋彌先生ご夫妻がコーディネイトしてくださった、志賀島の民宿で大勢の方々と会食。京大の高田明さんに久しぶりにお会いした。ついこの間アフリカから帰ってきたとのこと。

 さすがにくたびれてきており、ぜいぜい言いながら3日目に。ポスター会場で岡本依子先生と初めてお話しさせていただく。筑波の学部時代、同級生だった澤田匡人君とばったり、近況報告をしあう。がんばっているようでなにより。

 そんなとき、明日帰る飛行機がストのため欠航するという情報が。学部事務から乗る便が振り替えできたとの連絡が来る。助かった。

ひとりもんの暮らし

 ずうっと書けずにいて、もう義理も礼儀もなんもなくしてしまっているような原稿の目処をなんとかつける。首と尾っぽがなんとかくっついた格好で、胴体も埋められた。目鼻は週末、家にこもってくっつける。

 帰りがけ、もう1年近くごぶさたしていた居酒屋「かんろ」へ。相変わらずの繁盛、カウンターにかろうじて空いていた1席にねじりこむ。マスターはきちんとぼくのことを覚えていてくれた。なんでもないことかもしれないけど、すごく嬉しい。ここのやきとんは肉の部分が大きくて食べでがある。

 蕎麦屋でしめたあと、ふと思いつき、ひとりカラオケを決行。CKBの「タイガー&ドラゴン」を6回くらい歌う。歌はいろんなものが発散できてよろし。

 思ったよりも体力を消耗した模様で。家にたどり着いて意識を失い、気がついたら朝10時だった。

秋味

 秋味、というのは鮭の別称である。しかし北海道では8月下旬ごろから鮭が出回り始めて、秋の味というにはちと早い気もする。

 昨日堪能したのは鮭ではなく、秋の味。

 日曜の道心シンポは認定心理士会の研修もかねていたらしく、講師料というのが出た。あぶく銭はさっさと使うに限る。そこでなじみの三徳六味に出かけた。

 祝日の前日だけあって大盛況。辛うじて空いていた一席に陣取り、生ビールで喉を潤す。マスターも奥さんも忙しく立ち働いているので、手が空くまでじっくりとメニューを眺める。

 メニューはすっかり秋めいている。とりあえず3品。かぼちゃ豆腐、翡翠銀杏、それに、おお、牡蠣だ。牡蠣が出始めたのだなあ。聞くと昆布森産とのこと。厚岸のそばだそうだ。身が貝殻いっぱいにつまっておいしそう。これを焼いてもらう。

 かぼちゃ豆腐はねっとりと甘く、上に乗ったかぼちゃの種がアクセントになって楽しい。銀杏は、どこの居酒屋でもあると頼んでしまう一品。ビールにも酒にもあう。牡蠣の身はむっちりと、噛み切ると中から白い汁がほとばしる。海のミルクとはよくぞ言ったものだ。

 ひととおり楽しみ、ここからが佳境。越乃景虎、それに〆張鶴をすする。どちらも新潟のお酒らしく、飲み口は水のごとく、しかし、口中から鼻にかけて華やかな香りが残る。景虎の方がどっしりとしているだろうか。

 順番がむちゃくちゃだが、最後にお造りをもらう。愛媛であがったというもみじ鯛。空輸してきたのだとか。真鯛なのだが、夏の終わりから秋口にかけて、紅葉の季節に食べる鯛をもみじ鯛と特に呼ぶらしい。ちなみに、桜の季節に食べるのは桜鯛。

 さて、おあいその前に、家で待ってる妻に、奥さんお手製のなめらかプリンと、栗の渋皮煮をおみやげでいただく。これをしないと恐ろしいことになる。

 いずれにも紅葉の葉を散らし、目で楽しませ、そして舌で楽しませる。堪能しました。ごちそうさまでした!