気力と体力をたくわえる

金曜はたまたま、子どもが風邪を引いたので面倒を見るため自宅にいた。ゆさゆさと建物が揺さぶられたとき、子どもが見ていたDVDがぷつっと切れ、津波情報に自動的に切り替わった。

テレビを見ていると、見慣れた釜石の街が水没していった。

釜石は母の実家がある場所で、子どもの頃から何度も行った。つい2~3年前にも遊びに行った。

P1010554.jpg 釜石の海

茨城も揺れたらしいので、実家に電話をするも通じず。さまざまな手段を試してみるも、なかなかアクセスできない。ただ、ツイッター経由の情報で、美浦は停電、断水しているもののさほど大きなことにはなっていないと判断。その日は寝た。

土曜は大学の後期試験。朝から仕事に。試験時間を1時間繰り下げるとのこと。そうしてできた空き時間に実家に電話をかけると通じた。家の中のものが落ちてきたがとりあえずみな無事とのこと。

日曜。再度電話すると、釜石の親戚はほぼ無事とのこと。まだ確認できていない人もいる。

必要となったときのために、衣類を段ボールに詰める。要請があれば送れるように。

月曜、起きて夫婦二人ともへろへろになっていることに気づく。情報を受け取るだけで頭と体が「非常モード」になってしまっていたのだ。

日常を送れる人は、今は気力と体力を蓄えるべきときだ。いざというときに、動かなければならないのは私たちなのだから。今、現場で仕事をしておられる人、耐えている人といっしょに疲弊している場合ではない。

政治と言葉

 このところの政局の動きにあわせて,さまざまな立場の人が百家争鳴の様相をなしている。

 個人的な仕事の立場からすれば,そのときどきの行政の方針にただ従うのみである。窮屈かもしれないが,人生の喜びはそんな状態からも生まれうると信じているので気は楽だ。

 なので政治とはなるべく距離を保っていたいのだが,喧しく囀る百家にはときおり首をかしげ,ややもすれば一言申し上げたくなる。

 それは言葉の使い方である。正確には,カテゴリーの運用だ。

 日本国民とはすべて日本という国に籍を置くすべての人間を指す。当然である。

 にもかかわらず,ある種の人は,たとえば「組合ではなく国民の声に耳を傾けよ」と言う。またある人は「国民を守るために基地は必要であり,県民の負担やむなし」と言う。

 定義上,国民とは日本という国に籍を置くすべての人であるから,「組合の主張を聞く」ことと「国民の声に耳を傾ける」ことは矛盾しない。「国民を守る」のであれば県民という国民も同時に守らねばならない。

 おそらくは「組合およびその身内ではなく,国民のうち非組合員の声に耳を傾け」「県民以外の国民を守るために基地は必要であり」と言いたかったのであろう。

 誤解されないようにしてほしいが,私自身は上記の言明に単純に首肯するものでも拒否するものでもない。関わりようによっては,賛成にも反対にも回るだろう。

 現在の私の希望は,言葉を正確に使っていただきたいということにつきる。

 政治とは利害が対立する立場同士で「手打ち」をする儀式だ。あちらを立てればこちらが立たないのが当然であり,そこを三方損(損するもう一人は調停者)という形に落として「手打ち」するのが政治である。そういう見方からすれば,意見の相違は当然であり,前提である。

 政治家とはある立場にある人々の意見を代弁する存在である。だから,そういう人の物言いには,必然的に「私たち○○の立場からすれば」という枕詞がついているはずだ。

 にもかかわらず,その枕詞をあえて無視するかのように「国民の皆さんを守るために」「市民の感覚からすれば」「みんなの生活をよくするために」などと宣う。あまつさえ,党の名前にさえしてしまう。

 ことが政治家だけであればまだいいのかもしれないが,マスコミや評論家も同様の言葉づかいに余念がない。

 以上の百家にお願いしたいことは,日本という国に在籍する人間すべてを包括するカテゴリーは適切に運用して欲しいということである。聞いてて気持ちが悪い。

引き続き、弘前大学について

 弘前大学が少年ジャンプに広告を掲載したことは反響を呼んだようで、このサイトにも「弘前大」「ジャンプ」といったキーワードで検索をしてたどり着いた方がいらっしゃいました。

 今回、弘前大学は、漫画雑誌6誌に同時期に出稿するという戦略をとったようです。ジャンプだけじゃなかったんですね。ソースは以下。

 陸奥新報 弘大がジャンプなど漫画雑誌で教員や研究PR

 まったく気づきませんでしたが、それぞれの雑誌の人気漫画にちなんだ研究を紹介するというコンセプトだったようです。ジャンプの場合は「ONE PIECE」の主人公にちなんでゴムの話だったわけですね。納得しました。

弘前大学 漫学のススメ

 どの大学も学生さんを呼び込むのに必死である。かくいう北大も、東京、大阪、名古屋の3都市で大々的に大学説明会を開いて本州からの学生さんを集める努力をしている。

 そんななか、弘前大学はユニークな広告をうった。「漫学のススメ」と題された広告で、理工学部物質創成化学科の澤田英夫教授の研究が紹介されている。ここまではよくある大学紹介だろう。

 ユニークなのは広告の媒体。この広告が載ったのは、「週刊少年ジャンプ」の表紙裏である。2010年3月22日号(14号)を見ると、澤田先生の顔がどーんと載っている。

 漫画週刊誌に大学の広告が載るというのは聞いたことがない。ましてや「ジャンプ」である。毎週楽しみに買っているジャンプであるが、おそらく初めてのことではないか。

 気になってさかのぼって他の号の表紙裏面を見てみた。コカコーラ、ソフトバンク、ディー・エヌ・エー(モバゲータウン)、スクウェアエニックス、バンダイと、ジャンプ購読層をターゲットとしていることがすぐに分かる広告主が並ぶ。そして確かに、大学がターゲットとする層ともかぶっている。これは盲点だった。

 少なくとも、新聞に広告をうつよりもターゲットの目に触れる可能性は高いのではないか。

Sentence first–verdict afterwards

 パブリックドメインになって400円で売られていたディズニーの「アリス」のDVDをアマネが気に入ってよく観ている。

 トランプの女王がアリスに向かって「判決が先、評決はあと!」と叫ぶのを聞き、足利事件と同じかもしれないと思った。

‘Let the jury consider their verdict,’ the King said, for about the twentieth time that day.

‘No, no!’ said the Queen. ‘Sentence first–verdict afterwards.’

‘Stuff and nonsense!’ said Alice loudly. ‘The idea of having the sentence first!’

‘Hold your tongue!’ said the Queen, turning purple.

‘I won’t!’ said Alice.

‘Off with her head!’ the Queen shouted at the top of her voice. Nobody moved.

http://www.gutenberg.org/files/11/11-h/11-h.htm#2HCH0011

 評決ではなく、判決をもって目の前に現れる他者に対して、私は「stuff and nonsense!」と叫ぶことができるのだろうか。

研究者自身で何ができるか

 研究に対する事業仕分けについてもう少し考えてみましょう。

 ちょうど、自分の入っている学会から、学会として意見を申し述べた方がよろしいのではという旨の会長名義メールが届いたところです。研究費の削減は、研究者の自由なアイディアに基づく研究を不可能にするがゆえに、この国の科学技術の発展を妨げるという趣旨のメールでした。

 その通りだなと思います。思いますが、もう少し立ち止まって考えてみましょう。

 実際のところ、他の事業も含めた予算総額は限られています。その中でのパイの奪い合いが起こっているわけで、いくら研究が大事だと言ったところで、現在以上に使える予算が回ってくることはないでしょう。

 だとすれば、余力のあるうちに、税金を効率よく使うシステム、税金に頼らずに研究を推進するシステムを部分的にでも作っておく必要があるのではないでしょうか。恒久的な研究基盤づくりをする上で、今後再びの政権交代もあり得る政府はアテにならないことははっきりしたわけですから。

 じゃなきゃ、そんなシステムすら自前で考案できないような(人文社会科学も含めた)研究者には、やはり予算を渡すわけにはいかないよね、と言われてしまいます。では、何がシステムとして可能でしょうか。私には思いつくことはわずかです。

 (1)単年度予算をやめること。年度末になると、予算が余ってるからという理由でどうでもいいものを買っていたりあちこち出張していたりする研究室を私は知っています(ちなみに私は年度途中でほぼ使い切ってしまいます)。現実としてこうした「ムダ」な執行はあるわけですから、それをいかに「ムダ」にしないかが求められる。そこで、複数年度に渡る予算執行をさっさと認めて欲しいわけです。ただ、これは財務省の協力が確実に必要ですね。

 (2)研究成果による儲けを研究費にまわすこと。あまりにも単純といえば単純ですが、一番健全な姿なのかもしれません。儲けを産み出しにくい研究領域ももちろんあるわけで、そのような場合には、たとえば一般書などを執筆した場合の印税をプールするための仕組みを作っておくことも有効では。微々たる印税も積もり積もれば億の単位になるかもしれません。

 あまり鋭いアイディアは出ませんね。これが私の限界ということでしょう。

 ともかく、これからの研究者が税金に頼り続けることはもうできないと認識しておくべきでしょう。うまいシステムはないもんでしょうかね。

若手支援事業の仕分けについて

 科学技術政策関連の事業仕分け結果に対して、研究者から批判が出ていることはご存知のことでしょう。

 人から教えていただいたサイト、<a href=”http://mercury.dbcls.jp/w/index.php?FrontPage“>事業仕分けWS3 まとめウィキ</a>をつらつら眺めていると、研究者集団の末席を汚す者としてはいろいろと思うところもあります。

 現在の私に直接的にかかわるのは、事業番号3-21として挙げられた「科学技術振興調整費(若手研究者育成改革)」です。ここでは、(1)テニュア・トラック制導入と学位持ちの民間企業就職支援に関する事業、(2)科研の若手研究、(3)学振の特別研究員という3つの若手研究者支援事業が検討されたようです。

 事業番号 3-21 科学技術振興調整費(若手研究者育成改革)(PDF)
 事業番号 3-21 論点説明シート(予算担当部局用)(PDF)

 実際にどのような議論が行われたのか、テクストに書き起こしてくださった方がいるようで、読むことができます。→こちら

 今回の結論としては、文科省の出してきた要求額から減らしますよ、ということ。来年度以降の減額はおそらく確実ではないかと。

 私個人としては、(2)の若手研究にお世話になっていることもあり、内心おだやかではないですが、決まったことには粛々と従うつもりでいます。

 何らかのアクションを起こすとすれば、研究者ではない方々に対して、研究の重要さ、面白さ、大切さを地道に伝えていくことしかないのではないかと。日本でも最近は科学コミュニケーターの重要性が認知されはじめ、サイエンスカフェなど催しが行われています。そういったことを通して、税金の使い道として認めてもらうしかないのではないかと思います。

 弱気ですかね。

ご逝去

 北大名誉教授の若井邦夫先生が昨日ご逝去されたとのこと。

 先生は、私の今いる建物でかつて研究をされていた先達である。

 若井先生とはまったくお会いする機会がなかったが、コールとスクリブナーのあの本を訳された方として、本を通して教えていただくことがあった。

 ご冥福をお祈り申し上げます。

 伊藤崇

あなたの高校はありますか-新橋「有薫酒蔵」

 先週放送されたNHKのドキュメンタリー番組「にっぽんの現場」で紹介されたのが、新橋にある「有薫」。行ったことはないですが、ちょっと面白そうでしたので備忘録代わりにここに書いておきます。

 有薫酒蔵ホームページ

 九州料理のお店だそうで、番組の中でもキビナゴの刺身がおいしそうでした。まあ、九州というくくりも大変におおざっぱですが、それはともかく。

 料理は酒はもちろんでしょうが、ここのお店の名物は、出身高校ごとに作られたよせがきノートなのだそうです。

 店の入り口から中に入ると、下駄箱ならぬノート棚がでんとしつらえられており、高校名の入ったラベルの丁寧に貼られたノートがぎっしりと並んでいるのが目に入ります。

 飲みに来た客が、自分の出身高校のノートを見つけ、新しいページに自分の名刺を貼り付けてからすらすらとコメントを書いていく様子が映し出されていました。

 こういうことが可能なのはやはり東京という土地柄でしょう。都市としての東京の多くは、地方出身者が作っているわけです。

 お店のホームページでは、ノートがあるかどうか、高校名から検索できるようになっています。さっそく私の母校を探してみると…ああ、ありました。誰がどんなことを書いているやら、のぞいてみたいですね。もちろんのぞくだけじゃなくて、私もそこに1ページ追加したいです。

 あなたの高校はありますか?